活動報告(2004年)

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2004年11月30日

皆さん、こんばんは。議員会館705号室からお送りしています。今は30日の午後8時、今月もまたアッという間に終わってしまいました。今月は本会議や委員会での質疑に登板する回数が多かったほか、前半に講演や学会が集中していたこともあり、なおさら時間の経つのが速く感じられました。

月初の最初の金曜日、5日は委員会質問を終えるとすぐに地元に帰り、講演をふたつ、翌日土曜日ももうひとつ。1日おいて月曜日にもうひとつ。これで一段落したと思ったら、翌週末はもっとたいへんでした。

12日の金曜日は、学会の大先輩たちを前に、9月から10月にかけて行った欧州出張の報告です。新しいBIS規制や国際会計基準の動向について意見交換をさせて頂きました。その足で地元に帰り、朝一番で講演をひとつこなして、また急いで東京へ。今度は、国際経済政策学会での討論者です。

学会というのは、希望者が報告をエントリーすると、討論者が指名されて公開討論を行う仕組みになっています。今回は中国の方の論文に対する討論を引き受けていました。論文のテーマは「中国の金融自由化」でしたが、会場に行ってみてビックリ。中国名の英語表記では男性か女性かよく分からないので、てっきり男性だと思い込み、討論ペーパーに「Mr」と表記してところ、実は女性でした。同志社大学のXuan(セン)さんという勉強熱心な留学生の方でした。センさん、たいへん失礼致しました。研究活動、頑張ってください。

学会の翌日は地元で講演。これでやっと一段落でした。ということで、ホッと一息ついたらもう月半ば。そこからは本会議質問と委員会質問が立て続けに3回入り、気がついたら月末でした。やれやれという感じです。

ところで、僕にとって、今年は学会活動の当たり年でした。公共政策学会と公共選択学会ではパネラーを務めさせて頂き、財政学会では報告者、国際経済政策学会では討論者と、合計4回登板しました。学会活動暦も10年ぐらいになりますが、1年に4回も登板したのは初めてです。疲れましたが、たいへん光栄なことであり、また勉強になりました。国会での仕事にも大いに役立っています。来年も、時間を作って参加したいと思います。

もちろん、講演や学会以外の日程もビッシリです。そんなことから、14日の日曜日は、久し振りに寝台列車(急行銀河)で名古屋から東京に移動しました。これまで銀河を使った時は、いつも乗客は少なめでしたが、今回はほとんど満席(満寝台?)。結構利用する方がいるんですね。ビックリです。

こんな日程ですから、なかなか地元の挨拶回りもできません。悩みの種です。22日の月曜日、飛び石連休の谷間は国会日程がなかったこともあり、朝から挨拶回りに奔走しました。任期も折返し点を過ぎたので、今後はこういう日を計画的に作っていかなくてはなりません。東京日程と地元日程のやりくりがたいへんです。

25日は岡田代表と若手学者の皆さんとの勉強会。その日の夕方、政府税調の答申が出たばかりでしたので、答申の内容を巡って談論風発。勉強になりました。27日はJLC(ジャパン・リーダーズ・カレッジ)の第8回。今回は東大の神野先生が講師でした。ものすごく勉強になりました。神野先生のお話をみっちり2時間半も聞かせて頂いたのは初めてです。受講生の皆さんも吸い込まれるように熱心に聞いていました。神野先生、さすがですね。ありがとうございました。

その日の夜は、日銀名古屋支店の若手の皆さんの懇親会に参加させて頂きました。日銀時代に一緒の部署にいた伊藤君が転勤ということで、送別会を兼ねての懇親会。若い人ばかりで、何だか日銀の中間管理職に戻ったような錯覚を覚えました。皆さん、お疲れさまでした。

28日の日曜日はお昼頃上京し、議員会館で仕事。29日と今日は東京。今日は財政金融委員会で東京証券取引所の社長にヒアリング(参考人質疑)をさせて頂きました。さて、これからTBSラジオのトーク番組に出演してきます。明日からはいよいよ師走です。早いですね。


2004年11月1日

皆さん、おはようございます。11月1日、朝8時半です。議員会館705号室から先月の活動日誌をお送りしています。今朝は小雨模様、すっかり秋本番、肌寒い感じです。窓から見える国会周辺の銀杏並木も、あとひと月もすると素晴らしい色になっていると思います。

さて、9月29日から10月8日まで、欧州に出張してきました。BIS(国際決済銀行、バーゼル)、ECB(欧州中央銀行、フランクフルト)、欧州評議会(ストラスブール)、OECD(パリ)の会議等に出席するのが主な目的でしたが、途中、1日だけバーゼルからチューリヒにも足を伸ばしてみました。さすが、チューリヒは「元祖、世界の金融都市」という感じでしたね。また行ってみたい街です。出席した会議やいろんな方との面談を通して、たいへんいい勉強になりました。

BISでは、金融庁から出向しているバーゼル委員会事務局長の氷見野さん、日銀から出向している秀島さんから貴重なご意見を聞かせて頂き、本当に参考になりました。氷見野さん、秀島さん、ありがとうございました。世界の金融に大きな影響を与えるバーゼル委員会の重要ポストで、同世代(氷見野さんと僕は、同じ1983年にそれぞれ大蔵省<当時>と日銀に就職)の日本人が活躍している姿には勇気づけられました。国際的に活躍できる日本人を増やしていきたいですね。後日談ですが、さる会合で柳沢元金融担当大臣と懇談をさせて頂いた際、BISに行ってきたということをお話し申し上げたところ、期せずして「BISには氷見野君という素晴らしい人材がいるんだよ。君は会ってきた?」と言われました。氷見野さん、秀島さん、引き続き頑張ってください。

このほか、ストラスブール総領事館、パリ大使館、OECD日本代表部、フランクフルト総領事館など、多くの皆さんにお世話になりました。ありがとうございました。心から御礼申し上げます。

さて、8日の午後2時半に成田に到着しましたが、その日は台風が九州方面から東上中で、翌朝には東京直撃という状況でした。翌日は地元日程がたくさん入っていましたので、何とか8日中に名古屋に移動しようと思い、空港到着後は、議員宿舎に戻ってお風呂に入り、そのまま議員会館に行き、少し仕事をして東京駅に向かいました。新幹線の中ではさすがに眠かったです。

9日の夜は、小学校、中学校の同級生と久し振りの懇親会。時差ボケもどこかに吹っ飛んで、楽しい時間を過ごさせて頂きました。10日、11日の連休は、地元事務所で溜まっていた資料の整理や面会日程をこなし、時差ボケ解消に努め、12日の臨時国会開会日にはスッカリ復帰しました。万全です!!

12日からは再び目の回る忙しさ。12日の夜は一宮市で会議、13日の夜は豊田市でお通夜がありましたので、連日、東京―名古屋―東京とトンボ帰り。さらに、翌週の予算委員会の準備、経済誌の原稿書き、月末の学会発表の準備など、新たな仕事や宿題に忙殺され、16日、17日あたりの週末には、訪欧したのが1ヶ月も2ヶ月も前に感じられる始末で、旅の余韻にひたる暇もありません。

20日の予算委員会に質問者として登板することが決まったものの、19日、20日はもともと地元からの国会見学バスツアーが予定されていました。質問日の前夜も箱根に足を運び、夜のうちに東京に戻るなど、綱渡りの日程です。

しかも、この両日は再び台風に見舞われ、とくに20日は東海・関東へ直撃。バスは台風の方向に向かって一路名古屋に帰ることになりました。心配は的中、バスは東名高速を途中で降りることになり、渋滞にはまったそうですが、なんとか無事に日程を消化することができました。バス旅行の皆さん、本当にお疲れ様でした。

予算委員会のテレビ中継も、台風の影響でNHK総合から教育テレビにチャンネルが変わりました。質問の方は、年金改革、郵政改革、厚生労働省不祥事などを取り上げ、さて次はダイエー問題と思いましたが、残念ながら時間切れ。少し欲張りすぎました。

21日は再び東京―名古屋―東京と往復。名古屋の会合では、数年前に一緒に勉強会をやっていた青年会議所(JC)の皆さんと懇談会。久し振りに皆さんに会えて、たいへん楽しい時間でした。

23日は第7回のJLC(ジャパンリーダーズカレッジ)。近畿大学の北口先生に人権問題について講演して頂きました。人権問題というタイトルからは想像もつかないオモシロイ講義の内容で、抱腹絶倒するとともに、たいへん勉強になりました。目からウロコでしたね。北口先生、ありがとうございました。

25日、26日、27日は、久し振りに議員会館に腰を据えることができましたが、会議日程をこなしたり、原稿書き、週末の学会発表の準備に追われました。なかなかゆっくり物を考える時間がありません。28日は財政金融委員会で質問。そして30日は日本財政学会に出席するため仙台へ。

今年の学会参加は3回目です。日本公共政策学会と公共選択学会でのパネラーに続き、今回は報告者として参加しました。討論者は横浜国大の井手英策先生。会場には、恩師の林先生や吉野先生、慶應の土居先生、同志社の田中先生、上智の中里先生、埼玉の西川先生ほか、旧知の研究者の皆さんが勢揃いでした。いやはや、口頭試問を受けているようで、やりにくかったです。今年は、11月13日にあと1回、今度は日本経済政策学会の国際会議に討論者として参加させて頂きます。

31日は地元日程。昨日の夜遅く名古屋から東京に移動。今朝になりました。今月もシッカリ働きます。

ところで、訪欧中の3日、昭和区の名古屋市会議員補欠選挙で斉藤マキコさんがまさかの惜敗。300票差でした。本当に残念でしたが、応援してくださいました皆様、本当にありがとうございました。敗因をよく分析して、今後に備えたいと思います。


2004年9月28日

皆さん、こんばんは。9月はまだあと2日ありますが、明日から訪欧しますので、前月に続き、少し早めに活動報告をさせて頂きます。

明日はパリ経由でバーゼルに向かい、BIS(国際決済銀行)を訪問します。金融庁から出向している氷見野事務局長等と面談をさせて頂く予定です。その後、チューリッヒ、パリ、ストラスブール、フランクフルトに行き、OECD、ECB(欧州中央銀行)等を訪問するほか、欧州評議会に日本議員団の一員として参加してきます。

さて、9月も忙しい月でした。議員に当選させて頂いて以来、寝る時間以外は24時間、365日働いているというのが、率直な実感です。真面目に働くと、本当にたいへんな仕事です。

とは言え、8月後半以降、この3年間でもっとも長く地元にいた期間だと思います。閉会期間が長い影響です。6月16日に通常国会の会期末を迎え、その後、参議院選挙、選挙後の臨時国会等を経て、秋の臨時国会の開会は10月中旬になりそうです。しかし、その間も、東京での日程もあり、結果的に地元と東京の間をずいぶん往復しました。開会中と同じぐらいですね。

おかげさまで、地元の皆さんへのご挨拶や、抱えている懸案についての関係省庁からのヒアリング等がはかどりました。しかし、その一方で、挨拶回りをすればするほど、お訪ねすべき人の顔が思い浮かび、際限がありません。時間がいくらあっても足りません。また、霞ヶ関からヒアリングをすればするほど、ドンドンと問題意識や疑問が広がっていき、こちらの方も際限がありません。本当に、体力勝負の仕事です。ちょっと油断をすると、フーッとため息がでる毎日です。

20日の祝日には、日銀時代の後輩の結婚披露宴に出席させて頂きました。僕が採用を担当した重富弓以子さんですが、艶やかな花嫁姿でした。立派な社会人、頼りになるSE(システムエンジニア)として成長している様子を拝見して、かつての採用担当者として嬉しい一日でした。重富さん、お幸せに。同僚の皆さんも出席していましたが、久し振りに後輩の皆さんの元気そうな顔を見て、しばし昔の気分に戻った休日でした。

披露宴の会場は横浜のランドマークタワーの70階。いつも、新幹線や飛行機の中から見ていたランドマークタワーですが、実際に行ったのは初めてです。桜木町界隈に行ったのも数年振りですが、素晴らしい街になりましたね。こういうウォーターフロントが、東京に隣接していたり、各地の主要都市にあればいいと思います。日本は、水辺を有効活用した街づくりがあまり巧くないですね。横浜を見習いたいものです。翌日から財政金融委員会の派遣で北海道に行きました。22日には小樽に入りましたが、小樽も港と一体化した素晴らしい街です。名古屋や愛知も、港周辺や、矢田川、庄内川、木曽三川を、もっと有効活用する必要がありそうです。観光資源とは「そこにある」ものではなく、「開発する」という面もありますね。

小樽では、日銀の元小樽支店を訪問しました。現在は日銀の金融資料館となっています。日銀法改正の折に、「日銀も支店を統廃合するように」という国会の附帯決議を受けて小樽支店と北九州支店の廃止を打ち出したところ、それぞれの地元国会議員や地元財界から強い反対を受け、結局、小樽支店は建物は残す、北九州支店はペンディングとなった経緯です。総論賛成、各論反対の国会の体質、あるいは国民の体質をよく象徴しています。ちょうど僕自身が日銀を退職する頃の出来事で、所属していた政策委員会室国会渉外課の同僚が一生懸命説明に奔走していた案件です。そこを国会の派遣で訪問するというのは、何だか感慨深い感じがします。

23日は僕の事務所としての第4回国会見学バスツアーでした。今回は尾張南部の皆さんにご参加頂きました。初日は僕も初めてバスに同乗し、箱根まで行きました。道中、静岡県由比町を訪ね、桜エビを堪能してきましたが、これはお奨めです。皆さんも是非一度由比町に行って、桜エビをお試しください。本当に美味です。箱根の大湧谷にも久し振りに行きました。ひょっとしたら中学の修学旅行以来かもしれません。

23日の夜のうちに地元に戻り、翌24日は名古屋市会議員の昭和区補欠選挙の告示日でした。斎藤まきこさんという女性候補者に立候補して頂きました。訪欧中に投票日を迎えるのが気がかりですが、今回の補選は、日歯事件に端を発しています。絶対に負けられません。斎藤さん、頑張りましょう!!

25日は第6回JLC(ジャパンリーダーズカレッジ)。今回は慶應大学の上山信一先生をお招きし、行政評価のあり方について勉強させて頂きました。上山先生、ありがとうございました。受講生の皆さんも、夏の合宿を経て一段と積極的になり、これからが楽しみです。

26日は議員会館でたまりにたまった書き物や仕事をかたずけるために、1日中、議員会館にこもっていました。議員会館の滞在時間、書き物の多さでは、おそらく僕は国会議員の中でナンバー1だと思います。そんなこと、自慢にならないかもしれませんが、まあ、自己満足ということでお許しください。この日は、議員会館に隣接する日比谷高校が文化祭のようで、バンドの演奏がよく聞こえていました。文化祭というと懐かしい感じでしたが、バンドの演奏が最初は煩く感じられたのは歳のせいでしょうか。でも、聞いたことのある曲(リバイバルでしょう、きっと)もあったほか、ずっと耳にしていたらだいぶ馴染んできました。日比谷高校の皆さん、高校生活を大いに満喫してください。

27日、28日は懸案についての省庁ヒアリングや学者の皆さんとの勉強会などをこなし、これから(28日の夜)、斎藤まきこさんの演説会で名古屋に行きます。夜のうちに東京にトンボ帰りして、やっと明日から訪欧です。訪欧準備がまだ十分にできていません。明日の機中でしっかり勉強しなくてはなりません。行ってきます。


2004年8月30日

皆さん、こんばんは。8月はまだあと1日ありますが、今月は珍しく早めに活動報告をさせて頂きます。今は午後8時半、議員会館705号室からお送りしています。今朝、台風16号が九州に上陸し、現在は中国地方を縦断中です。ここは7階ですが、外の風の音がいかにも嵐という感じです。

先月分でご報告しましたとおり、岡田代表に随行して7月27日から渡米し、8月1日の午後2時50分に成田に到着しました。翌週は短いながらも国会が開催されました。財政金融委員会では、竹中大臣に対して参議院選挙期間中の発言について撤回を求めました。6月の活動報告でもご紹介しましたが、僕の所属する財政金融委員会では、先の通常国会でいわゆる公的資金新法が「中間報告」という手法で超強行採決されました。由々しきことです。この件に関して、竹中大臣は、選挙期間中に「野党が抵抗した」という発言を繰り返していましたが、全くの事実無根、いやいや、それどころかデタラメも甚だしい内容です。実際は、自民党内の意見対立、及び竹中大臣に対する反発から、自民党自身が審議を遅らせていたのが実情であり、結局日程が足りなくなって超強行採決に及んだというのが真相です。この件は、秋の国会でも引き続き追及しますが、事実と異なる真っ赤なウソを公衆の面前で堂々と発言するような大臣は、人間としてとても信頼に足るとは思えません。これでは議論する気にもなりません。竹中大臣には大いに反省を求めたいと思います。

9日から3日間、前原議員を団長とする台湾訪問団に参加しました。ご承知のとおり、台湾では今年の春の総統選挙で陳水偏総統が再選されました。しかし、投票日前日に陳総統が銃撃されたこと、連戦候補との票差が僅差であったことなどから、選挙後は大混乱に陥り、今でも票の数え直し、選挙の有効性を巡って議論が続いています。秋には裁判所の判断が下されると思います。

そんな中、総統選挙後の初の民主党訪台団として陳総統と面談してきました。陳総統の属する民進党は1980年代に誕生、2000年に初めて政権交代が実現しましたが、陳総統からは「私たちは十数年かかって政権交代を実現したが、日本の民主党にはもっと短い時間で政権交代を成し遂げて欲しい。政権交代は政治や国家の活性化のために必要だ」との激励を受けました。実際に政権交代を実現した総統の発言だけに、説得力がありましたね。その後、李登輝前総統、野党国民党の江丙坤立法院副院長(日本の副議長、連戦氏に次ぐ野党のナンバー2)など、多くの方々と面談しましたが、皆さん、一様に日本のおいて政権交代の可能性が高まっていることを意識した発言をされていました。これも参議院選挙の結果を受けた変化です。先の訪米でのホワイトハウスの対応といい、こうした変化を目の当たりにすると、有権者の皆さんの1票、1票が、外国政府の対日姿勢まで変えさせていることを痛感します。1票というのは、実はそれほど大きな影響力があるということを、有権者の皆さんには是非再認識して頂きたいものです。

ところで、台湾から戻った日はけっこうハードな移動日程でした。台北のホテルを朝6時半に出発、8時過ぎの飛行機に搭乗し、12時頃、関空に到着。関空から新大阪経由で名古屋に着き、そこから車で愛知県東部の新城市に移動。国政報告をさせて頂いた後、豊橋から新幹線に乗って東京に入りました。日本と台湾、台北、大阪、名古屋、豊橋、東京・・・同じアジアの地域だということを実感したスケジュールでした。

台湾から戻った翌々日、13日からはジャパンリーダーズカレッジ(JLC)の合宿。2泊3日の日程で、愛知県北設楽郡津具村に総勢70人弱が集まりました。社会人が大半ですが、皆さん日程をやり繰りして参加してくれました。熱心かつ真面目に議論や発表に取り組んで頂きました。脱帽です。こういう人たちがドンドンといろいろな分野で活躍してくれれば、日本の将来は明るい!!という感じです。合宿中には、硯(すずり)作家の名倉鳳山先生や名古屋大学の後房雄教授の講義も拝聴することができ、本当に有意義な合宿となりました。JLCの皆さん、9月以降も頑張りましょう。

16日の週は、東京でのラジオ(J−WAVE)出演などの日程を除けば、ほとんど地元にいました。最近では政務や党務が忙しく、なかなか地元日程が組めません。少しでも有効に使いたいと思いますが、本当に時間が足りません。地元の皆さん、不義理をして申し訳ありません。そうした中、21日の土曜日の夜は愛知県北設楽郡設楽町の夏祭りにお邪魔しました。手作りで、住民参加のまさしく「日本の祭り」という感じで、本当にいいですねぇ。真っ暗な中、田圃に上がる花火は、都会で見る花火とは全く異なる風情です。来年も是非伺いたいと思います。ところで、御神輿を引いていた里帰り中の学生さん、元気でしょうか。相当に飲んでましたからね。振舞酒の樽を引いていた女性の皆さんにもたいへんお世話になりました。ありがとうございました。

26日は東京で「次の内閣」の集中討議。憲法改正や郵政改革について、みっちりと丸1日議論しました。こうした重いテーマにも、今後は正面から取り組んでいく必要があります。27日からは、仲間の皆さんと再び2泊3日の懇親旅行。場所はやはり津具村です。これで3週連続で週末は北設楽郡入り。3年前の選挙の時には、東三河、奥三河に関してはほとんど土地勘がありませんでしたが、おかげさまで最近では全然遠い感じがしません。隣近所のような気がしてきました。

さて、明日は8月31日。東京日程を消化した後に、また地元に戻ります。9月も忙しくなりそうですが、引き続き頑張ります!!


2004年8月1日

皆さん、こんばんは。今は1日の午後10時、麹町の議員宿舎です。今日の午後3時に米国から帰国しました。4日間の渡米でしたので、ようやく時差に慣れた頃に帰国となり、今はまた睡魔に襲われています。NY時間では朝7時ですから、現地では徹夜明けの状態です。眠いはずです。

今回の渡米は、岡田代表の随行として行ってきました。27日に日本を発ち、シカゴ経由でボストン入り。27日、28日の両日、リチャードソン知事、フォーリー前駐日大使、ベーカー駐日大使のご尽力で、米国民主党の全国大会に出席。その間、ケネディスクール学長のナイ教授(70年代後半以降、民主党政権の要職を歴任。ケリー政権誕生時のCIA長官候補)、日本でもお馴染みのヴォーゲル教授とその門下生の学識者(やはり、ケリー政権下の政府幹部候補)、モンデール元副大統領などと会談し、28日夜にはワシントンに移動しました。

ワシントンでの29日は、超過密スケジュールでした。朝7時45分の加藤駐米大使との打ち合わせからスタートし、スコウクロフト元大統領補佐官(共和党)、リプトン元財務次官(民主党)、グリーンスパンFRB議長、ウッドローウィルソンセンター(WWC)での講演とディカッション、アーミテージ国務副長官(共和党)、ハドレー大統領次席補佐官(共和党)、グリーン国家安全保障会議(NSC)アジア担当部長(共和党)、CSIS(戦略国際問題研究所)のブリアー所長ほか関係者とのディスカッションといった日程で、夜10時過ぎからは同行記者団との懇談会を行い、散会となったのは日付が変わる頃でした。さすがに岡田代表もお疲れ気味でしたね。

ボストン、ワシントンでの米国要人との意見交換は極めて有意義でした。米国側が日本の二大政党化の進展を肯定的に理解してくれていることがよく分かりましたし、日米とも、政権政党がどこになろうとも、安定的、継続的な日米関係を維持することの重要性を確認しあうことができました。

岡田代表は30日の朝、ワシントンから日本に帰国。僕は鉄路でニューヨークに行き、ニューヨークのマスコミ関係者にブリーフィングを行うとともに、夜は総領事館の佐藤主席領事や日本の金融機関の皆さんと懇談をさせて頂きました。そして、1日の昼の便でニューヨークを離れ、東京に戻ってきたという経緯です。

さて、月末はこんな調子だった7月ですが、月初はご承知のとおり、第20回参議院選挙。6月24日の公示前後から、選挙の応援や本部の仕事でまさしく東奔西走の毎日でした。6月21日から11日連続で新幹線等での移動日、7月2日だけ東京に丸1日滞在したあとは、3日から投票日翌日の12日まで、また10日連続で移動日でした。とくに8日から10日にかけてはなかなか凄いスケジュールを体験しました。

8日の夕方、東京から愛知県の蒲郡市に行き、夜のうちに再び上京。翌9日、羽田から宮崎、宮崎で候補者の街宣カーに乗った後、福岡に移動。福岡から沖縄に入り、最終便で羽田に移動。羽田東急ホテルに泊まって、翌朝1番の便で伊丹に飛び、伊丹から新大阪経由で岡山、倉敷入り。倉敷周辺を再び街宣カーに乗って応援をした後、午後には名古屋に戻り、夜まで市内各所を遊説、という具合です。いやはや、なかなかいい経験をさせて頂きました。でも、愛知県の同僚現職議員2人に加え、選挙期間中に応援に行った全ての候補者が当選したので、本当に良かったと思います。残念なのは、日銀の後輩の川崎稔君(佐賀県選挙区)が惜敗したことです。選挙期間中も日程繰りの関係で応援に行けず、たいへん心残りです。でも、本当にあと一歩のところまで追い上げましたので、川崎君、臥薪嘗胆、次回に向けて頑張ってください。

選挙後は、渡米に向けた勉強会や、取り組んでいる政策課題について役所等との折衝、陳情処理などに追われ、アッという間に2週間が過ぎてしまいました。21日は税理士の先生方への国政報告会、23日は東京での勉強会。24日はジャパンリーダーズカレッジ(JLC)の第4回講義のため、経済同友会の渡辺正太郎専務理事に名古屋に来て頂きました。翌25日は、岐阜のまちづくりのイベントで、若い皆さんを対象に講演。また、この間に原稿書きなどもあり、本当にアッという間でした。8月は少し地元に落ち着きたいと考えていますが、来週は台湾行きもあり、なかなか思うようにスケジュールを組めません。夏バテしないように頑張ります!!


2004年7月1日

皆さん、こんにちは。いよいよ7月になってしまいました。第20回参議院選挙は11日です。メルマガの最新号でもご紹介しましたが、今回から、不在者投票制度に加えて期日前投票制度というものが導入されました。各市町村役場には、公示の翌日から、投票日と同様に投票できる投票所が用意されています。受付時間は、毎日午前8時30分から午後8時までです。不在者投票のように投票用紙を二重の封筒に入れて署名するといった煩わしさはなく、投票日と同様に投票用紙を投票箱に入れるだけです。7月11日がお忙しそうな皆さん、是非、期日前投票制度をご活用ください。貴重な一票を無駄にしないように、是非投票にお出掛けください。心からお願い致します。

さて、6月はなかなか激動のひと月でした。月初は年金法案の審議が徐々に佳境を迎え、スワ!!(・・・ちょっと古いですか?)、強行採決か、という緊張感が日一日と高まる中で始まりました。

3日の木曜日、財政金融委員会で福井日銀総裁に質問している最中に、「厚生労働委員会で強行採決が行われた」という情報が入り、審議はすぐに中断となりました。その後の対応が党内で協議され、僕は翌日の本会議で厚生労働委員長解任決議の賛成討論に登壇することとなりました。

4日の本会議では、去年も厚生労働委員会の強行採決阻止で大活躍した森ゆうこ議員が、解任決議の提案演説を3時間に亘って行いました。その後、僕も賛成討論を2時間に亘って行いましたが、不真面目に時間稼ぎをしたつもりは全くありません。年金財政計算が如何に曖昧でいい加減なものかということを、厚生労働省との交渉プロセスなどを披瀝して細かく説明させて頂きました。そういう事実関係も把握しないまま、強行採決を黙認してまで法案可決を認めた厚生労働委員長は、その不適切な対応の責任を厳しく追及されなければなりません。お時間のある方は、是非本会議の議事録をご覧ください。

その後、4日の深夜から5日の未明にかけて、ご承知のような本会議での混乱がありました。議長の解任決議案提出、副議長の議長席着席、副議長の「散会」宣言、野党退席後の本会議場になぜか解任対象になっている議長の再登場、そして議長による「散会」宣言の無効宣言、仮議長の選出、仮議長による解任決議案の採決、採決における3度のやり直し(いつも全ての議案に賛成しかしない与党議員が、条件反射的に解任決議案に賛成したために発生した事態、形式的には2度も議長の解任が成立した格好、何ともお粗末)、その頃には既に朝になっていました。何とも徒労感とむなしさの漂う一夜でした。残念!!

しかし、波瀾はまだまだありました。強行採決に伴う国会不正常化の後、紆余曲折があって、翌週、9日の水曜日には審議が再開されました。しかし、その段階で僕が理事を務める財政金融委員会はまだ3本の法案が残っており、しかも会期はあと1週間しかありませんでした。当然、そのうちの年金関係法案(国家公務員共済改正案)以外の2本(いわゆる公的資金新法関連2法)は、審議時間が足りないために廃案になるものと思っていました。ところがどうして、何と、年金法案の強行採決よりもヒドイことをやられました。

翌週、14日の月曜日、本会議の最中に、その2本を「中間報告」するようにという動議が与党から提出されました。「中間報告」というのは、委員会審議の過程で、本会議で審議の経過を聞くために用意されている議会報告の手法です。それ自体は異常なことではありませんが、問題は、その「中間報告」の直後に、さらに、「中間報告」をもとに直ちに本会議での審議、採決を行うようにという第2の動議が出されたことです。昭和20年代から30年代にかけて、この手法が乱用されたために、さすがに当時の与党もこの超強行採決手法を封印しました。その禁じ手を使ってきたのです。ヒドイことです。委員会でもほとんど審議をしていないうえ、委員会採決もしないで、いきなり本会議で「中間報告」、採決を行うということは、議会の自殺行為です。これでは、委員会主義をとる日本の国会の前提を自ら否定することになります。もはや、与党の横暴は極限に達していると言わざるを得ません。とりあえず、「驕れるものも久しからず」と申し上げておきましょう。

そのうえ、この経過について、最近では竹中大臣が「野党が公的資金新法つぶしをしようとした」と吹聴しているようです。竹中大臣のこの発言は誠に残念、遺憾と言わざるを得ません。もともと、この法案の審議時間が足りなくなったのは、なぜか与党がこの法案を1か月間も店晒しにした(議会用語で「吊しを降ろさない」と言います。要は、委員会に附託しなかった)ことが原因です。与党内でもこの法案には反対が多かったうえ、竹中大臣に対する反発もあっての動きだったと聞いています。

竹中大臣はこうした背景も全て知ったうえで、事実と異なることを公衆の面前やマスコミでしゃべっています。言語道断です。学者大臣の間はそれなりに敬意を払っていたつもりですが、嘘八百を並べ立てるインチキ政治家になって再び国会に戻ってくるようなら、少々対応を変えなくてはなりません。こうなると、竹中大臣の今までのイロイロな発言が、全て嘘のように思えてきました。人生イロイロ、大臣の発言も嘘八百でイロイロでは、さすがイロイロ総理の下で働くイロイロ大臣と言わざるを得ません。顔も見たくないですね。

おっと、つまらない話に労力を費やしてしまいました。いずれにしても、そんな訳で、今国会は非常に後味の悪い国会でした。こういう国会の状況を改善するためにも、やはり政権交代が必要だということを改めて再認識しました。政権交代の実現を目指して、引き続き頑張ります!!

閉会後は選挙の応援に集中・・・と言いたいところですが、上述の財政金融委員会の動きには与党の良識派議員も疑問を感じていたようです。財政金融委員会では、閉会後に事実上の地方公聴会である「委員派遣」を行うこととなりました。つまり、公的資金新法の追加審議のようなものです。

21日の月曜日に、名古屋市で委員派遣の懇談会を行いました。東海財務局、日銀名古屋支店、愛知県、名古屋市の関係者から地方金融の実情をヒアリングしたのち、金融界、財界から関係者にご出席頂き、たいへん貴重なご意見を拝聴致しました。ひとことで言えば、企業金融の実情に関して、財務省、日銀、及び地元行政当局の認識は非常に甘く、金融界は歯に物が挟まったような説明振りであった一方、財界、とくに中小企業や商店街関係者の認識は非常に厳しいという、極めて分かり易いコントラストでした。こういう認識ギャップを埋めるのが政治家の役割であり、今後もそういう視点で仕事をしていきたいと思います。

ところで、この日は台風で新幹線が止まってしまい、参加して頂いた議員の皆さんは帰路がたいへんだったようです。皆さん、お疲れさまでした。

翌22日は、憲法改正問題に関して電力総連の勉強会で講演をさせて頂きました。金融や経済をテーマにした講演依頼が多い中、こういうテーマで講演させて頂くと、自分自身の頭の整理にもなり、たいへん有意義でした。

26日の土曜日は、JLC(ジャパンリーダーズカレッジ)の第3回講義で、早稲田大学の足立恒雄理工学部長からお話を伺いました。第1回、第2回の、菅さん、中田さんとは異なる視点から、たいへんおもしろいお話を聞かせて頂きました。受講生の皆さんも満足したことと思います。足立先生、ありがとうございました。

28日の月曜日は、岡田代表の随行で、京都―滋賀―奈良―三重に行ってきました。岡田代表は、参議院選挙公示後、初の地元(三重)入りということで、演説にも一段と熱がこもっていました。

閉会後は、党務や選挙応援、おまけに上述のような諸日程から、開会中よりも忙しい毎日が続いています。21日以降は毎日新幹線でどこかに移動しています。今日もこれから名古屋に帰りますが、これで11日連続です。夏バテしないように頑張ります!!


2004年5月31日

皆さん、おはようございます。今日は月曜日、今は議員会館705号室にいます。暑そうな東京の空を眺めながら、今月の活動報告をお送りします。

実は今、スゴク顔が熱いです。少々ヒリヒリします。昨日は全国的に真夏日になり、暑い一日でした。朝はソフトボール大会の開会式、その後自衛隊の観閲式に参加させて頂いたのですが、このふたつでスッカリ顔が焼けてしまいました。

とくに自衛隊の観閲式でタップリと焼けてしまったようです。名古屋市には陸上自衛隊の守山駐屯地があり、第10師団が駐屯しています。昨日は、自衛隊発足50周年、駐屯地45周年、第10師団の改編及び42周年記念を兼ねた観閲式でした。戦車、大砲、ロケット弾、装甲車等を使ったテロ・ゲリラ組織掃討の「訓練展示」(自衛隊独特の言い回しのようです。要は訓練の実演です)を見学させて頂きましたが、さすがに迫力満点。治安維持には自衛隊の皆さんに十分に活躍して頂かなくてはならないことを感じたのと同時に、「訓練展示」が「実戦」になるような事態は何としても回避しなくてはならないことを痛感しました。

戦車砲や大砲の音は実にスゴイです。あの音が耳元で鳴り響き、火薬の臭いがたちこめ、死傷者を目の当たりにする実際の戦場の凄惨さは想像に難くないです。多くの帰還兵が精神的ケアを要するという話も納得できます。最悪の事態を避けるために、政治がシッカリと舵取りをしなくてはなりません。

さて、5月のはじめは、ゴールデンウィークを挟んで激動の2週間でした。菅さんを巡る展開は既に皆さんご承知のとおりですが、役員室の一員として仕事をしていた身としては、人ごとではありませんでした。菅さんは、海外出張直前の4月28日に国民年金未加入の時期があったことを明らかにしました。その後、ゴールデンウィーク中も事態は刻一刻と変化し、本来は10日帰国予定であった日程を変更して6日に帰国することになりました。帰国直前には僕からも菅さんに国内情勢をお伝えしましたが、帰国後の展開は僕の予想をはるかに超えていました。想定外の三党合意もあり、事態はさらに急変、10日の両院議員総会で菅さんが辞意を表明する事態となったことは、読者の皆さんご存じのとおりです。

その後、1週間あまりの紆余曲折を経て、岡田新代表が誕生しました。鳩山さん、菅さんを中心に発足した民主党が、新たな局面を迎えたと言えます。菅さんを巡る動きには、いろいろな背景があります。正しく報道されていない事実もたくさんあり、国民の皆さんが正確な情報に基づいた印象を抱かれていないことは、たいへん残念なことです。これは、鳩山さんの時も同じでした。不公正な情報操作や介入があることは政治の常とは言え、鳩山さん、菅さんのお人柄をよく知っている身としては、誠に残念なことです。このうえは、岡田新代表の下、鳩山さん、菅さんの志を継いで、党所属議員が一致団結して新しいスタートを切ることが必要だと思います。僕自身は新体制の下でも仕事は変わりません。鳩山さん、菅さん時代に引き続き、政調副会長や役員室次長の仕事を粛々とこなしたいと思います。どなたが代表であっても、政権交代を実現するために職務に精励することが僕の仕事です。引き続き地道に、真面目に職務に取り組みます。

5月10日、11日の決算委員会、財政金融委員会では、厚生労働省を巡る不祥事を取り上げました。詳しくはメルマガ72号をご覧頂きたいと思いますが、まったく言語道断ですね。厚生労働省や社会保険庁にも、真面目に働いている人はたくさんいると思います。幹部や一部の職員が不公正なことを行うと、十把一絡げで「みんな悪い」と言われてしまうことは、真面目に働いている皆さんにとっては辛いことだと思います。日本はどうもそうした傾向の強い国ですね。僕たち政治家も同様です。一部の政治家のせいで全体のイメージが悪くなることは辛いことです。そうした事態を改善するためには、それぞれの組織が自浄機能を働かせるしかありません。襟を正す、そういうことでしょう。

19日に新宿に講演に行った際、会場の隣の市川房枝記念館を訪問しました。子供の頃、学生の頃の記憶に残っている政治家というのは意外に数少ないものですが、皆さんはいかがですか。僕は、佐藤栄作元首相と市川房枝さんが非常に印象深く記憶に残っています。記念館を訪れてビックリしました。市川さんはなんと愛知県(尾西市)のご出身、同郷の大先輩でした。しかも、中日新聞の女性記者第1号だったそうです。愛知県で学校の先生としても働いていたようです。まったく知りませんでした。今回はあまりゆっくり記念館を見学できませんでしたので、また改めて訪問してみたいと思います。

22日はジャパン・リーダーズカレッジ(JLC)の第2回、横浜市の中田市長をお迎えして講義をして頂きました。たいへん有意義な話を聞かせて頂き、受講生の皆さんのみならず、僕自身もたいへん参考になりました。さすがですね。講義前に著書にサインする時間を作ってくださり、受講生の皆さんは長蛇の列。その人気ぶりにも圧倒されました。

中田市長の講義もさることながら、受講生の皆さんの熱心さにも感心しました。自発的にホームページや電子掲示板も制作してくれていました。懇親会もセッティングされ、受講生の皆さん同士ですっかり意気投合の様子、たいへんありがたいことです。こういう雰囲気になると、きっと1年間の活動は相当に有意義なものになると思います。今後の活動が楽しみです。

28日は水戸に行ってきました。去年の総選挙で茨木1区で戦った福島伸享(のぶゆき)君(経済産業省出身)主催の中小企業パワーミーティングのパネラーとして参加させて頂きました。福島君は次回総選挙に向けて地道な活動を続けています。こういう仲間がいればこそ、そしてこういう地道な活動があってこそ、社会を変化させていくことができるのです。頭が下がります。福島君、頑張ってください!!

さて、明日から6月です。年金国会も正念場、気合いを入れ直して論戦に取り組みたいと思います。福島君に負けないように頑張ります!!


2004年4月30日

皆さん、こんばんは。麹町の議員宿舎から活動日誌をお送りします。何とか4月中に活動日誌にとりかかることができましたが、時間は午後11時45分。終わる頃には5月に入っていそうです。

さて、4月に入って、5日に企業会計ワーキングチーム(WT)の会合を開催しました。昨年のWT設立以来、座長としてWTの運営をお預かりしています。来年から国際会計基準が国内でも適用されることから、このWTの重要性はますます高まりそうです。国会議員として取り組むべき課題は山積していますが、この分野は僕のライフワークのひとつです。今回は、来年の通常国会での法案提出が予定されている会社法制の現代化に関して、所管の法務省のほか、中小企業庁、金融庁、財務省に出席してもらいました。現代化の作業(カタカナ法をひらがな法にする作業)に合わせて、企業経営に関わる様々な対応が含まれており、今後の展開から目が離せません。

8日の木曜日は、愛知県の東北の角に位置する北設楽郡富山村に行ってきました。富山村は人口200人、日本で一番小さな村です。そんな村が愛知県にあることはあまり知られていません。朝、東京をたって富山村に行きましたので、日本で一番人口の多い街から一番少ない村を往復したことになります。新幹線で東京から豊橋に約2時間、豊橋からJR飯田線で2時間半かかります。最寄りの駅は大嵐(おおぞれ)駅。この駅はなんと天竜川を挟んだ静岡県側にあります。

現地では、川井村会議員や村の助役さんに村内を案内して頂きました。自然に囲まれ、実に心安らぐ村です。しかし、この村も三位一体改革に悩まされているようです。北設楽郡5町村での合併構想は頓挫し、現在は豊根村、東栄町との3町村合併を検討しているとのことでした。いずれも自主財源の乏しい自治体であり、合併で簡単に事態が好転するとは思えません。

ちょっとメルマガみたいになりますが、そもそも、三位一体改革を行わなくてはならなくなった原因は何でしょうか。言うまでもなく、国、地方の財政難ですが、財政難は中山間部のこうした自治体を苦しめて解決するのでしょうか。もちろん、中山間部の自治体には従来以上に補助金や地方交付税を大切に使ってもらいたいと思います。しかし、中山間部の自治体を都市部周辺の自治体と同様に扱うことには無理があるでしょう。

中山間部の自治体は、都市住民に安らぎを与えるために、自然環境や日本の古き良き伝統や田園風景を守ってくれていると考えれば、国や地域全体で支えていく必要があります。富山村では都会の子供たちを受け入れての山村留学制度にも取り組んでおり、自然環境を守るだけでなく、伸び伸びとした子供たちを育てることにも貢献しているのです。三位一体改革を地方に押し付ける前に、都市と山村の役割分担や日本の目指すべき将来像を示していないことが日本の政治の最大の欠陥だと痛感しました。

もちろん、中山間部も含め、地方自治体は無駄遣い体質を徹底的に改めることが必要です。国の無駄遣いも目に余るものがあります。国や地方の無駄遣いを本気でなくしていけば、かなりの財源が捻出できるはずであり、中山間部の自治体に無理な三位一体改革を押し付ける必要もなくなるでしょう。

おっと、完全にメルマガモードになってしまいました。富山村を訪問した翌日、古巣の日銀を訪ね、速水優前総裁にご挨拶をさせて頂きました。僕が選挙に出ることになった時には、政策委員会室という部署で速水総裁にかなり近い立場でお仕えしていました。総裁の地方講演の随行などもさせて頂きました。そんな中、急に報道先行で参議院選挙立候補の話が出てしまいましたので(詳しい経緯は過去の活動日誌をご覧ください)、総裁に怒られるかなと思っていましたら、「しっかりやりなさい」と言って総裁は気持ちよく送り出してくださいました。本当に感謝しています。

当選して委員会質問の初登板の議事案件は何と日銀半期報告、速水総裁を相手に質疑をさせて頂くこととなりました。今だから言えますが、実にやりにくかったですね。その後も何度も速水総裁と質疑をさせて頂き、日銀による株買い取りが問題になった際にはずいぶん反対意見を述べさせて頂きました。お世話になった総裁に反対意見を述べるのは辛いことではありましたが、持論を論理的に展開し、国会で日銀の政策が建設的に論議される環境を整備することこそが、「しっかりやりなさい」と送り出してくださった総裁へのご恩返しと肝に銘じ、粛々と仕事をさせて頂いたつもりです。速水総裁、本当にお世話になりました。ありがとうございました。ご退任直後にご挨拶に伺えず、その後はいろんな問題や仕事に巻き込まれてタイミングを逸してしまいましたが、漸くご挨拶ができ、やっと肩の荷がおりました。次は藤原前副総裁にもご挨拶に伺わなくてはなりません。

10日、11日の週末はジャパン・リーダーズカレッジ(JLC)のオリエンテーションを開催しました。JLCは人材養成スクールとして名古屋に開講するものです。不肖、僕が理事長を務めさせて頂き、NPOの第一人者である後房雄名古屋大学教授がカリキュラム委員長を務めてくださいます。ちょっと大袈裟に言えば、名古屋で開講する「平成の松下村塾」というところでしょうか。

50人の定員に対して、80人以上の応募がありました。オリエンテーションでも応募してくださった皆さんの熱意がヒシヒシと伝わってきました。応募者は18歳から60歳代まで、会社員、公務員、学生、主婦をはじめ、現役の地方議会議員や大学教授も含まれています。応募者の皆さんが、将来、それぞれの専門分野で活躍されるとともに、この中から議会で活動する新しい人材が出てくることを期待しています。25日(日)に菅直人民主党代表を特別講師としてお招きし、開講式、及び第1回の講義が行われました。第2回は中田宏横浜市長が講師です。この活動日誌でも、毎月の動きをご報告させて頂きます。

23日(金)の夜は、大垣に行き、有名な「史跡・赤坂お茶屋屋敷、牡丹園」をお訪ねしました。牡丹園を代々守っておられる矢橋さんのお世話になり、素晴らしい牡丹園とお茶屋屋敷で貴重なひとときを過ごさせて頂きました。この史跡のルーツは、徳川家康公まで遡ります。家康公が江戸と京都の往復時に使うために設けた御休所がそもそもの始まりだそうです。その後、一時は織田信長公の岐阜城千畳敷御殿を移築し、合計で61棟もの建物が林立した時期もあったとのことです。近世の交通史にとって初期本陣の貴重な遺構であることから、史跡に指定されています。矢橋家のご厚意で史跡が維持されているとともに、無料で一般公開されていますので、ご興味のある方は是非一度お出掛けください。実に素晴らしいです。

さて、GWは地元と東京を行ったり来たりです。当選後3度目のGWですが、一昨年は鳩山代表との軽井沢合宿、昨年は菅代表との沖縄視察でした。今年は地元日程のほかは、議員会館や地元事務所で残務処理に精を出したいと思います。


2004年4月1日

皆さん、おはようございます。今は4月1日の午前8時半、議員会館705号室から先月の活動日誌をお送りしています。天気は快晴、暦も新年度に変わりました。社会人の皆さんも、学生の皆さんも、気持ちも新たに頑張ってください。

議員宿舎を出てくる際に、地震のニューステロップが流れていました。愛知県常滑市で震度3と出ていましたが、珍しい地域で地震ですね。震源の深さは10キロメートル、マグニチュードはたしか3.9ぐらいでしたでしょうか。東海大地震の想定震源域も西方シフトしていますので、少々気になります。

さて、3月は予算審議や雑誌記事の執筆などで忙しいひと月でした。ご承知のように、今年は参議院選挙があります。参議院は3年に1度、半分づつ議員が改選されます。民主党の今年の非改選組は30人程度です。改選組(今年選挙のある議員)は既に選挙準備活動に入っていますので、国会審議の実務(国会対策など)を行ったり、何度も質問に立つことはできません。したがって、非改選組の30人足らずで国会を回しています。審議時間は衆議院の8割ぐらいはあります。衆議院では180人近くで運営していたものを、30人足らずで対応する訳ですから、本当にたいへんです。

僕は財政金融委員会の理事という仕事をしています。この委員会を、与党の理事と協議して運営するのが仕事です。同時に、財政金融委員会の非改選組の仲間は3人しかいませんので、質問も長時間行わなくてはなりません。もちろん、たくさん質問できるということは国会議員として有り難いことですが、それなりの準備も必要ですので、これもまた、たいへんな作業です。このほか、予算委員会や金融問題特別委員会にも所属していますので、そちらの方にも対応しなくてはなりません。通常国会はあと3か月ですが、体調に気をつけて乗り切りたいと思います。

この間、3月は経済誌に3本原稿を書かせて頂きました。ダイヤモンドは為替について、金融ビジネスは公的資金新法について、東洋経済は経済見通しについてです。とくに経済見通しに関しては、現在、竹中大臣や谷垣大臣と論争しているホットな問題です。今後もまだ続くと思いますので、ご興味のある方は、東洋経済の記事や、3月11日の予算委員会、18日と24日の財政金融委員会の議事録をご覧ください。景気や経済学に興味のある方にはけっこうおもしろい展開だと思いますよ。議事録は議会のホームページからご覧になれます。今はエコノミストに寄稿する年金の話を書いているところです。年金制度改革論議もいよいよ本番ですので、よく頭を整理して書かせて頂きたいと思います。

ところで、3月は地元の大先輩の議員が不祥事を起こして逮捕されるという残念な事件が起きました。同じ党に所属する議員として、有権者の皆様に深くお詫びします。ちょうど騒動の最中に佐藤元議員の地元で講演予定が入っていたり、逮捕当日に連合の皆さんの春闘に向けた1万人集会で党を代表して挨拶させて頂く予定が入っていました。何とも巡り合わせが悪い役回りでしたが、それぞれの会合で、真摯にお詫びをさせて頂いたつもりです。

明るい話題と言えば、その同じ日に、「ジャパン・リーダーズ・カレッジ(JLC)」という人材養成スクールの説明会を開催しました。本当に間の悪い日に当たったことから、参加者が少なくなることを心配しましたが、蓋を開けてみたら会場は満席の状態でした。3月末の応募者数は80人に上り、本当に有り難いことです。JLCは、党派を超えて、政治・経済・学術・文化のあらゆるフィールドで活躍するこれからの人材を育てようという試みです。言ってみれば、愛知県に開校する「平成の松下村塾」です。カリキュラム委員長は名古屋大学の後房雄教授、不肖私が理事長を務めさせて頂きます。講師陣は、神野直彦東大教授、寺島実郎三井物産戦略研究所所長、中田宏横浜市長、足立恒雄早稲田大学理工学部長、渡辺正太郎経済同友会専務理事をはじめ、錚々(そうそう)たる顔ぶれです。開校日には、菅直人民主党代表も記念講演に来てくれます。応募者の皆さんとともに1年間一緒に学ぶことができることを今から楽しみにしています。

5日の金曜日は、大学時代のゼミの仲間が久し振りに集まりました。皆相変わらずで楽しいひとときでした。11日はキャリア・デザイン・フォーラムというNPOで講演をさせて頂きました。自分のキャリアパスをどう作っていくかというテーマであり、経済政策や政治を話題にするいつもの講演とは勝手が違ってちょっとやりにくかったです。でもいい気分転換になりました。

12日は沖縄に飛んで、牛肉のセリを見学させて頂きました。畜産農家が牛を育て、牛の解体、牛肉のセリ、そして販売、本当にたいへんな仕事です。私たちの食卓はこういう仕事があって支えられていることを、もっと認識すべきでしょうね。食糧安保云々と言うからには、こうした現実をよく知る必要があります。それにしても、同じ牛一頭が、格付け(肉の質によるランク分け)でセリの段階で3倍も値が違うのには驚きました。

さて、4月もきっとあっという間でしょうが、整斉と職務に精励したいと思います。


2004年3月1日

皆さん、こんにちは。只今、3月1日(月)の午後6時、議員会館705号室です。今日は朝方よりも昼間の方が寒く、午後には雪やみぞれが降っていました。寒の戻りということでしょうか。それにしても、またひと月終わってしまいました。本当に早い。毎月同じ感想で恐縮ですが、実に早い。ため息が出ますね。

さて、今月は懸案だった事務所の新春交礼会を7日の土曜日に開催することができました。思い起こせば3年前、2001年の今頃は、銀行は退職した、地元には戻った、選挙に出ることは決まっている、でも後援会も何もない・・・という状態で、とくかく見よう見まねで選挙準備活動を行っていました。そんな中の3月1日、まさしく3年前の今日、名古屋市内のクラウンホテルに、昔からの知り合いや親族など、本当にごく身近な人たちが200人ほど集まってくれました。日銀退職から2か月後のことです。「OK21の会」というタイトルで、まさしく「励ます会」を開いて頂きました。今や67号まできたOKマガジンの「OK」もこの時の命名に由来しています。僕の選挙準備活動はそこから本格的にスタートしたと言えます。集まって頂いた皆さんには、感謝の気持ちで一杯です。

しかし、当選後は多忙を極め、その時以来ゆっくり話もできていない人も多く、今回の新春交礼会ではその際にお集まり頂いた皆さんを中心に声をかけさせて頂きました。そんなわけで、先輩・同僚議員を含め、その後お世話になっている多くの皆さんに十分にご案内することもできませんでしたが、何とか無事に新春交礼会を開催させて頂くことができました。今年は一昨年3月に他界した母の喪中明けの年にも当たりましたので、改めて再スタートを切らせて頂くにはちょうど良い節目になりました。これを機会に、気持ちも新たに政治家としての活動に励まさせて頂きたいと思います。皆さん、よろしくお願い致します。頑張ります。

新春交礼会と同じ日に、電子医療情報フォーラムというお医者さんたちの集まりで話をさせて頂きました。経済や金融関係の講演はたくさんさせて頂いていますが、医療情報の電子化というテーマは初めてです。とは言え、実は医療政策には関心があってそれなりに取り組んでいますほか、日銀時代にはシステム部門にも勤務していたこともあり、こういうテーマは嫌いではありません。新鮮な気分で楽しく話をさせて頂きました。今後もこういうテーマでのご要請があれば、喜んで対応させて頂きます。しかし、お医者さんたちばかりを200人近く前にして話をするのは、いつもと少し様子が違いましたね。通常であれば笑いをとれるようなところでも、皆さん笑いません。政治家の話ということで、聞かれる方も少しとまどっておられたのでしょうか。それとも、日々の診療活動でお疲れだったのかもしれません。先生方、本当にお疲れさまです。

11日には自衛隊のOB会である愛知隊友会の新年懇親会に出席させて頂きました。僕も名誉会員にさせて頂いております。ご承知のとおり、愛知県の小牧基地からは航空自衛隊の皆さんがイランに派遣されています。隊員の皆さんが職務を遂行されて、無事に帰国されることを心からお祈り致します。名古屋市内の守山区には陸上自衛隊の第10師団もあります。若い隊員さんたちがいっぱいです。自衛隊員の皆さんは2年ごとの任期契約です。たしか、曹(昔風に言うと下士官)になる方以外は8年までしか所属できないと聞いています。このご時世では、その後の再就職とかもたいへんでしょうね。一度ゆっくり隊員の皆さんのお話を伺ってみたいと思っています。

13日は、ジャパンリーダースカレッジ(略称、JLC)開設の記者会見でした。JLCは、民主党愛知県連の主催で行う企画です。政治、経済、文化など、さまざまな分野を担っていく人材を育てることを目的に、今年4月に開校します。1年間のコースで定員は50人。講師陣は、寺島実郎三井物産戦略研究所所長、神野直彦東大教授、中田宏横浜市長、後房雄名古屋大学教授など、錚々たる顔ぶれです。もちろん菅直人民主党代表も講師に入って頂いています。民主党の候補者養成機関ではありません。むしろ、党派や分野を超えた交流によって、これからの日本を担う人材が集まり、議論する場を提供したいと考えています。分かりやすく言えば、「平成の松下村塾」です。ご興味のある方は、是非、お問い合わせください(TEL052−951−8171)。

22日の日曜日、名古屋から東京に行く新幹線に乗ろうとしたら、目の前の男性から「大塚さん」と声をかけられました。何と日銀時代の同僚だった真水君です。僕が日銀に入行した当時は、本店に入行した新人は数ヶ月たつと支店に修行に行くことになっており、僕は新潟支店に配属されました。そこで、地元入行の同期だったのが真水君です。同じく僕と一緒に新潟支店に行った加藤君、地元入行の丸山君の4人が、新潟支店での入行同期です。よく遊びました(もちろん、仕事もしました)。あまりの懐かしさに東京までの車中、グイグイと飲んでけっこう酔っぱらってしまいましたが、真水君がくれた新潟のお酒「ふなぐち菊水」が久し振りで実においしかった。真水君、ごちそうさまでした。

最後の週は、党務やら雑誌の原稿書きやらで、机に向かう時間が長く、政治家というよりは研究者のような毎日でした。地元日程がない土日も議員会館にこもり、じっくり仕事ができました。さて、いよいよ3月、参議院に予算案が回ってきます。気合いを入れて職務に精励したいと思います。


2004年2月1日

皆さん、こんばんは。今日は麹町の議員宿舎から活動日誌をお送りしています。明日から参議院にイラクへの自衛隊派遣や補正予算を巡る法案が送付されてくる予定ですが、先週末の衆議院のゴタゴタはご承知のとおりです。明日は午前9時から予算委員会が開催されるとの連絡も入っていますが、さて、どうなることやら・・・長い1週間になりそうです。

今年のお正月も慌しい日程でしたが、それでも4年振りにお正月気分を味わえた気がします。2000年の暮れに急遽日銀を退職し、01年のお正月はとにかくバタバタ状態でした。家族の生活基盤、自分の地元での活動基盤など、全てを立ち上げる必要があり、とてもお正月どころではありませんでした。選挙後のその年の暮れ、母が倒れ、02年のお正月も落ち着かないお正月でした。結局、母は3月14日に他界し、03年のお正月は喪中でした。今年は、国会での仕事、地元の体制などがようやく少しづつ軌道に乗りつつある中、4年振りに妻の実家にも新年の挨拶に行くことができ、足掛け5年のバタバタがやっと一段落したという感じです。気持ちも新たに仕事に取り組みたいと思います。

三が日のうち、スケジュールのない時間帯は地元の事務所で久し振りにデスクワークができました。未整理のままの選挙時の資料などを少し片付けることもでき、「こんな人にもお世話になった」「あんな人にもお世話になった」という記憶がドンドン甦ってきました。「今年こそはご挨拶に行かなくては・・・」と、気ばかりが焦ります。

6日(火)の夜は毎年恒例の常滑商工会議所の新年会です。中部国際新空港の開港がいよいよ1年後に迫り、地元の皆さんのムードも盛り上がっていました。9日(金)は名古屋市会議員の補欠選挙の告示日です。同僚の古川元久衆議院議員の秘書であった近澤昌之君が出馬しました。政治の世界を目指して東邦ガスを辞めて5年、近澤君もいよいよ勝負の時です。出陣式は大勢の支持者に囲まれ、近澤君、一段といい顔をしていました。近澤君は結局、見事当選しました。応援してくださった皆さん、本当にどうもありがとうございました。

10日すぎまで新年会が続いた後、12日(月)、13日(火)の党大会を節目にだんだんスケジュールの密度が高まってきました。15日(木)に今年初めての講演を2つこなしたのを皮切りに、今月は7回の講演等をさせて頂きました。今年もできるだけ多くの皆さんにお話させて頂ければ幸いです。言論を通じて少しづつ世論を変えていくのも政治家としての重要な仕事だと考えています。

17日(土)には北設楽郡東栄町にお邪魔しました。愛知県の東北の端です。車ではなく、鉄道で行ってみました。豊橋からJR飯田線です。豊橋駅はJRと名鉄がホームを共同使用していましたが、こういうことも利用してみないと分からないですね。豊橋から東栄までは何と1時間半です。東京―名古屋が1時間半ですから、ちょっとビックリです。しかし、東栄町の先にはさらに人口が日本最少の富山村があります。富山村まではさらに1時間ぐらいかかるようです。その日は大雪で、何とも言えず美しい風景を堪能させて頂きました。駅に着くと東栄町の原田町議が車で出迎えてくださり、助かりました。県道は事故と雪で通行止めになっており、鉄道で行って正解でしたね。その足で原田町議と東栄温泉に行き、雪の露天風呂も満喫・・・おっと、温泉に入りに行った訳ではありません。そのあとは、地元の鈴木克昌衆議院議員の後援会でお話をさせて頂きました。帰りはさらにビックリ。名古屋での日程が入っていたのですが、東栄から豊橋に向かうよりも、一度逆方向に行って(つまり北上して)急行に乗り換えた方が早いということで、中部天竜駅まで行きました。行きの車中では昼からご機嫌(ほろ酔い加減)の地元のオジサン、富山村に演奏会に行くという鳳来町のご婦人、帰りの東栄駅では静岡から愛知の自動車学校に通っているという高校生グループ、いろんな人と話ができました。たまには鉄道で県内行脚をするのもいいものですね。

19日(月)はいよいよ国会開会です。今国会は財政金融委員会の理事ということで、委員会運営もしなくてはなりません。委員の皆さんに迷惑をかけないようにシッカリと仕事をしたいと思います。

20日(火)、22日(木)と、夜は自民党の先生方と一緒になる会合が続きました。とくに22日は柳沢前金融担当大臣、大木元環境大臣と同席させて頂き、いろいろと勉強になる話を聞かせて頂きました。今後とも、党派を超えて先輩方から多くのことを学ばせて頂きたいと思います。

30日(金)は日銀時代からの知人・友人を中心にした勉強会。と言っても、今回は議員宿舎の和室での宴会。久し振りに楽しい時間を過ごさせて頂きましたが、次回はちゃんと「勉強会」にしたいと思います。参加してくださった皆さん、ありがとうございました。さて、明日からはさらにネジを巻いて仕事に精励します。頑張ります!!


2004年1月1日

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、今は元旦の午前6時半、地元事務所から先月の活動報告をお送りしています。「元旦のそんな朝早くから事務所で何をしてるの?」という読者の皆さんの声が聞こえてきそうですが、政治家のお正月は「お正月であってお正月ではない」のが実情です。元旦の未明から会合があり、夜が明けてからも行事が続きます。僕もこれから三河方面に出かけますが、その間を利用して事務所に入り、活動報告をお送りしている次第です。

でも、元旦から仕事をしているのは政治家だけではありません。実に多くの職業の皆さんが元旦から仕事をしています。政治家という仕事に就いてよかったことのひとつは、視野が広がったことです。日銀時代も比較的世間を知っている方だと密かに自負していましたが、こういう世界に入ってみると、社会の広さ、奥深さは想像以上です。多くの皆さんに支えられて、社会全体の日常生活が営まれています。感謝の気持ちで一杯です。

日銀時代にはシステム部門(システム情報局)に所属していたことがあります。日銀でもシステム部門の当直職員の皆さんは大晦日、三が日もコンピューターセンターに出勤しています。僕自身も休日出勤していた頃が昨日のことのようです。当直の皆さん、本当にご苦労様です。

さて、11月の末に足利銀行が破綻したことから、先月はこの問題に関連した対応に追われる日が続きました。12月5日には所属している参議院財政金融委員会でも閉会中審議が行われました。理事としての初仕事です。残念ながら、竹中大臣の答弁、金融庁の対応は、過去の経緯に照らすと首尾一貫性がありません。詳しい話は経済誌に寄稿している記事等(ホームページの資料コーナーにもアップします)をご覧頂きたいと思いますが、今月19日から始まる通常国会でも、足利銀行問題は引き続き議論されることと思います。因みに、15日には2回目の閉会中審議が行われます。参考人にご出席頂き、事実関係について議論させて頂く予定です。

23日の天皇誕生日には、党の栃木県連の招請で宇都宮市に行ってきました。足利銀行問題の公開説明会で講演と質疑応答をさせて頂きましたが、会場には足利銀行の増資に応じた株主の皆さんが多数いらっしゃっていました。大半が出資に応じた資金が焦げ付いた人たちでしたが、「地元経済への貢献、郷土愛から出資に応じた。経営は大丈夫だという幹部の説明も信じていただけに、誠に残念。それにしても、企業(足利銀行)には救済措置がとられ、個人には救済措置がまったくとられないのは納得がいかない」というご意見が多かったような気がします。このご指摘は、日本経済の現状、あるいは問題点を凝縮していると言えます。本来、債権放棄や公的資金投入という対応は例外的措置=ルール違反なのです。しかし、例外的措置が常態化してしまったために、例外的措置の対象にならない企業や個人が不公平感を感じるようになっています。例外的措置を極力「例外」にとどめる国の運営をするべきなのか、例外的措置を「例外」ではなくすような対応をするべきなのか、今年はそうした点にも結論を出さなくてはいけない事態に直面するかもしれません。おっと、だんだんメルマガみたいになってしまいました。この問題に関連した内容はOKマガジンの最新号でもとりあげています。ご興味のある方は是非ご覧ください(ホームページにバックナンバーがアップしてあります)。

6日の土曜日には、コンタクトレンズで有名なメニコンが主催するコンサートで素晴らしい音楽を楽しませて頂きました。僕自身、メニコンのコンタクトレンズのユーザーですが、同社の田中秀成社長は小学校時代の同級生でもあります。卒業写真も隣同士で写っています。小学校時代はおとなしい印象だった田中君ですが、今や日本を代表する新進気鋭の経営者としてご存知の方も多いことと思います。同社はメセナ、あるいはフィランソロフィー(社会貢献活動)の一環としてコンサート活動をずっと続けているようで、僕も何回も拝聴させて頂いています。実にいい気分転換になります。とくに今回は、若手バイオリニストの奥村愛さんのテクニック、奏でる音に感銘しました。また聴いてみたいものです。企業も社会的存在です。とくに大企業には、メセナやフィランソロフィーに積極的に取り組んでもらいたいものです。義務とも言えるでしょう。「そんな余裕はない」という状態になったら、企業としての存在意義を自問自答することが求められます。企業の「健康診断」のいいバロメーターかもしれませんね。

月の後半に所用で群馬県に行ってきました。ちょうど大雪の日で、車が180度回転するスリップを体験してしまいました。幸い対向車の距離が遠く、後続車もいなかったために事故にはなりませんでしたが、ヒヤッとしました。月末にかけてはヒヤヒヤする出来事やアンラッキーなことが続きましたが、年も明けたことですから、1年分の厄が落ちたと思って、心機一転、気持ちも新たに職務に精励したいと思います。

それでは皆さん、本年もどうぞよろしくお願い致します。


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