活動報告(2003年)

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2003年11月30日

皆さん、こんばんは。今月は何とか月末に活動報告にとりかかれました。やれやれです。日程表をみてみると、今月もひと月のうち20日間は新幹線で移動していました。とくに11月9日の総選挙投票日までは、前月末から12日間連続で移動日・・・さすがに疲れました。

その総選挙ですが、結果は皆さんご承知のとおりです。僕たちも大幅議席増、比例第一党となりましたが、与党の絶対安定多数も変わらず、「勝者なき総選挙」というのが率直な印象です。しかし、冷静に振り返ってみると、10年前、15年前と比べるとずいぶん政治の風景が変わってきたような気がします。喩えて言えば、登山の途上で、頭上の木立の枝葉の隙間から峠や山頂が見えてきた感じです。あとひと息かもしれませんし、ひょっとするとこの先再び谷があるかもしれません。まだまだ一寸先は闇ですが、ここで立ち止まる訳にはいきません。前進あるのみですね。

政策本位の政治、健全な二大政党制を実現するためには、できる限り大勢の皆さんに政策論議の中身を聞いて頂く必要があります。選挙後には地元の医師会の皆さんとも議論をさせて頂きました。また、今日は介護NPOの会合で講演をさせて頂きました。こういう活動を積み重ね、国民の皆さんが政策本位で投票を行い、政権選択をして頂く傾向を一段と強めること、そのこと以外に「日本連峰・改革岳」という難関の山頂を制覇する術はありません。「日々是闘」、「日々是精進」、「継続こそ力なり」・・・です!!

ところで、地元事務所が覚王山日泰寺というお寺の参道前にあり、毎月21日に行われる縁日で「弘法さんかわら版」というビラを配布していることは前にもお伝えしたかもしれません。最近では固定読者?も獲得し、1時間もビラ配りをすると1千枚以上も受け取って頂けます。ありがたいことですが、同時にもう止められなくなりました。これも「継続こそ力なり」を肝に銘じて、ずっと続けていきます。

おかげさまで、弘法大師のこと、密教や仏教全般のことなど、ずいぶん分かってきました。知れば知るほど奥が深い。けっこう病みつきになりそうです(・・・もうなってるかも)。今月は愛知芸術文化センターで「空海・高野山展」が開催されていましたので、16日に秘書君と一緒に見てきました。曼荼羅(まんだら)や貴重な仏像、仏画を多数拝観することができましたが、中でも平清盛が自分の血を混ぜて描かせた大曼荼羅絵図は圧巻でした。いずれ、高野山にも行ってみたいですし、四国巡礼にもチャレンジしたいですね。「弘法さんかわら版」のバックナンバーはホームページにアップしてあります。ご興味がある方は是非ご覧ください。

特別国会は19日から27日までの実質(平日)6日間、審議があったのは2日間という何とも国民の皆さんを馬鹿にした日程でアッという間に終わってしまいました。小泉さんは開会中にはほとんど中身のある審議に応じなかった一方で、閉会直後にイラクへの自衛隊派遣を事実上決定したり、足利銀行の破綻処理を決めたり、何とも姑息な対応です。今国会から所属委員会は財政金融委員会、予算委員会、金融経済特別委員会となりました。来年の通常国会では、シッカリ、キッチリ、ネットリと議論させて頂きます。頑張ります!!


2003年11月1日

皆さん、こんばんは。今日は地元事務所から活動報告をさせて頂きます。結局、今回も月を越えてしまいました。昨晩のうちに活動報告をアップしようと思ったのですが、昨夜は茨城1区の福島伸享君の応援に行き、帰りが遅くなりました。福島君は経済産業省出身の33歳、東大ヨット部時代に全日本学生選手権で準優勝したスポーツマンです。うちの事務所の城代家老(ちょっと古い言い方ですが、要は地元事務所の留守居役)である黒田太郎秘書(日銀の後輩)のクラブの後輩ということもあり、応援にも熱が入りました。7月末に霞ヶ関を辞め、たった3ヶ月の準備期間ですがシッカリと選挙戦を戦っています。感心しました。福島君、頑張ってください。

ご承知のとおり、10月5日(僕の誕生日)に民主党と自由党の合併大会が行われ、10月10日(菅代表の誕生日)に衆議院が解散されました。それからというもの、党本部(政調、代表室など)の選挙準備の実務や代表のサポート、さらには地元を中心とした仲間の応援に東奔西走し、アッと言う間に、いやいや、アッと言う間もなくひと月が終わってしまいました。

新幹線に乗ること36回、30日(木)に至っては久々に1日に2回、東京―名古屋間を往復してしまいました。さらには、時間が足りなくなり、とうとう寝台列車も使うようになりました。名古屋―東京間の銀河、岡山―東京間のサンライズと2回の寝台列車を経験しましたが、これがけっこう快適なんですね、予想外に。病みつきになりそうです。何と言っても時間が有効活用できることが素晴らしい。寝ている間に移動ができるわけですから、一石二鳥です。物は考えようですね。

同僚議員や党職員の皆さんと一緒に作成したマニフェストもなかなか好評のようです。選挙結果にどれだけ影響するかは分かりませんが、とりあえずはたいへん売れ行き(・・・といっても売っているわけではありません。要は、受け取り・・・)が良く、毎日3万部の勢いで追加送付の要望が全国から寄せられているとのことです。苦労して作った甲斐があったというものです。日本の政治史で最初のマニフェストの作成に参画できたことは、たいへん光栄なことでした。

また、インターネットでの民主党の広報活動の一環として、民主党放送局D-Vision(http://www.minshu.tv)のコンテンツ制作も行いました。同僚の鈴木寛議員やスタッフ、委託先の皆さんと一緒に、なかなか興味深い内容にできたと思います。皆さん、お暇な時に(できれば総選挙の前に)、是非一度ご覧ください。江本さん(エモヤン)のマニフェスト解説は分かり易くて必見です。

選挙準備の合間をぬって、26日(日)には関西大学で行われた日本財政学会第60回大会で発表をしてきました。昨年は地方財政学会に報告者として、国際経済政策学会には対論者として参加しました。選挙の年となった一昨年以外は、97年から毎年学会発表を続けていますが、最新の学会事情のフォローアップと頭のリフレッシュのために、これからも年に1回は学会に参加したいと思います。今回は座長が黒川先生(法政大学)、対論者が井堀先生(東大)、中里先生(上智大学)という豪華メンバーでしたが、そのうえ、フロアーの吉野直行先生、高橋洋一さん(経済産業研究所)からもたいへん有意義な質問やコメントを頂戴しました。皆さん、どうもありがとうございました。

明日、明後日は兵庫、岡山、7日は北海道に応援に行きます。それ以外は地元と本部を行ったり来たりです。総選挙まであと1週間。ひとりでも多くの先輩や仲間を応援したいと思います。


2003年10月1日

皆さん、こんばんは。麹町の議員宿舎で活動報告を打っています。今月、いや、先月もとにかく忙しく、アッという間に1か月が経ってしまいました。月をまたいでの活動報告、申し訳ありません。

ところで、麹町の議員宿舎の前はその昔、清水谷という地名でした。幕末・明治維新の歴史に興味のある方の中にはご存知の人もいると思いますが、大久保利通卿が暗殺された場所です。宿舎の前には史実を説明するパネルが設置されています。麹町宿舎から、もうひとつの参議院議員宿舎である清水谷宿舎(ニューオータニ前)に行く途中には清水谷公園があり、大久保卿を追悼する巨大な石碑もあります。お近くにお越しの際は、是非散策してみてください。

さて、9月はマニフェスト作り、総選挙対策など、党務に追われた毎日でした。また、合併を控えた自由党との調整事項も多く、会議、会議の連続。さらには、代表室のメンバーとして菅さんの日程調整やテレビ、雑誌等の取材対応にも東奔西走し、何だか「業界」のプロデューサーかディレクターのような状態でもありました。ついさっきも菅さんが夫人と一緒に「さんまのまんま」に出演させて頂いた映像がオンエアーされていましたが、この番組もいろいろと紆余曲折があり、これでやっと一息です。早く政策中心の活動に戻りたいですが、しばらくは無理そうです。党務と政策、二足のわらじで頑張ります。

月初の4日には、僕が座長を務める企業会計ワーキングチームの第3回会合を開催し、金融庁に参加してもらいました。テーマは、公認会計士・監査審査会という監査法人や公認会計士の仕事をチェックする金融庁の新組織についてです。りそな騒動以来、監査法人や公認会計士の仕事が注目を浴びていますが、会計士の皆さんは自分たちで仕事の内容を自主的にチェックする体制を整備している最中です。そんな中、金融庁が屋上屋を重ねるように監督組織を慌てて作ろうとしている動きには少々違和感を覚えます。今後の国会でいろいろと議論していきたいと思いますが、とりあえず僕の意見は経済誌(エコノミスト)に寄稿しました。ご興味があればご一読ください。

13日の土曜日、今度の総選挙であの海部元総理と戦う岡本みつのり君(愛知9区)の14時間マラソン街頭演説の応援に行きました。岡本君は現役のお医者さんです。名古屋大学医学部の大学院博士課程の学生でもあります。将来有望です。午後2時から3時の1時間マイクを握らせて頂きましたが、その日は晴天で気温も高く、なかなか大変でした。場所ははだか祭りで有名な国府宮駅前。演説後に駅周辺の商店街に挨拶に行ったところ、さすがに朝からぶっ通しで頑張っている岡本君に皆さん好意的(・・というより同情的)でした。ご近所の皆さん、ご協力ありがとうございました。偶然ですが、日銀名古屋支店の職員の方や僕の兄にもバッタリ会いました。世間は広いようで狭いですね。

15日の敬老の日、地元の小学校で行われた敬老会に父親を連れていったところ、近所の町内会長さんから挨拶するように言われ、父親の前で挨拶することになってしまいました。仕事柄、会合等で挨拶するのは慣れているものの、父親の前でというのは何だかやりにくいものですね。いやいや、まいりました。

月後半は講演がいくつかありましたが、なかでも23日の掛川市での東海四県地方議会の先生方へのマニフェストの説明は自分でも勉強になりました。マニフェストと言えば「政権公約」と訳されていますが、日本ではマニフェストに馴染みの深い業界がふたつあります。ひとつは航空業界、マニフェスト=乗客名簿のことだそうです。もうひとつは産業廃棄物業界。廃棄物のリストや管理表のことをマニフェストと言うそうです。皆さん、ご存知でしたか。

24日から25日は、事務所として2回目の国会見学バスツアーでした。今回は日進市の折原市会議員の後援会の皆さんとのジョイントツアーでしたが、あいにく国会開会前日で参議院は見学できませんでした(衆議院側の見学となりました)。参加者の皆さん、申し訳ありませんでした。開会前日は天皇陛下が国会にいらっしゃる準備のため、陛下の席のある参議院は見学ができないのだそうです。知りませんでした。

そういえば、今もそうですが、その時期、議事堂の屋根は修理中で足場が組まれていました。ご存知のとおり、月半ばに落雷で屋根の石が欠けたのです。落雷の瞬間、僕は議員会館の部屋からちょうど議事堂を見ており、落雷を目撃しました。凄かったですよ。翌日の新聞は「政変の予兆か」などと書かれていましたが、いよいよ衆議院解散も目前です。政変に期待したいものです。

少々疲れ気味ですが、政変、いや政権交代目指して今月も頑張ります。


2003年8月31日

皆さん、こんにちは。現在、地元事務所です。国会が閉会になったらゆっくりできるかなぁと期待していましたが、残念ながら今月もなかなか余裕のないスケジュールでした。月初の1日(金)から3日(日)は、友人の皆さんと愛知県北設楽郡津具村のペンションに親睦旅行に行ってきました。同世代の友人が中心でしたので、子供たちも大勢いて、たいへん賑やかな会になりました。天候にも恵まれました。翌週の週末は大雨だったようですので、ラッキーでした。泊まらせて頂いたペンション「グリーンメッセージ」には冷房施設はありません。なんと冬はマイナス20度になるそうです。夏でも夜は寒いぐらいで、クーラーは必要ありません。愛知県の広さを改めて再認識しました。ペンションを経営していらっしゃる小久保さんご夫妻にはたいへんお世話になりました。小久保さん、どうもありがとうございました。

3日は、津具村から、民主党の全国政策担当者会議が開かれていた箱根プリンスホテルに向かいました。マニフェストや自由党との合流等に関して夜中まで熱心な討議が行われ、翌日の会議は少々睡眠不足気味でした。

翌5日、議員会館に国税庁の皆さんに説明に来て頂きました。先の国会で、東京海上に対して金融庁が合併を強要していた問題を僕が取り上げていたことをご記憶頂いているかもしれませんが、実は、国会終盤になって、その東京海上が国税庁から申告洩れの指摘を受けていたのです。同社が再保険をかけていた保険料の経費としての認定を巡って、40億円の申告洩れがあったというのです。金融庁、国税庁、財務省は旧大蔵省に所属していました。今でも同根です。東京海上が金融庁に反旗をひるがえしたのに対し、旧大蔵省が「江戸(金融庁)の仇を長崎(国税庁)で」などと考えているとしたら、とんでもない話です。見すごせません。9月に入ったら寺澤国税庁長官と面談する予定ですので、その真意を質してみたいと思います。

6日には、8日から11日の北方領土視察に向けて根室に向かいました。いわゆるビザなし渡航の団員として国後島に渡る予定でした。7日の事前説明会を経て、8日の朝、根室港に向かい乗船したところでハプニングです。台風10号が本土に上陸した影響で、北海道上空に停滞していた前線が活動を活発化させ、朝から雨模様で海も荒れ気味です。国後島から戻る11日頃には台風10号がちょうど北海道辺りに来る見込みでした。乗船したところで、「戻りが遅れるかもしれません。11日に戻れないと困る人は渡航を取りやめてください」というアナウンスを聞いて、残念ながら僕は渡航を断念しました。しかし、その後まもなくして、渡航は荒天のために全面的に中止となり、他のメンバーも全員下船となりました。飛行機にも影響が出始めていましたので、慌てて中標津空港に向かい、東京に戻ってきました。残念!!また機会があれば、北方領土を是非訪ねてみたいと思います。

12日になって、悲しい知らせが届きました。同い年の名古屋市会議員、近藤高昭さんが逝去されたとの訃報です。ビックリしました。肝臓癌だったそうです。4月の統一地方選挙は病身をおしての闘いだったようです。言葉がありません。小学生のお子さんも2人いらっしゃいます。本当に心残りだったことでしょう。高昭さんのご遺志を継いで、我々同僚議員はその職責をシッカリと果たさなくてはなりません。万難を排して職務を全うすることをお約束申し上げます。高昭さん、安らかにお休みください。合掌。

お盆明けの翌週は、地元での講演や党務に追われて東京と名古屋を毎日行ったり来たりです。マニフェストに関する検討もいよいよ佳境です。ところで、その間の20日に行われたナゴヤドームでの第11回オール早慶戦(野球)は7対2で慶應の勝ち、早稲田の通算9勝2敗となりました。名古屋稲門クラブをはじめ、準備に当たられた早慶両校のOB、現役の皆さん、本当にお疲れ様でした。その週の週末は、少しだけ休みをとらせて頂き、息子と2人で山に行ってきました。短い時間でしたがリフレッシュできました。やはり、休みは必要ですね。

25日の週も党務に追われてまさしく東奔西走です。27日には総選挙に向けた連合愛知・民主党愛知県連の合同選対発足式が開催されました。今年は選対委員長を務めさせて頂いていますので、責任は重大です。自由党の都築譲さん(現職)が愛知12区(岡崎市など)から15区(豊橋市など)に「国替え」を決断してくださったおかげで、愛知県は全15選挙区の候補者が出揃いました。気持ちを引き締めて戦わなくてはなりません。とくに、民由合併の象徴である12区(中根康浩さん、新人)と15区は何としても負けるわけにはいきません。頑張ります!!

30日は政策調査会のイベントとして、長崎市でのマニフェスト公聴会に参加してきました。会場は400人に及ぶ参加者で熱気に満ち、たいへん有意義な会合となりました。ここでも民由合併の影響で長崎3区の民主党新人・犬塚直史さんが来年の参議院選挙に回ることとなりました。小選挙区は自由党の現職・山田正彦さんに決まったそうです。全国各地で仲間が譲り合い、政権交代の実現に向けて一致団結しつつあります。本当に心強い限りです。市内での街頭演説を終えて街宣カーから降りると、今は長崎支店に勤務している日銀の先輩が声をかけてくれました。たいへん嬉しかったです。安周さん、ありがとうございました。

ところで、会合終了後に長崎県連の皆さんと食事に行きましたが、「しっぽく料理」のことを「卓子料理」と書くことを初めて知りました。丸卓を囲んで食事をするので「卓子料理」なんですね。徳川家光の時代に唐人屋敷が作られ、長崎の人が初めて接した中国料理以来、丸卓を囲む「卓子料理」ができたのだそうです。勉強になりました。

8月は新幹線20回、飛行機4回でした。さあ、明日から9月です。気分も新たに頑張ります!!


2003年7月31日

皆さん、こんにちは。7月もいよいよ終わりです。190日に及んだ第156回通常国会も28日に終了しました。有事法制、個人情報保護法、イラク新法、国立大学独立行政法人化法案、生保予定利率引き下げ法案など、重要な法案が目白押しでした。次期国会は9月下旬からと言われています。解散総選挙も想定されていることから、緊迫した国会になると思います。

それにしても7月もまたまたアッという間でした。1日(火)の財政金融委員会で東京海上副社長と金融庁長官の面談メモを公開して以降、この問題に追われ続けました。議論は紛糾し、8日(火)の委員会では審議がストップ、10日(木)の委員会には高木長官、森前長官が出席しました。15日(火)から22日(火)には5営業日連続での委員会質疑、本会議討論となったうえに、その直後の24日(木)、25日(金)にはイラク新法絡みで本会議が連日延会となり(翌日未明にずれ込み)、さすがに疲れました。

先のりそな問題や今月の東京海上問題等の影響もあって、このところ、金融市場あるいは金融機関関係者の皆さんとの懇談の機会が増えました。多くの皆さんが、日本の金融行政や金融機関の先行きを憂慮しています。日本の金融行政や金融機関が一刻も早く内外の信頼を得られるように、今後も真剣に国会審議に臨みたいと思います。

ところで、こうしたゴタゴタの最中に自由党との合併問題が急浮上しました。菅代表と小沢党首のトップダウンで一気に合意に達し、今日に至っています。昨年秋に鳩山前代表が小沢党首に合流を申し出て以降、いろいろと紆余曲折がありましたが、漸く合意に達しました。政党である以上、政権奪取を目指すのは当然のことであり、そのためには極めて合理的な選択だと思います。この合併が国民の皆さんの期待を集められるように、微力ながら僕自身も全力を尽くしたいと思います。

21日(月)には先輩議員である佐藤雄平先生のご母堂様のご葬儀のため、会津若松に行きました。会津若松に行ったのは、日銀の新人時代に新潟支店に赴任し、独身寮生の旅行で訪れて以来、約20年振りです。磐越西線にもその時以来の乗車でしたが、風光明媚でのどかな風景を眺めていると、その当時のことが懐かしく思い出されました。本当にノンビリした気分になれます。皆さんも是非一度お出掛けください。

29日(火)には、日銀の後輩でもあるKfi代表・木村剛氏の企画で進められている「民主党vs自民党・マニフェスト対談」に出席させて頂きました。僕の担当セッションは金融経済政策分野で、自民党の世耕参議院議員と対談しました。なかなか興味深い議論ができたと思います。9月には本ができあがるそうですが、今から楽しみです。

29日と言えば、2年前の選挙の投票日です。早いもので丸2年が経過しました。この間、自分なりに全力で仕事をしてきたつもりですが、懸案、課題は山積しており、ひとりの力ではどうにもならない現実に無力感を感じることもあります。しかし、諦めることはできません。今後もさらに効率的に仕事をこなし、少しでも守備範囲を広げたいと思います。

明日からは仲間の皆さんと愛知県津具村にサマーキャンプに行きます。久し振りに山の空気をタップリと堪能し、鋭気を養いたいと思います。


2003年7月3日

皆さん、こんばんは。今日は議員宿舎で6月の活動報告を打っています。6月もりそな問題の余波で、慌しいひと月でした。活動報告も7月にずれ込んでしまいました。

さて、6月2日(月)の午後2時から、金融庁大臣室で竹中大臣と面談しました。前月29日(木)の参議院予算委員会の審議の中で、「大臣だけにりそな問題に関する朝日監査法人の社内資料をお見せします」と約束したことに伴う面談です。大臣とは約30分間お話ししました。残念ながら、面談の詳細をお伝えすることはできませんが、竹中大臣にはりそな問題の真相解明に向けてシッカリと取り組んで頂きたいものです。

その翌日、りそな銀行関係者からの手紙が届きました。手紙には、5月10日(土)のりそな銀行と金融庁の面談記録が添付されていました。面談記録には、金融庁の担当者の「破綻した銀行を営業だけは続けさせるということだ」、「ポツダム宣言と同じだ」というような問題発言が記載されており、また、手紙には金融庁に対する批判が書き記されていました。この内容は看過できないと判断し、翌4日(水)、院内の記者クラブで会見を行い、この手紙と面談記録を公開しました。結局、後日、面談記録についてはりそな銀行が本物と認めましたが、その後もりそな銀行についてはいろいろな情報が飛び交って今日に至っています。

りそな問題に関する取材や報道が相次ぐ中、東洋経済の6月21日号に、昨年1月の東京海上と朝日生命の合併問題を巡る記事が掲載されました。記事には、金融庁・高木局長と東京海上・森副社長(いずれも当時)の面談記録の一部が公開されていました。そこには、りそな問題の発足(あさひ銀行と大和銀行の合併)時と同様に、金融庁が金融機関の合併問題に不合理な圧力を加えている事実が克明に記されていました。この資料は、年初に僕の手許にも届けられていました。りそな問題がクローズアップされる中、折しも生保の予定利率引下げ法案の審議が始まろうとしていましたので、金融行政のあり方、生保の経営再建のあり方を巡る貴重な検討資料であると判断し、7月1日(火)の参議院財政金融委員会で公開しました。

こうした経緯で慌しい毎日が続いていましたが、今日、ようやく宿舎に帰って活動報告を打つ時間ができた次第です。たいへん遅くなって恐縮です。

りそな問題の関係で、先月はTBSと朝日新聞の衛星放送に出演させて頂いたほか、テレビ朝日のサタ研という番組にも取り上げて頂きました。皆さんの関心の高さを肌身で感じたひと月でした。朝日新聞の朝日ニュースターに一緒に出演したのが、格付会社S&P社の根本直子さんでした。根本さんは今や銀行格付の専門家、あるいは韓国金融改革に詳しい専門家として有名ですが、実は大学時代の同級生で、しかも日銀の同期でもあります。久し振りの再開でした。

根本さん以外にも、日銀時代の先輩・同期・後輩が各界で活躍しています。今や竹中大臣のアドバイザーとして有名な木村剛氏(2年後輩)、エコノミストの白川浩道氏(同期)、翁百合さん(1年後輩)、ベンチャー企業家の富樫直記氏(1年後輩)、中村隆夫氏(6年後輩)など、多士済々です。もう少し年次が上の方でも、多くの先輩が頑張っておられます。それぞれの分野で日本経済再生に向けて独自の活動を続けていますが、僕も及ばずながら全力を尽くしたいと思います。

21日(土)には、久し振りに地元事務所前の日泰寺の縁日(弘法さん)でのビラまきに参加できました。21日が土日に当たらないと、なかなか参加できません。7月は祝日、8月は国会閉会中、9月は日曜ですので、4か月連続で参加できそうです。配布しているビラ(弘法さんかわら版)はホームページにアップしてあります。ご興味があれば、是非ご覧ください。

月末29日(日)には、県内では5回目、地元(出身学区)では初めての国政報告会を開催しました。ようやく学区での国政報告会を開くことができて、ホッとしています。選挙区が県内全域ですので、なかなか出身学区や地元事務所近辺ばかりに張り付いている訳にもいかず、地元の皆さん、実家近辺の皆さんには本当に不義理をして申し訳ありません。しかし、これを機会に、半年に一度は開催したいものです。

国政報告会を開かせて頂いた場所は、城山八幡宮社務所です。城山八幡宮は昔の末盛城の城跡にある神社です。末盛城は織田信長の父、信秀の居城でした。この神社は子供の頃の遊び場所で、虫取りもしましたし、夏のお祭り(輪くぐり)の際には夜遅くまで境内や参道で遊んでいました。その社務所で国政報告会を開くことができ、感慨もひとしおです。これからは、城山八幡宮社務所を国政報告会のベースキャンプにさせて頂きたいと思います。吉田宮司様、どうぞよろしくお願い致します。

国政報告会の前日、28日(土)には、羽田元総理に随行して、東海地方の同僚議員と一緒に愛知万博と中部国際新空港(愛称・セントレア)の準備・建設状況を視察しました。万博予定地は整地がほぼ終了していました。常滑市沖合いに建設中の中部国際新空港は、関西新空港と同様の海上埋立型です。その規模の壮大さは文章ではなかなか伝えにくいですが、それでも韓国や香港の新空港に比べると相当小さな空港です。日本の空港がアジアのハブ空港としての地位を維持するためには、航空行政や空港政策に関する大胆な発想の転換が必要なようです。今後、こうした問題も勉強していきたいと思います。因みに、僕は35272人目の空港見学者でした。見学に行くと見学証明書をもらえます。皆さんも是非一度行ってみてください。


2003年5月31日

皆さん、こんにちは。只今、5月31日(土)の午後4時半、議員会館705号室から今月の活動報告をさせて頂きます。5月としては38年振りに台風(4号)が上陸し、低気圧に変わったものの、現在、関東方面に向かっています。窓の外は雨模様で、時折、急に雨足が強まります。いかにも台風らしい雨です。今日は夜に地元に行きますが、新幹線の運行状況がちょっと心配です。

今月は中旬以降、まさしく台風のようなスケジュールでした。既に各種報道等でご承知頂いている方も多いと思いますが、「りそな」騒動の渦中に巻き込まれてしまい、凄まじく忙しい毎日でした。詳細は週刊朝日(6月6日号)等をご覧頂きたいと思いますが、5月14日に「りそな」の粉飾決算、会計操作を巡る情報が僕のもとに持ち込まれ、金融庁に真偽を質していた矢先に「りそな」に公的資金投入の方針が決定されました。そのため、そうした経緯を巡ってマスコミの取材が相次ぎ、各種報道に繋がった次第です。

情報は独り歩きすることを認識していましたので、週刊朝日の取材には詳細に応じ、公式コメント等を掲載して頂いたつもりです。したがって、週刊朝日の掲載内容、及び委員会等の場で公式に発言している内容が全てです。それ以外の情報は、いろいろと尾ヒレがついています。6月入り以降も取材が続くと思いますが、情報の独り歩きは本当に怖いことですね。

「りそな」問題の集中審議を行うために、5月28日、29日の両日、衆参予算委員会が開催されました。僕も予算委員会に初登板させて頂きました。NHKの生中継もあり、少々緊張しましたが、何とか所定の役目は果たせたのではないかと思っています。予算委員会終了後、小泉総理から握手を求められました。さすがに、なかなかのパフォーマーです。人の心を引きつけるのが巧い人です。それにしても小泉総理、竹中大臣の答弁は不十分ですね。2兆円もの公的資金を投入する以上、徹底した真相解明が必要だと思います。引き続き、調査を続けます。

月半ば以降がこんな展開になるとは露知らず、ゴールデンウィークは菅代表の随行で沖縄に行ってきました。環境視察もかねて、石垣島ではマンタ・スクランブルに潜り、タタミ6畳級のマンタに遭遇しました。菅代表と僕の真上を、悠々と回遊していました。圧巻です。でも、これでも中級クラスのマンタだそうです。いずれもっと大きいのに遭遇してみたいですね。

本島入り後、息子と合流し、我が家の息子もダイビングを初体験しました。一緒に潜って頂いた大阪市の森本壮一さんご夫妻に写真をお送りする約束をしたのですが、「りそな」騒動のバタバタの中でまだ写真の現像もできていません。森本さん、スイマセン。まもなくお送りしますので、もう少々お待ちください。

ゴールデンウィーク明け後、頭が痛くなり、はじめは「潜水病かな」と思っていましたが、ダンダン痛みが激しくなって心配になってきました。「くも膜下出血とか、大きな病気にならなければいいな」と思いつつ、生まれて初めてMRIのお世話になりました。同級生の蜂谷先生の病院で念入りにみて頂いた結果、「別に問題ない」とのことでホッとしました。パソコンに向かう時間が長いせいか、姿勢が悪く、首筋の神経に背骨が触っていたようです。椎間板ヘルニア的な症状とでもいうのでしょうか。いずれにしても、健康のためには姿勢を正して仕事をすることが必要です。政治姿勢も崩れないようにしなくてはいけませんね。

さあ、6月です。国会も終盤戦です。引き続き全力投球で頑張ります。


2003年4月30日

もう月末になってしまいました。今月は時間が経つのが一段と早く感じられました。統一地方選挙の影響ですね。その統一地方選挙で、昨年の夏まで僕の事務所で秘書を務めてくれた森井元志さん(39歳)が愛知県会議員選挙に当選させて頂きました。ご支援頂いた地元の皆さん、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

これまで、自分自身の参議院選挙を経験させて頂いたほかに、名古屋市長選挙、愛知県知事選挙の応援をさせて頂きましたが、愛知県、名古屋市全域の選挙と違って、統一地方選挙は有権者の皆さんの顔と名前が分かる選挙です。もちろん、全員の顔と名前が分かるわけではありませんが、県会議員選挙では1万から2万、名古屋市会議員選挙では数千から1万、その他の市町村会議員選挙は数百から数千の得票数がボーダーラインです。もっとも小さな規模の選挙では200票から300票が当落線上の票数でした。地元秘書のお父様が町議選挙に立候補して見事当選されましたが、獲得票数は351票でした。このぐらいになると、まさしく有権者の皆さんの「顔と名前」が完全に一致する戦いですね。大きな選挙の大変さとは異なる大変さがあります。選挙戦を終えられた候補者の皆さん、本当にお疲れ様でした。

月の半ばには、法律で義務付けられている日銀の国会報告(半年に一度)の審議があり、内閣府政策統括官から日銀に転じられた岩田一政副総裁と、岩田さんご自身が内閣府時代に寄稿された資料を参考にして議論をさせて頂きました。その資料の中で、岩田さんは日本経済低迷の原因として「政府のデフレの認識が遅れたこと」と明記しておられます。そこで、「政府の認識が遅れた原因は何だと思いますか」とお伺いしたところ、明確な回答を聞くことはできませんでした。

岩田さんが内閣府政策統括官に就任された直後に、政府は「デフレ宣言」をしました。そういう経緯から言えば、岩田さんご自身は職責を果たしておられたと思います。僕が伺いたかったのは、「政府の経済実態の認識が後手に回っていた原因について、実際に内閣府に乗り込まれてどのようにお感じになったか。あるいは、具体的な原因は何であったか」ということです。残念ながら、岩田さんは「私は就任前は学者でしたので・・・・」と答弁され、明言を避けました。

この件に限らず、国会で仕事をしていて非常に問題だと思うことがあります。それは、政府関係者、あるいは公職経験者(官僚OB)の皆さんが、過去の失敗について明確な答弁をしない、あるいはまるで他人事のように話をすることが多いということです。委員会に参考人として出席する有識者の中には、今は民間企業や公益法人に籍を置く大物官僚OBの方が意外に多いです(いわゆる、天下りということでしょうか・・・)。そういう方々の多くは、プラザ合意(1985年)以降、失われた10年と言われる1990年代に日本を舵取りしていた人達です。そういう方々が、「なぜ日本はこうなってしまったのか。失敗の原因は何だったのか」という点について、当事者意識のない発言をするのを聞いていると虚しくなります。責任をとるべきだとか、そういう狭量なことを申し上げているのではありません。失敗の原因を分析し、同じ轍を踏まないように後輩世代に事実を開陳していくことが、OB世代に求められているのではないでしょうか。個々の企業でも同じことが言えます。政治も例外ではありません。宮沢元総理なども該当しますね。先輩世代の皆さん、しっかりしてください。

月末には、同僚議員や関係企業の皆さんと一緒に、東京電力の柏崎刈羽原発の視察に行きました。7基ある炉が全部停止しており、このまま夏を迎えると、首都圏は電力不足という緊急事態に晒されます。ゴールデンウィーク明けには点検が完了した炉が再稼働する見込みのようですが、この問題、政府・行政当局の対応方針について、国会でも十分に議論していく必要があります。

せっかく新潟に行きましたので、日銀の新人時代に2年3か月勤務した日銀新潟支店に挨拶に伺いました。新潟時代は、仕事も一生懸命しましたが、本当によく遊ばせて頂きました。まさしく、「よく学び(働き)よく遊べ」です。懐かしい皆さんにお会いでき、感激でした。とりわけ、女性陣の皆さんは全くお変わりなく(お世辞ではありません)、20年前にタイムスリップしたようでした。男性陣の皆さんもお変わりなかったですが、スキーに行ったり、一番よく遊んで頂いた同い年のA川さんが、一段と親しみ易い風貌??になっていました。A川さん、歳をとったら、また遊んでください。上野支店長は新人(営業局)時代の僕の教育係をして頂いた先輩のおひとりです。お目にかかりたかったですが、ご不在で残念でした。急にお伺いして失礼致しました。

新潟は、昨年亡くなった母の実家もあり、祖父や祖母のお墓もあります。祖父が新潟市に出てきた後に住んでいたところは新潟市二葉町(独身寮のすぐそば)ですが、燕市又新にもともとの実家があります。実家をお伺いして、仏壇とお墓に母が他界したことを報告させて頂きました。一周忌も過ぎ、これでようやく区切りがつきました。合掌。


2003年4月1日

皆さん、こんにちは。いよいよ平成15年度になりました。また月を跨いでしまいましたが、議員会館705号室から3月の活動報告をさせて頂きます。

3月の13日、14日は沖縄に和牛の競りを見学に行く予定でした。昨年、党の沖縄政策作りに参画したのを契機に、「沖縄問題を考えることは日本の抱えている様々な問題を考えることに通じる」という思いを強くし、以前にも増して、沖縄に高い関心を抱くようになりました。そんな中、個人的には、沖縄の基幹産業のひとつ、あるいは今後基幹産業としてさらに発展させなくてはならないのが畜産業だと考えています。実は沖縄は和牛の産地であり、全国に種牛や子牛を送り出しています。BSE問題で沖縄和牛の市況も大きな影響を受けましたが、このところだいぶ回復してきました。沖縄の中でも石垣島(八重山)は和牛畜産の中心地です。そして、その石垣和牛の大半が愛知県に出荷されていることを知り、沖縄の畜産業のことをもっと勉強するために、競りを見学に行く予定だったのです。

ご承知のとおり、この週の前半から参議院では大島農水大臣問題で審議がストップし、僕が質問に立つ予定の12日の本会議が開催されませんでした。審議再開はまだまだ先だろうと予測して、13日は予定どおり沖縄に向かい、午後3時頃、那覇空港に到着しました。ところが、空港に着いた途端に「審議再開」の連絡が入り、何と翌日(14日)に本会議質問が入ってしまいました。さあ、たいへんです。意外なことに、この時期の沖縄は観光客が一杯で、何と帰りの飛行機の予約が取れません。結局、いろんな人にお世話になりまして、何とか午後5時過ぎの便が取れました。空港で愛知県関係者にお会いして、一緒にソーキそばとオリオンビールを飲んで、また飛行機に乗って東京に戻りました。何とも高いソバとビールになりました。いやはや、本当に残念でした。競りの関係者の皆さん、誠に申し訳ありませんでした。

さて、本会議質問ですが、「沖縄とんぼ返り」の怒りを込めて、徳川家康公の遺言を疲労させて頂きました。ご参考までに、該当部分を下記にご紹介します(詳しくは参議院のホームページで議事録をご覧ください)。

<本会議質問抜粋>

愛知県の真ん中に岡崎城があります。家康公の生誕地として有名ですが、城の前には「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」という有名な家康公の遺訓の石碑があります。その横に、もうひとつ遺言の石碑があります。そこには、こう記されています。「天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり、たとえ他人天下の政務をとりたるとも、四海安穏にして万人その仁恵を蒙らば、もとより、家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし」。我々野党議員も同じ心境であります。しかしながら、小泉総理の治世は、家康公の遺言のようにはなっていないからこそ、我々は総理に真摯な議論を求めているのです。

・・・という内容です。家康公、さすがに素晴らしい言葉を残されていますね。さて、月の後半には、財政金融委員会での質問が立て続けに入りました。3月25日には就任したばかりの福井俊彦第29代日銀総裁へ質問させて頂きました。元上司だけにやりにくい面もありますが、有権者、国民に皆さんの声を代弁し、これからも真摯な議論をさせて頂きたいと思います。翌26日は平成15年度予算の委嘱審査です。ここでは、財務省の「チャーター機問題」を明らかにしました。詳しくはメルマガをご覧頂きたいと思いますが、何と、塩川大臣を含む財務省の10数人でジャンボジェットをチャーターして、パリまで往復したという話です。国民感情や世間の常識からは全く理解不能の出来事です。翌日の新聞各紙も取り上げてくれましたので、ずいぶん多くの方からコメントや激励を頂きました。この問題、深層はかなり根深いようですので、今後もフォローしていきたいと思います。

このほか、3月は僕の事務所として、初めて国会見学バスツアーを催行しました。何しろ分からないことばかりで、本当にうまくいくのか心配でしたが、参加者の皆さんのご協力、スタッフの皆さんの頑張りで、何とか無事に終了することができました。国会見学や日銀見学でお世話になった院職員や日銀職員の皆さん、ありがとうございました。秋には第2弾にチャレンジしたいと思います。

月も後半に入ると、だんだんと統一地方選挙ムードが高まってきました。既に知事選挙は始まっていますが、いよいよあと3日後には県議選や政令指定都市選挙が告示されます。4月は地元中心の日程になりますが、愛知県連選対委員長としてシッカリと応援させて頂きます。候補者の皆さん、頑張りましょう!!因みに、名古屋市守山区から立候補する森井元志君はうちの事務所出身です。現在、地元を守ってくれている秘書の黒田太郎君(日銀出身)の前任者です。守山区の皆さん、森井君をどうかよろしくお願い致します!!


2003年3月1日

皆さん、こんにちは。議員会館705号室から2月分の活動報告です。毎月月末には活動報告をアップすることを最低限のノルマとして考えていますが、ウッカリ月が替わってしまいました。2月は28日しかない影響でしょうか、体内時計が「そろそろ月末だよ」というアラームを鳴らすタイミングが遅れたようです。反省。

さて、2月もアッという間に終わってしまいましたが、けっこういろいろあったとひと月でした。月初には、気になっていた千葉県在住の親戚の皆さんに、ようやくご挨拶に伺えました。選挙の時にもお世話になりましたが、その後、全く時間に余裕がなく、とうとう2回も年を越してしまいました。昨年3月に他界した母のお姉さん(僕からすると伯母)がご健在で、90歳になろうとしておられます。まだまだ矍鑠(カクシャク)としておられます。伯母さん、お元気で長生きしてください。ほかにも、ご挨拶に伺えていない方々がまだまだ多数いらっしゃいます。スケジュールの合間を縫って、何とかご挨拶に伺いたいと思います。

月初から家内が風邪で寝込んでいましたが、2月6日になって「入院したい」と言い出してビックリです。慌てて東京女子医大病院に行ったところ、何と重症の肺炎と診断され、緊急入院しました。本当にビックリです。いつも元気な奥さんだけに、本人も僕もちょっと油断してしまいました。おかげさまで1週間で退院できましたが、その間、医療ミスに神経質になっているお医者さんたちや、差額ベッドの実情を垣間見ることができました。診察、入院、治療時には、お医者さんたちがずいぶんと事細かに病状、診断結果、治療方針、治療に伴うリスクを説明してくださいました。とりわけ、治療に伴うリスクについては、「昔はこんなに説明してくれなかったなぁ」と思うほど、詳しく、ちょっと心配になるぐらいに説明してくれました。インフォームドコンセントということでしょうか。入院時には通常のベッドに空きがなく、特別室にお世話になりました。特別室というだけあって差額も高いですが、設備は万全です。その後、通常の部屋に替わったところ、環境、サービス等々、その差には格段のものがあります。「う〜ん、差額ベッドとはこういうことか」という感じです。あまり病気をしたことのない夫婦だけに、いい勉強になりました。

2月は雑誌の原稿書きや、取材、TV出演、講演もあって、けっこうバラエティに富んだひと月でした。日銀総裁の交替時期が迫っていることもあって、それに関する原稿執筆や取材の依頼が相次いだほか、読売テレビ(大阪)の「あさリラ」という「奥様向け政治放談ワイドショー」に出演させて頂きました。生放送の難しさを十分に経験させて頂きました。発言の修正がきかないというのは、たいへんなことですね。このほか、党の政策理論誌「DJ(ディスカッションジャーナル)民主」の企画のひとつとして、「日本政治の復興と再生」をテーマに、公共選択論(パブリックチョイス)の第一人者、中央大学の横山彰教授と、新進気鋭の若手財政学者である東京大学の金井利之助教授と鼎談をさせて頂きました。また、参議院政審の勉強会にお出で頂いたPHP総合研究所の田中宏樹主任研究員からも頭がスッキリする話を聞かせて頂きました。久し振りにアカデミックな空気に触れ、いい充電ができました。先生方、ありがとうございました。

国会の方はまだ衆議院が主戦場ですので、2月は政調等の党務で忙しい毎日でした。でもそろそろ予算が参議院に回ってくるほか、いよいよ参議院もバタバタしてきます。気合いを入れて頑張ります!!


2003年1月31日

さん、こんにちは。議員会館705号室から今年最初の活動報告をお送りしています。今年も相変わらず「気がついたら1か月が過ぎていた」ということが繰り返され、結局、アッという間に1年が終わってしまうような気がします。気を引き締めて職務に精励したいと思います。

・・・と言いつつ、実は先週末から風邪をひき、今週は絶不調状態でした。巷では、インフルエンザと4種類の風邪が流行っているそうですが、我が家は一家4人が全員風邪をひき、「デフレスパイラル」ならぬ「風邪スパイラル」状態です。皆さんもくれぐれもご自愛ください。

一昨日、初めて国会内の医務室のお世話になりました。いろいろと問診をして頂きましたが、先生曰く「う〜ん、熱が高くてもね、この薬を飲めば38度ぐらいには下がるから。38度台なら活動に支障はありません」ということです。「国会議員は休めない」ということを前提に、「38度台なら大丈夫」という先生のお言葉に、国会議員の自覚と悲哀を再認識しました。頑張ります。

そもそも風邪をひいた原因は、やはり睡眠不足と疲労の蓄積だと思います。年末年始は選挙モードで挨拶回りに奔走し、新年入り後はバス旅行の早朝見送り、初会合への出席、講演、原稿書き、県知事選挙の応援、事務所運営等々で、休む間もなく動き回っていました。1月は地元にいる時間が長いので、おそらく東京―名古屋間の移動回数も少なくなると予想していましたが、今数えてみたら18回です。けっこう、移動疲れもあると思います。今年は健康管理のためにも、何とか運動をする時間を作りたいものです。

さて、1月を振り返ると、何と言っても県知事選挙の応援が印象的です。今年は県連の選挙対策委員長という仕事を拝命していることもあり、各地で応援弁士に使って頂きました。投票日は明後日(2月2日)ですが、夜の個人演説会をハシゴしていると、何だか自分の選挙のような気がしてきます。国会議員に立候補することになるまでは、こうした個人演説会は行ったこともなければ、存在すら知らなかったというのが正直なところです。演説会には、各地の各級議員の後援者の皆さん、支援組織・団体の皆さんを中心に動員されます。言わば「耳の肥えたプロの聴衆」を集めた演説会、といった感じでしょうか。一度に多くの皆さんと接することのできる貴重な機会であると同時に、有権者の皆さんの厳しい目に晒される機会でもあります。身が引き締まる思いです。知事選挙が終わると、今度は4月の統一地方選挙です。選挙モードが続きますが、国会での仕事と両立させながら、健康に気をつけて頑張りたいと思います。


以前の活動報告はこちら