活動報告(2006年)

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2006年12月9日

こんばんは。先月と同様、9日になっての活動報告となりました。時間帯も先月と同じくもうすぐ10日になるところ。最近は地元にいる時間がますます長くなり、今日も名古屋の自宅から活動日誌をお送りします。

11月を改めて振り返ってみたところ、講演が18回もありました。忙しいはずです。選挙モードもどんどん高まり、会合へのお誘いや挨拶日程がビッシリ。その合間をぬっての講演ですから、以前よりも繁忙感が格段に高まっています。加えて国会日程。我ながらよくやるなぁというのが実感です。

先月は11月9日までの活動報告でした。翌10日は名古屋市公会堂で愛知県知事候補予定者の石田さんを応援する会。いわゆる勝手連の会合でした。知事選挙もいよいよヒートアップです。スピーチ後に電車で刈谷に向かい、参議院選挙の推薦御礼のご挨拶。その後は再び名古屋にとって返し、会合に出席。因みに、この日は午前中に上京。夕方、名古屋に帰ってきてからの動きです。

11日は岡崎市で大学のOB会(岡崎稲門会)に出席させて頂きました。大先輩たちの前での講演はいささか緊張します。12日の日曜日は市議会の先輩議員の皆さんの会合をハシゴ。その合間にまた講演。

13日の月曜日は、来春の統一地方選挙の新人候補の皆さんの街頭演説講習会。本部から野田佳彦衆議院議員も参加してくれました。14日は早朝から大垣市の友人の会社を訪問。会社経営について示唆に富むお話を聞かせて頂きました。その後は選挙本番さながらの日程ですが、夜は急遽お通夜が2件。お世話になった先輩県会議員のお母様が逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。

15日は終日知多半島の挨拶回り。16日は久々に1日中、東京日程。夜は関西学院大学の東京オフィス主催のカリキュラムで講義をさせて頂きました。関学東京オフィスの責任者は村尾教授。そう、ニューズゼロのキャスターの村尾さんです。村尾さんは以前の活動日誌でもご紹介しましたが、元財務官僚で三重県知事選挙にチャレンジしたのを契機に転身。ニュースキャスターははまり役ですね。村尾さん、頑張ってください。

17日もハードでした。昼すぎに東京から名古屋入り。非常にタイトな日程を綱渡りで消化しながら、最後は午後9時前に設楽町に到着。国政報告会です。と言うより、お待ち頂いた皆さんと一献。楽しい時間を過ごさせて頂き、その日は設楽町に投宿。翌朝、今度は犬山に直行し、犬山、名古屋で講演を3つハシゴ。17日から18日にかけては、さすがに疲れました。

19日の日曜日も、朝のバス旅行見送りから始まり、稲沢市長選出陣式、高浜市長後援会総会など、夜まで日程の隙間がありません。20日は朝一番で上京し、夕方には豊橋に入って、夜は名古屋。翌21日は夕方以降の地元日程が立て込み、夜に予定されていた東京での講演をキャンセルさせて頂きました。攻究会OB会の皆さん、誠に申し訳ありません。講演日程をキャンセルしたのは初めてかもしれません。それほど地元日程が逼迫してきたということです。今後は講演日程を入れるのも慎重にしなくてはなりません。

22日は国会日程を終えた後に地元へ。そして、23日からは4日連続で早朝バス旅行の見送りです。4日連続は前回の選挙以来かもしれません。この4日間は、国会日程、地元日程を消化するため、東京、名古屋、県内各地を思い出せないほどグルグル行き来しています。26日は、東区で県議選に立候補する「4児の母さん」佐藤ゆうこさんの事務所開きもありました。後見役の河村たかし衆議院議員のほか、東京から鳩山幹事長も駆けつけてくれました。その後は石田さんの事務所開き。知事選挙も統一地方選挙も盛り上がってきました。

27日は特筆すべき出来事がありました。夕方、東京から豊橋入り。挨拶回りや会合に出席した後、午後7時からの豊田市での会合に向かうために東名高速道路に乗ったところ、音羽蒲郡インターを過ぎた辺りで事故渋滞。全く車が動かなくなりました。

さて、困りました。ここで、運転中の秘書君が「大塚さん、この際、高速バスのバス停から徒歩で降りて、電車とタクシーで豊田市に向かったらどうですか」と進言してくれました。一か八か(イチかバチか)。高速道路から出ると名鉄本宿駅に疾走(・・・というほど格好良くありません。いい歳になってきましたので青息吐息)。

ホームに上がるとほどなく急行列車が入線。乗車して東岡崎駅へ。そこからタクシーに乗り換えて「運転手さん、高速に乗って豊田市に」とお願い。タクシーの運転手さんの見事なテクニックで無事に時間どおりに現地到着。まさしく選挙本番さながらの対応となりました。

それにしても秘書君のクリーンヒットです。この秘書君、今月から薬剤師としての仕事を休業して事務所入りしてくれることになった中村君。今後が期待できそうです。中村君、頑張ってください。

26日から12月1日までの6日間は毎日、東京―名古屋間を往来。6日連続は久し振りです。そして12月1日の夕方から夜は、「講演会+激励会」の開催日。予想を上回る多数の皆さんにご参加頂き、嬉しい悲鳴です。皆さん、本当にありがとうございました。また、わざわざご来場頂きました小沢代表、誠にありがとうございました。

12月に入っても状況は変わりません。とくに2日は、12月最初の講演も入り、移動行程も相当ハードな1日となりました。3日、4日は地元日程。5日から8日は4日連続で東京―名古屋移動日。とくに7日は、久し振りに東京―名古屋間を1往復半。そして今日が9日。こうして活動日誌で振り返らないと、過去ひと月のスケジュールを思い出すことができません。

いよいよ今年もあと僅か。体調維持に気をつけて、選挙の年を迎えたいと思います。


2006年11月9日

こんばんは。今日は11月9日、いや、もうすぐ10日になるところです。先月に続いて名古屋の自宅から活動日誌をお送りします。前回の活動日誌も10月8日。最近は忙しさのあまり、月末月初に予定している活動報告が遅れがちです。遅れ具合がそのまま忙しさの程度を反映しています。読者の皆さん、どうぞお許しください。

10月9日の祝日(月曜日)は久しぶりに議員会館にこもって予算委員会の準備。13日は金融財政問題の集中審議ということでバッター(質問者)に立つように指示を受けました(野球に喩えて表現するのが議会用語として定着しています)。安倍首相に初質問の予定です。10日以降も地元日程が目白押しのため、早めに準備をしないと時間がないということで議員会館にこもりました。

ようやく準備を終えてヤレヤレと思っていると「北朝鮮が核実験実施」というニュースが飛び込んできました。こういう事態になると予算委員会の内容や国会日程にも変更がありうるとの予感が的中。予算委員会のテーマは北朝鮮問題の集中審議に変更され、バッターも交替。安倍首相との初質疑は次回のお楽しみとなりました。ちょっと残念でしたね。

ところで、10日の朝8時半には議員会館に2人の学生君が来訪。早稲田大学の松井君と慶應義塾大学の関君です。2人とも就職が決まったのでインターンとして社会勉強をしたいということです。最近では議員会館で活躍するインターンも珍しくなくなりました。政治家事務所での学生インターン活動を支援するドットジェイピーのような団体も増えています。学生の皆さんにとって政治が身近になることは良いことだと思います。こうしたインターン経験者の中から、今後は政治にチャレンジする人も増えてくることでしょう。世の中、変わらないようでドンドン変わっています。

12日は講演ハットトリック(サッカーで1試合に3得点することをハットトリックと言います)。朝は東京パレスホテルの朝食会で講演。そのまま新幹線で豊橋に移動。蒲郡市近郊の三谷温泉で講演。さらに夜は名古屋に移動して講演。過去にも1日3回の講演は何度か経験はありますが、東京、名古屋、プラスさらに1箇所というジプシー講演は初めてのことかもしれません。

13日、14日は東京日程、地元日程をこなした後、15日は後援会のバス旅行。実家の会社の関係者や他界した父母の知人・友人を中心とする集まりです。前回の選挙の際にもお世話になった皆さんばかりです。長野県豊丘町での松茸スキ焼き満喫ツアー。道中、飯田市の元善光寺を訪問。抱腹絶倒の法話を聞いて大笑いでした。本来の法話はご住職がお話になりますが、ご住職ご不在の際は実の弟さんが代役として登場。今回は弟さんのお話でしたが、その内容はご住職とほぼ同じだそうです。兄弟揃って実に芸達者(と言っては怒られるかもしれませんね)。何はともあれ、天気にも恵まれ、僕自身も久し振りに日帰りバスツアーを楽しみました。アレンジして頂いたのは元名古屋市会議員の渡辺和明先生とその後援会の皆さん。本当にありがとうございました。

16日の週は挨拶回りや支援団体の皆さんの会合に出席する日程がビッシリ。その合間をぬって、18日は3か月の1度の東京での勉強会。19日は母校・早稲田大学での講義。そういえば、今年度後期から母校の客員教授を務めることになりました。母校で教壇に立てるのは本当に嬉しいことです。総合研究機構が開講する「地域連携と地域経済」というカリキュラムを担当しています。

20日夕方の浜松での会合からの帰途、浜松駅のホームで同級生の公認会計士・前田君にバッタリ。車中でユックリ話ができました。ところが、偶然の出会いの嬉しさのあまり、ひかりに乗るところをこだまに乗車。次の日程に間に合わずに大失敗しました。誠に申し訳ありませんでした。

嬉しいと言えば、18日は日銀時代の上司でもある名鉄・木下社長を表敬訪問。秘書の黒田君も僕も木下社長の部下として働きましたので、黒田君と一緒に伺いました。ますますお元気そうで何よりです。県内にはほかにも元上司がたくさんいますが、なかなかお伺いする時間がないのが残念です。

21日の土曜日は日頃からお世話になっています元愛知県議会議員の吉岡先生の奥様が出展されている仏教美術展を見学。奥様のプロ級(といういより事実上のプロ)の素晴らしい仏画に今年も感嘆の極み。本当に驚くばかりです。僕もいずれは仏像彫りや仏画にチャレンジしてみたいと思いますが、さてさて、時間と才能があるかどうか・・・。

23日の週も挨拶回り、会合出席、講演で埋まる毎日です。26日は再び早大での講義。講義終了後にはゼミの先輩でもある藁谷教育学部長(現在は「院長」というそうですが・・・)と歓談。楽しいひと時でした。

28日の土曜日も講演が2回。これで10月は講演等が13回。講演後は、9月に閉講したJLC(ジャパン・リーダーズ・カレッジ)の仲間が僕の自宅に集まっての懇親会。盛り上がりました。31日は地元ラジオ局の定例インタビュー取材。来年の選挙に向けての抱負などを聞かれると、いよいよ近づいてきたなという実感がつのります。

さて、11月入りしましたが、11月1日には大きな変化が起きました。事務所に中村君という新しい秘書君が加わりました。薬剤師としての仕事を休止しての事務所入りです。強力な即戦力として、初日から大活躍。事務所の活気が増してきました。中村君、期待しています。

10月から11月初にかけて断続的に続いていた実家の補修工事も一段落。5日の日曜日にはご近所への挨拶回りも終わり、ようやく落ち着いてきました。

そして、今日までの9日間に講演が4回。明日も2回です。今月は合計15回の予定です。過密日程が続きますが、講演をさせて頂けるのはたいへんありがたいこと。何とか日程の都合をつけて、今後も続けていきたいと思います。


2006年10月8日

おはようございます。今日は名古屋の自宅から活動日誌をお送りします。前回の活動日誌は9月3日でしたので、今日は9月4日以降を振り返ります。

9月は国会開会前ということもあり、地元日程中心のひと月でした。講演等は14回。そのうち22日は福岡まで行ってきました。前日21日は議員会館で取材日程が入っていましたので、21日の朝は名古屋、昼から東京に移動し、夜には空路福岡へ。翌日は講演を終えて再び名古屋に帰りました。実は中部国際新空港を実際に利用したのは今回が初めて。シンプルで機能的な空港だと実感しました。これでもう少し名古屋から近いとさらに良いのですが、贅沢は言えませんね。

福岡には過去にも何度か行っていますが、空港と中心部の距離、ウォーターフロントの活用状況など、利用者、訪問者の立場から感じる都市機能としては非常に良くできていると思います。名古屋も見習う必要がありそうです。

5日は名古屋市内の病院で講演させて頂きました。医師や看護師さんの人手不足、相次ぐ医療制度の変更で疲弊し、当惑する医療現場の声を再確認させて頂きました。医療にも関心をもって取り組んでいますが、引き続き頑張らなくてはいけないと決意を新たにしました。

9月の日程で特筆すべきは23日の学生、若手社会人の皆さんとの懇談会。自宅の2階で車座になって国会のビデオを見てもらった後に、懇談と質疑応答。「もっと政治を身近に感じたい」という皆さんの声に応じ、世話役・今枝君の尽力で実現しました。こうしたことを通じ、若い皆さんが政治を身近に感じることは本当に有意義なことだと思います。現在20歳代の皆さんも、アッという間に社会の中心世代になります。早くから政治や社会の動きに関心を高め、自分たちの意見や考え方を発言していってほしいですね。期待しています。

30日はジャパン・リーダーズ・カレッジ(JLC)の最終回。昨年7月からスタートした第2期も終了です。最終講義はJLCの名誉校長でもある北川正恭早稲田大学教授。通算3回目の講義を聞かせて頂きました。JLCは一昨年の第1期からカウントすると足かけ3年、準備段階から数えると足かけ4年の企画でした。参加して頂いた受講生の皆さん、ご協力頂いた関係者の皆さん、ありがとうございました。第2期の成果として「ふつうの国民が考えたニッポン」(小学館スクウェア)という本を出版しました。書店にも並びますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。受講生の皆さんが真剣に日本のことを考えた成果が詰まっています。

26日からは臨時国会が始まりました。安倍新総理の誕生です。9月は地元日程が中心でしたが、10月は再び東京と地元の往来が増えそうです。とは言え、選挙も来年に迫り、これまでの国会開会中の日程とは様変わりになると思います。10月入り後、昨日までの7日間をみても終日東京だった日は1回だけ。逆に終日地元が4日間。

10月5日でまたひとつ歳が増えました。誕生日国会での仕事に精励しつつ、健康管理に気をつけて頑張ります。


2006年9月3日

皆さん、こんにちは。地元事務所から活動日誌をお送りしています。前回の活動日誌は8月6日の午後にお送りしました。それ以降の動きを振り返ります。

6日の夜は地元、覚王山の盆踊りに顔出し。7日は後援会幹事会の後、上京。8日は党務をこなした後に、夜は高校・大学を通じての先輩と会食。楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

9日は久し振りに東京―名古屋間を往復。10日の午前中は東京での面談等をこなした後、地元に戻り、夜は日進市へ。11日から17日は1週間連続で名古屋に張り付き。12日は毎年恒例の旭丘高校バレー部のOB会。久し振りに痛飲しました。懐かしい先輩にも会えました。幹事さん、ありがとうございます。来年は昼の部にも出席して、現役高校生の皆さんとの試合にも挑戦したいものです。

13日は守山区吉根の夏祭り。14日はこの夏、唯一の完全オフ日。とは言っても、事務所の事務整理や実家の片付けに明け暮れました。15日は祖父母の代からお世話になっている西区の明導寺での盂蘭盆会法要。

お盆ムードもこの3日間だけで、16日からは再び通常モード。18日は、日中の日程をこなして夜遅くに翌日の大阪9区補選の応援もかねて京都入り。

19日は朝一番で京都嵐山・法輪寺の藤本副住職を訪問。藤本副住職は以前にも活動日誌に登場しましたが、愛知県・鳳来寺の住職でもあります。25日に講演をして頂くお願いもかねてお伺いしましたが、談論風発、有意義な懇談をさせて頂きました。2時間ずっと正座をしたままお話をされていましたが、さすがですね。真似できません。

20日はわが家の法事。父の一周忌です。今年はいよいよ両親のいない新年とお盆。寂しさがいっそう募ります。とは言え、仕事の日程は待ってくれません。法事の後に諸会合に出席し、夜は設楽町の夏祭りに。初めて神事の折に神殿に上がらせて頂きました。山深い町のお祭は、実に風情があります。

21日は毎月恒例の弘法さんかわら版。22日は上京して、23日に帰名。さて、24日から28日までは思い出すのも困難なほどハードな日程でした。遠隔地での会合に加え、25日から27日はJLCの合宿。しかし、合宿の間も名古屋方面での日程があります。28日は大阪9区補選の応援。

・・・と言うことで、24日朝からの日程を地名で振り返りると、名古屋―蒲郡―名古屋―鳳来寺(新城市)−名古屋―津具(設楽町)−名古屋―知多―大府―津島―津具(設楽町)−名古屋―大阪―茨木―京都―名古屋―岡崎―豊川―名古屋・・・で、ようやく28日の就寝時間。さすがに疲れますね。

29日は名古屋。30日は名古屋―東京、31日は東京―豊橋―名古屋と移動しながら、各地で講演や勉強会。そして9月入り。1日は名古屋―豊橋―名古屋。2日は名古屋―豊川―名古屋―犬山―名古屋と、1日に300キロ近い移動距離。運転は同級生の浅井君が助けてくれています。浅井君、ありがとうございます。

そして今日は3日。武道の演武大会でご挨拶させて頂きました。さすがに空手や合気道をしっかりと学んでいるだけあって、礼儀正しく、元気なお子さんたちがたくさん。何だか明るく、さわやかな気分にさせて頂きました。ご指導頂いている先生方や大会関係者、ご父兄の皆さんに敬意を表したいと思います。さて、これから上京します。それでは、また来月。


2006年8月6日

皆さん、こんにちは。今日は地元事務所から活動日誌をお送りしています。前回の活動日誌は中国から帰国直後の7月6日でしたので、今日は7月7日以降の動きをご報告します。7月は地元と東京の移動が非常に多いひと月でした。思い出しただけでもため息が出ます。

帰国直後の7日は東京での日程をこなして夕方から地元へ。翌8日は税理士の先生方との勉強会。9日の日曜日は終日、地元事務所で事務整理。溜まっていた懸案が少し片付きました。その後、上京。

10日は役所からのレクや取材を精力的にこなして、夜は中央大学大学院の講義。講義後は、訪中随行記者団との懇親会。裏話で盛り上がりました。11日は早朝の新幹線で地元に戻り、日中は挨拶回りや葬儀出席、来年の選挙に向けた打ち合わせなど。夜は国政報告会を行った後、参加者の皆さんと懇親会。結局、最終の新幹線に間に合わず、久々の夜行列車「銀河」で上京。12日も東京での日程をこなした後、夕方から地元に帰って、また最終の新幹線で上京。13日は朝から取材やレクが立て続けに入り、夜は講演会。出席者は金融のプロばかり、しかも金融界の大先輩たちもいましたので、専門的な質疑応答が多く勉強になりました。ありがとうございました。そして、また名古屋へ。14日の日中は挨拶回り。夜は国政報告会終了後にまた上京。15日はお世話になっている先輩のご子息の結婚式。ご子息と言っても、僕の勉強会にも参加してくれている新進気鋭の商社マン。将来が楽しみです。披露宴の後は名古屋に戻り、JLCの特別講師として来名してくださった成蹊大学の安念先生と会食。その後はJLCの皆さんと合流して合宿の打ち合わせ。さすがに連日の移動で疲れます。16日はようやく終日名古屋日程でホッとしました。でも朝5時からの会合に出席するなど、相変わらずの日程です。我ながら丈夫だなと思いつつ、でもやはり少し疲れが溜まってきています。

17日は「愛知サマーセミナー」の企画で、高校生の皆さんと懇談会。楽しく、有意義な時間を過ごさせて頂きました。高校生の皆さん、将来の日本を背負うために充実した学校生活を送ってください。期待しています。その後は上京して、夜は僕のセミナーの受付などを手伝ってくれた早稲田の後輩諸君と懇親会。久々に大隈通りの金城庵に行きました(ローカルな話題で恐縮です)。今日は1日「学生デー」でした。その後、再び名古屋へ。

18日は朝から挨拶回り。夜は上京して同僚議員と打ち合わせ。19日は終日党務、取材、講演、レクに追われた後、夜は3ヶ月に1度の東京での勉強会。そしてまた名古屋へ。20日も挨拶回りですが、久々に東京への移動なし。21日は毎月恒例の「弘法さんかわら版」の配布日でしたが、あいにくの雨で人出が少なく残念でした。夜は会合をハシゴです。22日は朝から静岡県の舘山寺に出向いて講演。名古屋に戻って夕方からは蒲郡へ。14区の鈴木衆議院議員の国政報告会に出席させて頂きました。翌23日は上京して会議に出席した後、再び名古屋へ。

24日は朝一番で高校の大先輩にご挨拶に伺った後、上京。夜は中央大学大学院の前期の最終講義。学生の皆さん、お疲れ様でした。25日は朝8時から党務会議。午前中一杯出席した後、地元へ。名古屋駅に到着すると、その足で北設楽郡町村議員会議出席のために設楽町に直行。会議後はまた名古屋駅に戻って上京。26日は党務や原稿書きをこなした後、夜は勉強会をかねた懇親会。久々に神田日銀通りに行きました。懇親会の後は名古屋へ。27日は地元日程の後、上京して小学館の皆さんとJLCの出版打ち合わせ。打ち合わせ終了後はまた名古屋へ。28日は終日地元。もうすぐ父の一周忌。この日は実家に行って遺品の整理。

そして、29日、30日は毎年恒例の事務所のサマーキャンプ。今年は50人以上の方が参加してくださいました。市町村合併で旧津具村は設楽町になりましたので、今年からサマーキャンプ@津具村改め、@設楽町です。今年の7月は全国的に豪雨、長雨でしたが、2〜3日前から天候も回復。まずまずの天気の中で楽しい時間を過ごさせて頂きました。とくに、今年は鳥羽水族館の中村名誉館長にお出で頂き、おもしろい話を聞かせて頂きました。館長、ありがとうございました。

30日はキャンプから戻ってすぐ、日進市の岩藤天王祭りへ。その後、上京。31日は午前中に党務をこなした後、名古屋へ。3区の近藤衆議院議員の会合に出席させて頂いた後、今度は豊川に行って14区の鈴木衆議院議員の国政報告会へ。参加者の皆さんの熱心なご質問で盛り上がりました。

7月は以上のとおりですが、ひょっとして根気強くここまで読んで頂いた方も、読んだだけでも疲れたかもしれませんね。前半に訪中で4日間日本を離れていたにもかかわらず、7月中の東京―名古屋の移動回数は25回。うち1回は夜行列車。疲れるはずです。

さて、8月に入ると一変。今日までの6日間、ずっと地元です。1日は幸田町長選挙の出陣式。なんと28年振りの選挙です。2日は15区の森本さんの勉強会。3日は14区鈴木衆議院議員の設楽町での国政報告会。これで、1週間のうちに3度の設楽町入りです。設楽町がずいぶん近く感じられるようになりました。4日は早朝から実家の遺品整理。夜は幸田町長選挙の演説会。5日はいくつかの会合に出席させて頂き、今日6日は朝5時から動き出し、午前中は蒲郡での講演。そして、さきほど事務所に帰ってきました。さて、明日以降も健康に気をつけて頑張ります。


2006年7月6日

皆さん、こんばんは。今日は東京の議員宿舎から活動日誌をお送りしています。さきほど、中国から帰ってきたばかりです。

さて、前回の活動報告は6月8日でしたので、9日以降の動きを振り返ります。国会も終盤となり、残された法案審議や会期末処理で何となく気ぜわしい日が続きました。この国会中に診療報酬が改定され、医療制度改革(?)法案も可決。そうした動きに関連して、10日の土曜日には「股関節友の会」という会合に顔を出させて頂きました。股関節を手術したり、人口関節を使っている患者さんや元患者さんの集まりです。4月からの診療報酬改定でリハビリの保険対象期間が5か月間に限定されたため、4月からリハビリを受けている人は8月までしか保険給付が受けられません。リハビリは誰でもが5か月で完了するわけではありません。また、脳梗塞等に伴う障害のリハビリは長期間に亘ります。これを一律5か月で区切ることは、医療や病気の実情に合っていないとの切実な訴えを聞かせて頂きました。もっともな話です。今後の国会でも医療制度の不合理な運営を正していく必要があります。

「股関節友の会」の後は税理士の先生方との勉強会。翌日の日曜日にかけていくつかの会合をハシゴ。日曜日の昼過ぎから車で河口湖に向かいました。緑区の皆さんが朝から河口湖バス旅行に出かけたのを追っかけて行ったのですが、バスが宿に着く直前に追い抜きました。道中、僕が中央高速を運転。同乗してくれた小中学校の同級生の浅井君は、僕を河口湖に降ろすと名古屋にトンボ帰り。お疲れ様です。

夜の宴会で皆さんと懇親を深めた後、翌日の委員会質問に備えて河口湖から東京へ。各駅停車で大月に出て、そこから中央線。久し振りにあずさに乗りました。

12日の月曜日は、午前中に医療関係の取材を受け、午後は行政監視委員会で川崎厚生労働大臣と医療問題の質疑。週末から医療関連の案件が続いています。夜は僕のホームページをボランティアで制作してくれている中学の同級生の中本君と打ち合わせ。翌13日は名古屋市の上社中学の国会見学。引率の校長先生は僕及び家内=奥さんの中学時代の担任だった野田先生。そういえば、週末のバス旅行にはやはり中学時代の恩師である速川先生が参加してくれていました。浅井君、速川先生、中本君、野田先生と、連日、同級生、恩師に会えるのは嬉しいことです。元気になります。

その日の夜は小沢代表との期別懇談会と正副幹事長懇談会。14日は朝から会議や会合が続き、夜は行政改革特別委員会の打ち上げ。懇談会や打ち上げが続くのも会期末の風物詩ですが、なかなかゆっくりは参加できませんね。15日、16日は会期末処理の委員会や本会議。16日は夕方から地元に帰り、急逝した友人の小原正義さんを偲ぶ会に出席。心優しく、人との出会いを大切にする方でした。心からご冥福をお祈り致します。友人や関係者で相談して、小原さんが主宰していた「いっぱい飲む会」がこれからも続くようにしたいものです。偲ぶ会の後、県庁職員の皆さんとの会合に出席。最終の新幹線で再び上京。

17日は日銀時代の後輩(教え子)、山本さんの披露宴に出席。おめでとうございました。山本さんの同期や同僚の皆さんも参加していましたが、それぞれ元気そうで何よりです。僕自身が採用や研修を担当した皆さんばかり、これからの世代です。頑張ってください。その後、名古屋に帰り、18日は朝から諸会合の日程を消化して上京。18日の日中は東京で政務、党務、夜は中大大学院の講義。そして、その後地元へ。

さて、19日以降は挨拶回りと講演の日々。そんな中、22日は選挙に向けた広報資料の打ち合わせ。24日、25日はバレーボール大会の開会式に参加。開会式前に久し振りにパスやレシーブをやらせて頂きました。来年はプレーに参加したいですね。余談ですが、僕は小学校6年からバレーを始め、中学、高校もバレー部。大学では同好会に加え、他大学の女子部コーチ。社会人になっても地域のクラブチームや銀行のバレー部に参加。バレー歴は35歳までの24年間。長い付き合いです。

26日の週も挨拶回りの日々を送りつつ、政務、党務もあって、東京―名古屋を連日行ったり来たり。6月の移動日は14日間でした。月末の30日は久しぶりに東京―名古屋間を1往復半。朝の地元日程からスタートし、午後は東京日程。そして、夜は地元の古くからの友人の皆さんが会合を開いてくれました。そして、翌日の結婚式に備えて再び上京。

1日は僕の事務所でインターンをしていた英国人のジョナサン・ベイツ君の結婚式。ジョン君は先月の活動報告にも登場しています。明治神宮での結婚式では、和装の英国人による国際結婚ということもあって一般参拝者からもたくさんのカメラのフラッシュを浴びていました。ジョン君、おめでとうございました。ジョン君は非常に優秀で真面目で信頼できる好青年。乾杯のスピーチをジョン君に英訳してもらいましたので、末尾に掲載させて頂きます。ジョン君に興味がある方はご覧ください。

結婚式の後は地元入りし、一宮市(旧木曽川町)での国政報告会。一宮市議の笹岡先生、衆議院候補者の杉本さんが企画してくれました。隣県から岡田元代表もかけつけ、良い雰囲気の会合となりました。そぐそばで地元の神社の夏祭りが行われているにもかかわらず、ずいぶん多くの人にお集まり頂きました。ありがとうございました。木曽川町は昨年他界した父の故郷(出生地)。また足を運ばせて頂きたいと思います。2日は地元日程。そして夜には東京へ。

翌3日からは、小沢代表、菅代表代行、鳩山幹事長の訪中に随行させて頂きました。王家瑞中連部長(党外交部長)、唐家国務委員と会談。そして、4日は人民大会堂で胡錦涛主席と会談。たいへん貴重な経験をさせて頂きました。会談の内容、小沢代表や中国側の発言は機微に触れますのでここではご紹介できませんが、中国の現状と課題を皮膚感覚で確かめることができました。中国とどのように交流していくのかは、日本にとって本当に重要で繊細な問題であることを実感しました。

5日早朝、北京飯店で目覚めてテレビをつけると、北朝鮮のミサイル発射のニュースが飛び込んできました。すぐにメモをとって一緒に北京に来ていた細野衆議院議員の部屋へ。日本の河本秘書からも一報が入りました。そこからは、小沢代表の適切かつ迅速な判断で、野党として日本のために取りうる行動を速やかに実行。中連部の李軍局長に中国としての適切な対応を申し入れ。翌6日にも武大偉外務次官、王家瑞中連部長に同様の会談を行いましたが、その模様はテレビのニュースでご覧頂いた方もいらっしゃることと思います。北朝鮮のミサイル発射がもう1日早かったら、胡錦濤主席との会談にも影響したかもしれません。歴史の綾というのは、本当に不思議なものです。

5日午後は天津に行って浜海新区という渤海湾経済圏の中心を見学。中国経済の実情を自分なりに感じ取ることができました。百聞は一見にしかずですね。周恩来首相の記念館も見学。これもたいへん勉強になりました。そして、6日は再び天津から北京に移動して帰国の途へ。さきほど宿舎に帰って来た次第です。明日からも頑張ります。

<ジョナサン・ベイツ君について>Toast: Kohei Ohtsuka

Jon, Shiho, congratulations on your wedding. I would also like to extend my sincere congratulations to both the Bates and Kawachi families.

My name is Kohei Ohtsuka, a member of the House of Councillors, and I feel honored to be asked to give the toast today. In past, I have been consulted 3 times by Jon about extremely important matters and before I raise my glass for the toast I would like to explain about my and Jon’s relationship. But, before you start, you should know that there is nothing particularly strange about our relationship.

At the time when Jon was aiming to enter graduate school in Japan, he also frequented a society called the Anglo-Japanese Society. At this society, he consulted with a certain person about his desire to study Japanese and British politics and public policy. That certain person is Mr. Matsushima, now Senior Executive Advisor to Credit Suisse Securities. Mr. Matsushima was previously a director of the Bank of Japan and was in fact my boss when I myself worked at the Bank of Japan.

As a result of this relationship, Mr. Matsushima contacted me. By that time I had already resigned from my job at the Bank of Japan and had moved into the world of Politics. He said to me that he’d met “an extremely earnest good young British man who wants to study more about Japanese politics and public policy making. I would like it very much if you could let him intern at your office.”

Then, I met Jon for the first time. This was also the first time I was consulted by Jon. Meeting him he seemed such an earnest and sincere Brit straight out of picturebook almost, and moreover his Japanese was so accomplished that I was taken aback. In Japan these days there are many young people who cannot speak a sufficient level of formal polite Japanese. Therefore, I was really taken aback by Jon’s fluent and appropriate use of polite Japanese. Knowing that at university he had studied philosophy, I asked him “what kind of study did you do?” Then, all of a sudden, he started talking about Kierkegaard’s existentialist philosophy in Japanese. I expect it would be difficult even for a Japanese to explain about Kierkegaard’s existentialist philosophy in Japanese. So, even though Jon is a very earnest and sincere young man, from a Japanese perspective he is also a somewhat strange foreigner.

Then, soon after entering my office as an intern to study, he passed the entrance exams for both Keio and Waseda University Graduate school and I naturally assumed that he would then enter one of the two schools. However, one day, with a serious face, he said to me “I would like your opinion about something.” This was the second time he consulted me. “To tell you the truth, I have been offered an informal offer by Sony to work there. What should I do, should I work at Sony or should I proceed to graduate school?” he asked.

After graduating university and becoming a working man, I, myself, have experience of having done research at graduate school while working. Therefore, I told Jon that “you can go to graduate school whenever you want, you can commute even while you are working, in fact it is perhaps best to build your career first before studying. In addition, your parents in England are no doubt concerned about you, it is wise to first build your career, and succeed independently.” As a result of this advice, Jon chose to enter Sony.

The third time Jon consulted me was shortly after entering Sony. One Sunday evening, he calls me to ask there is something I would like to ask your advice about. We meet at the Sky Lounge of the New Otani hotel in Akasaka and he says “I’ve met a fantastic woman who works at Sony, what should I do?” What we discussed after that is secret but the woman we discussed that day was Jon’s new wife sitting here today, Shiho.

People who were sitting in the surrounding seats probably wondered what a Japanese politician and a British man were discussing in earnest in such hushed tones at the New Otani sky lounge, perhaps an important foreign affairs matter but the fact of the matter was that no one could have guessed that we were having a high level very human discussion about how he could capture the heart of this beautiful young woman he had just met. Jon is perhaps the only British person who would think of asking a Japanese politician for advice in a situation like this. In Japan we call a man like this a man of great caliber (or in slang “a big cheese”).

If it is already clear from what I have already said what I want to say then I am happy but if it had not been for this third “consultation” from Jon perhaps we would not be all sitting here today celebrating this fantastic day. In Japan, we call the relationship that I have with Jon,「足を向けて寝られない」, in other words, he will not be able to repay me for all that he has given me.

After these consultations, as a friend Jon has given me various work-related advice and support. In addition, he has been my English teacher. However, it is probably Jon’s fault that my English as yet shows no sign of improvement. Therefore, I have one request for you post-marriage: don’t just think about your married life with each other, please don’t forget to help me with my English study.

Without much more ado, I would like to raise a toast to the happy couple. I sincerely hope that this fantastic couple having this international wedding today can serve as a bridge promoting further goodwill between our two countries, both for their own wonderful future happiness and for their two families prosperity. To that I would like to raise a toast, “cheers!”

Congratulations. I wish you every happiness together.

July 1, 2006
Kohei Ohtsuka


2006年6月8日

皆さん、こんにちは。議員会館705号室から活動日誌をお送りします。もう6月8日。先月末から今月始めにかけて、相変わらずの忙しさから活動報告がこんな時期になってしまいました。ため息が出ます。

前回の報告はゴールデンウィークの谷間の5月1日。1日の夜は中央大学大学院の講義。2日はたまっていた党務を精力的に片づけた後、夜はフランス人のヤブコさんが来訪。中央銀行の独立性や日本の金融政策について調べている研究者ということで、約1時間半、熱心なヒアリングを受けました。その際、通訳としてかつて事務所のインターンをしてくれたイギリス人のジョン君も同席。フランス人、イギリス人、日本人の3人で、英語と日本語と、時にフランス語が飛び交う疲れる1時間半でした。もっと英語の勉強をしなくてはなりません。人生、ずっと勉強ですね。

3日、4日、5日は久しぶりに子どもと水入らずで水に入りました(?)。5日の夜からはまた仕事。ゴールデンウィーク明けからは行政改革特別委員会が本格始動。僕も理事なので委員会に張り付きです。昨年の郵政民営化特別委員会に続いて疲労困憊の毎日でした。5月はとにかく特別委員会に終始したひと月。なかなか他のことができませんでした。

委員会では、18日の「行財政改革の核心」というテーマの集中審議に登板。小泉首相とは通算7回目の質疑を行いました。24日は谷垣財務大臣を中心に質疑を行い、この2回の質疑の中で、行政改革に関する僕なりの提言、指摘を体系立てて行ったつもりです。ご興味がある方は、議事録や僕のメルマガをご覧ください。

15日、16日は鳥取県で地方公聴会を開催。片山知事やソンズ株式会社の鈴木さんほか、参考人の皆さんから貴重な意見を拝聴できました。ありがとうございました。15日の夜はJR鳥取駅前のホテルに宿泊しましたが、夜8時過ぎになると閑散とした街の雰囲気に驚きました。県庁所在地のJRの駅前でこうですから、他の地域は推して知るべしでしょうか。地方都市、地方経済のテコ入れ策を国全体でもっと真剣に取り組む必要性を改めて実感しました。

特別委員会一色のひと月でしたが、その間を振り返ってみると、9日は小沢代表との期別懇談会、13日はJLC、14日は他界した両親と親しくして頂いた皆様を中心とする後援会の立ち上げ会を開いて頂きました。ありがとうございました。父や母を偲びながら、これからも両親が親しくして頂いた先輩の皆様のご指導を受けながら人生を歩んでいきたいと思っています。いずれにしても、夜や土日は相変わらず日程がビッシリ。

そんな中でも、特筆すべきは20日に新城市で行われた鳳来寺の藤本高全新住職の就任祝賀会。実はこの高全住職、小学校の同級生です。鳳来寺は徳川家康のご母堂が子宝祈願を行って家康公を身ごもったお寺で開山1300年の歴史があります。3代将軍家光の時代には、家康公を偲んで東照宮も造営されました。たいへん山深い神秘的なお寺で、古来より山岳修行の場として有名です。一度、鳳来寺のホームページで由来等をご覧ください。

どうしてその高全住職と僕が同級生かと言うと、ちょっと説明が必要になります。鳳来寺は真言系のひとつの宗派の総本山。その分寺が京都・嵐山の法輪寺。そのため、藤本家は鳳来寺と法輪寺を行き来するために、中間地点の名古屋に居宅があったようです。その家が名古屋市千種区の覚王山日泰寺の脇にあり、僕の小学校の学区内だったということです。高全住職とは小学校だけでなく、実は幼稚園も一緒でした。8年間、同じ学校に通った竹馬の友ということになります。もちろん、子どもの頃はそういう事情は全く知らず、野球やイタズラに精を出していた関係です。

さらに驚いたことに、高全住職の奥様は僕がいつもお世話になっている方のお嬢さんでした。世間は狭いですね、まったく。いずれにしても、鳳来寺は素晴らしいお寺です。ご興味がある方は、是非一度お出掛けください。

翌21日の日曜日は朝から大忙し。早朝のソフトボール大会の挨拶から始まって、バス旅行見送り、春日井市長選挙出陣式、織田信長縁の丸根砦慰霊祭挨拶、午後もいくつか会合に顔を出した後、夜は春日井市長選挙の応援演説をハシゴ。自分の選挙本番のような日程でした。

翌週も特別委員会の審議が続く中、夜は地元を中心に講演が3回。特別委員会に夕方まで出席しながらの東京と名古屋の往来はなかなか大変。結局、特別委員会は25日に終了し、翌26日の本会議で法案は可決されました。行政改革はこれからが本番です。

5月は講演等が10回。ゴールデンウィークがあってのこの回数はやや多めだった印象です。29日は三谷温泉まで出掛けて行っての講演。31日は若手の皆さんを対象にお話をさせて頂きました。皆さん、熱心に聞いてくれるのでこちらも力が入ります。

6月に入ると国会が大詰めになるとともに、来年の選挙を巡る動きが活発化。僕の周辺も騒がしくなってきました。12日の行政監視委員会で今国会最後の質疑に立ちますが、閉会後は徐々に選挙モードにギアチェンジ。頑張ります。


2006年5月1日

皆さん、おはようございます。議員会館705号室から活動日誌をお送りします。ゴールデンウィークの真っ最中ですので、議員会館もさすがに閑散としています。連休明け後の国会論戦の嵐の前の静けさという感じです。

4月は、講演などが16回、新幹線での移動日も16日、とくに月後半に移動日が集中して月末は少々グロッキー気味。しかし、今月は何と言っても小沢代表の誕生と千葉7区補選が印象的なひと月でした。

前回の活動日誌は4月2日。前原代表の辞意表明直後の報告でしたが、ご承知のとおり、新代表を決める両院議員総会は7日の金曜日。予算成立後の週でもあり、国会内外の雰囲気は代表選挙一色の一週間でした。そんなことから、この週は日程の合間を縫って溜まっている諸々の挨拶回りや議員会館での事務整理に勤しみました。ということは、逆に言えば、第3週(10日週)以降に講演や移動日が集中。前半と後半でかなり差のあるひと月でしたね。

7日の代表選挙の翌日は、朝は地元の自治体議会選挙の応援に行き、午後は上京して大学院の後輩の十文字君の結婚式。会場は舞浜のシェラトンホテルで、久し振りにディズニーランドを見ました。入ったわけではありません。電車とモノレールの中から見ただけで、スッカリ行った気分。僕はディズニーランドには過去1回しか入ったことがありません。サラリーマン時代、まだ子供が幼稚園ぐらいの頃に家族4人で行きましたが、あまりの人の多さにゲンナリ。どちらかと言うとアウトドア派を自認する自分としては、人込みは苦手です。でも、久し振りに外から見ただけでも、華やかで賑やかな雰囲気が伝わってきました。これだけ長期間に亘って人気を維持するのは大変なことです。ディズニーランドの企業努力の成果でしょう。また、多くの皆さんに楽しみを提供していることは素晴らしいことです。

結婚式後に再び名古屋に帰って、今度は党の広報紙の取材対談。鳥羽水族館の中村名誉館長と「珠蘭会」を主宰する藤田珠蘭さんにご登場頂き、新生・小沢民主党へ数々のアドバイスを頂戴しました。中村名誉館長、珠蘭さん、お忙しいところをありがとうございました。なお、対談を纏めた紙面は資料コーナーにアップしますので、ご興味がある方はご覧ください。

9日の日曜日は地元で諸会合に出席。10日の月曜日からは新代表の下で活動を再開。党の役職は基本的に全員再任ですから、鳩山さん、菅さん、岡田さん、前原さん、小沢さんの5代にわたって役員室の一員として仕事をすることとなりました。どなたが代表であっても、二大政党制の確立と選挙による本格的な政権交代の実現に向けて、職務に精励するのみです。自分の職責を果たします。

12日は東京で開催したセミナーの懇親会。三菱UFJ証券のエコノミスト・水野和夫さんをお招きしてショートパネルディスカッションを行った後、懇親会となりました。水野さんは僕の高校、大学の先輩です。水野さん、出席者の皆さん、ありがとうございました。

さて、この辺りから連日のように講演。また、地元と東京を行ったり来たり。14日は地元の広告代理店業界にお招き頂いての講演。15日は税理士の皆さんとの意見交換会。その日の夜は、中学校時代のバレー部の監督・酒井先生の定年退職慰労会。バレー部仲間が集まっての楽しいひと時でした。

16日は地元の選挙の応援や会合を13件こなした後に上京。17日の夜は中央大学大学院の今年最初の講義。18日は朝から極めて慌しい日程をこなし、翌19日は理事を務める国際問題調査会での質疑。夜は3か月に1度の東京の知人・友人との勉強会。

20日は日中、東京での日程を消化した後に地元入り、4つ会合に出席して再び上京。21日も昼から地元。夕方からは岐阜県の大垣市に行って会合に出席。会合の主宰者は、当地で安土桃山時代から続く名家のご当主。曰く、「わが社の社訓、家訓は、『利益を求めるな。陰徳を積め』ということです」と伺いました。「さすが、分かっている人は違うな」と感服しました。

22日はジャパン・リーダーズ・カレッジ(JLC)。友人であるゲームアナリストの平林和久さんに講演して頂きました。平林さんのお話しはいつ伺っても興味深いです。JLC終了後に上京して千葉7区入り。新松戸駅前での菅代表代行、鳩山幹事長、渡辺国対委員長の揃い踏み。開始30分以上前からスゴイ人数の聴衆が集まってくれていました。総選挙以上の熱気で、「これで負けたらショックだなあ」と思っていましたが、結果はご承知のとおり。本当に良かったです。

僕も及ばずながらビラ配りや集まってくださった方々といろいろと話をしていましたが、何人かの方々から「名刺をください」とか「サインをしてください」とお願いされたのには驚きました。これも、今回の補選に対する関心の高さ、新生・小沢民主党に対する期待の高さだなと実感。その中に、高校生の神部邦明君、妹の莉奈さん、お母さんの幸子さん親子がいらっしゃいました。「頑張ってください」と熱い激励を頂戴し、感激しました。邦明君の高校の教科書にサインさせて頂きましたが、立ったままでの一筆。字が踊ってしまって恐縮です。邦明君は東葛高校に通っていると伺いましたが、政治は世代から世代へのバトンリレー。邦明君、そして邦明君たちの世代にもいずれは日本を背負って立ってもらわなくてはなりません。少しでもきれいなバトンを引き継げるよう、現在の政治家である僕たちが頑張らなくてはなりません。邦明君、莉奈さん、そしてお母さんの幸子さん、本当に心のこもった応援をありがとうございました。

23日は朝から歯科医の皆さんの勉強会に出席。基調講演は、整形外科の蜂谷先生、メニコンの田中社長、そして僕。実はこの3人、小学校の卒業アルバムで3人並んで写っています。卒業以来30数年経って、こうして同級生と一緒に活動できるのは本当に嬉しいことです。この会合の主宰者、歯科医の小野寺先生も同級生。ほかにも、同級生の大西中部大学教授が出席していました。皆さん、お疲れ様でした。

上京して補選の結果を固唾を呑んで見守っていましたが、結果はご承知のとおり。本当に良かったです。こんなに嬉しいことは久し振りです。

24日、25日も講演のために東京―名古屋を往復。これで6日連続。さすがに疲れました。26日は1週間振りに1日東京に滞在しましたが、翌27日、28日は再び往復。27日は愛知県庁の有志の皆さんの勉強会にお招き頂き、有意義な時間を過ごさせて頂きました。29日、30日は東京日程。そして、今朝は議員会館に出勤。今日も明日も議員会館での日程をこなします。


2006年4月2日

皆さん、こんにちは。今は2日の日曜日、午後0時15分。今月も議員会館705号室から活動報告をお送りします。

まずは御礼です。1月24日からスタートしました僕自身が主催する全10回シリーズのビジネスセミナー(東京)が3月29日で終了しました。多くの皆さんにお申し込み、ご参加頂きましたことを心から御礼申し上げます。このセミナー、昨年は全6回シリーズで名古屋でも開催させて頂きました。政治家の新しいビジネスモデルを構築することを目指し、政治家自身が企業や国民の皆さんを取り巻く様々な事象を整理するとともに、その含意を解説するという試みでした。ご参加頂きました皆さんのビジネスや日常生活のうえで、少しでもお役に立てば幸いです。

さて、そのセミナーの最後のセッションのテーマはコーポレートガバナンス(企業統治)。持論を説明しながら、自らが所属する民主党の最近の状況をつい考えてしまう昨今でした。セミナーで解説させて頂きました持論に照らして、メール問題に端を発した今回の騒動を整理してみたいと思います。活動報告がメルマガみたいになってしまいますが、しばらくお付き合いください。

コーポレートガバナンスは一般に企業統治と訳されますが、コーポレート=組織と解釈すると、政党であれ、国や自治体であれ、全ての組織に適用可能な概念です。

さて、コーポレートガバナンスを適切に行うためには、3つの重要な要素があります。第1はパフォーマンス、つまり業績です。企業で言えば利益、政党で言えば、議席数あるいは支持率と言ってもいいかもしれません。利益を上げるために営業活動をする、支持率を上げるために営業活動=国会や地元での活動を行う、ということになります。そういう意味では、永田氏の国会質問も営業活動の一環でした。

第2はリスクマネジメント。営業活動を行い、組織を運営していくうえでは、常にリスクがつきまといます。販売している商品の欠陥、営業活動に伴うトラブル、事故など、リスクは実に様々です。これらのリスクが顕現化しないようにマネジメントすること、そして顕現化した場合には適切にトラブルシューティング(事後処理)することが必要です。今回の一件、潜在しているリスク(つまり情報が事実でない可能性)と顕現化してしまったリスクの両方に対する対応を失敗したと言わざるを得ません。

第3はコンプライアンス。一般的には法令遵守と訳されますが、実は単なる法令遵守ではありません。このことは、メルマガ最新号(Vol.117)でも解説していますので、ホームページから是非バックナンバーをご覧ください。

法律を守らなくてはならないことは当たり前のことです。単にそのことを指摘するだけなら、わざわざコンプライアンスなどという言葉は必要ありません。法律を守るのは当然のこととして、企業がビジネスを行い、組織が活動を行っていくうえで、法律では許されていてもやらないこと、法律には何も書かれていないけれども追求すること、つまり、倫理(前者)や価値(後者)を含んだ「共通の理念」を守ることがコンプライアンスの本当の意味です。

倫理や価値は組織に所属するメンバーの言動や姿勢を左右します。そういう意味では、様々な観点から、今回の一連の関係者、ならびに民主党そのものが、自分たちが共有すべき倫理や価値が明確ではなかったという側面があったと言わざるを得ません。

ひと言付け加えます。民主党の一員として自分の組織を貶めるつもりは毛頭ありません。より良い組織に昇華させるために分析しています。そもそも、小泉さんが「コンプライアンスなんてワケの分からない言葉を使うな」と公言してはばからない首相ですから、政府・与党とコンプライアンス意識の低さを競い合うことのないようにしたいと思います。政府・与党に、この時代に社会的に要求されている倫理観があれば、税金や社会保険料をこれほどムダ遣いする行為を放置し、財政赤字をここまで拡大して、なおそれを続けるはずがありません。私たちは、より一層、時代が求める倫理観や価値観に合ったコンプライアンス意識を高めていかなくてはなりません。首相は一国の為政者です。一国の為政者の姿勢は確実に社会に伝播していきます。

さて、パフォーマンス、リスクマネジメント、コンプライアンスの3つの要素を適切に運営・制御してくためには、これらを包括する要素に着目しなくてはなりません。それは、バリューシェアリングです。追求すべきバリュー=価値(目的)をシェアリング=共有するということです。野党第1党である民主党の目的は、チェック機能の働く政治構造、つまり二大政党制と政権交代を実現することであり、そのこと自体の共有はなされていると思います。そう信じたいと思います。組織を構成するメンバーが目的を共有できなくなれば運営が非常に難しくなりますが、その点は大丈夫だと信じています。

3つの要素の運営に拙さがあったことは真摯に反省しなくてはなりませんが、目的の共有に揺らぎがないとすれば、組織の立て直しは可能です。

コーポレートガバナンスを構成する3つの要素、パフォーマンス、リスクマネジメント、コンプライアンス。その3つを包含するということは、バリューシェリングはコーポレートガバナンスそのものとも言えます。コーポレートガバナンス=バリューシェアリングに失敗すると、失うのはコーポレートレピュテーション、つまり組織の評判です。

今の民主党は3つの要素の運営に失敗したために、組織の評判を低下させている現状ですが、それでも、政権交代が日本社会のために必要だという信念と目的を共有している限り、再建と再生は可能であると信じています。また、そのために、僕自身も自分の職責を粛々と果たしたいと思います。

少々長くなりましたが、一連の騒動に関する所見を述べさせて頂きました。今後は、態勢を立て直して国会論戦と党運営に臨んで参ります。

さて、前回の活動報告は3月4日でした。その3月4日の午後、英国ウェールズ大学日本校で講演をさせて頂きましたが、そのテーマがまさしくコーポレートガバナンス。3月は、コーポレートガバナンスに関する講演でスタートし、今また持論を展開して締め括った感じです。

ウェールズ大学を含めて講演等は合計10回。3月は東京での会合が多かったので31日間のうち19日間は東京滞在となりました。

3月10日は日銀が量的緩和政策の解除を発表。それを受け、日銀出身の国会議員として12日(日)の報道2001(フジテレビ)に出演させて頂きました。自民党の伊藤達也元金融担当大臣、榊原英資慶應義塾大学教授、評論家の竹村健一さんが一緒でした。僕の出演セッションの後は、中曽根康弘元首相と、著書「国家の品格」で一躍脚光を浴びている藤原正彦さんの対談コーナー。ちょうど帰路の車上にあって、中曽根さんと藤原さんの対談を拝聴できなかったのが残念です。

その日の午後は、神田駿河台の明治大学リバティタワーで開催された政策分析ネットワ−クに出席。「民主党再生」というセッションのコーディネーターを務めさせて頂きました。パネラーならびに出席者の皆さん、ありがとうございました。

14日(火)は日銀時代にお世話になった総合警備保障の田村常務の会合に出席。久しぶりに武蔵小金井まで行き、日銀の先輩、同僚、後輩の懐かしい皆さんのお顔を拝見して楽しい時間を過ごせました。15日(水)は予算委員会の集中審議に登板。小泉首相とは6回目の質疑となりましたが、その詳細はメルマガ最新号(Vol.117)をご覧ください。

21日(火)春分の日は、地元事務所前の日泰寺縁日での「弘法さんかわら版」配り。その後は実家で法事を済ませ、午後3時から愛知14区の鈴木克昌衆議院議員の後援会の皆さんにご挨拶。バス30台で蒲郡・豊川方面から名古屋御園座に観劇ツアー。県議や市長を歴任された鈴木議員、バス30台はさすがですね。御園座の公演は松平健さん主演の「武蔵坊弁慶」。舞台裏で僕もマツケンさんと写真を撮らせて頂きました。

22日(水)は財政金融委員会に登板。24日(金)は夕方名古屋に帰って会合に出席。僕のみならず、同僚の古川元久衆議院議員、県議会の富田昭雄議員、市議会の近澤昌行議員も出席していましたが、メール騒動も終盤戦の最中、出席者の皆さんから、厳しくも暖かいご意見、ご指摘をたくさん頂戴しました。ありがとうございました。

25日(土)はジャパン・リーダーズ・カレッジ(JLC)の第9回講義。近畿大学の北口先生にお出で頂きました。そして、28日(火)、29日(水)は僕が主催するビジネスセミナーの第9回と第10回。無事に終了してホッとしました。

31日(金)は議員総会が招集されましたが、僕自身は地元の会合日程が入っていましたので欠席。そして4月1日(土)には同級生を中心とした皆さんとの会合。実はこの会合は半年ごとに開催していますが、前回は昨年の9月17日。前原代表が誕生した日で、名古屋のビジネスセミナーの最終日でした。何やら、因縁めいた日程の巡り合わせです。

さて、今週末には新しい代表が決まります。誰が代表であっても、日本でも政権交代が必要だという信念に些かも揺るぎはありません。それなくしては国民の皆さんの税金や社会保険料のムダ遣いを適切にチェックすることはできません。民主党のコーポレートガバナンスとバリューシェアリングのために、微力ながら力を尽くしたいと思います。


2006年3月4日

皆さん、こんにちは。今は4日の午後1時45分。議員会館705号室から、2月の活動報告をさせて頂きます。

前回の報告は2月5日。ひと月しか経っていませんが、その間にトリノオリンピックが開催され、昨日からはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)がスタートしました。・・・というような明るい話題の一方で、同僚議員の相次ぐ不祥事や失態で何とも士気が上がりません。同じ組織に所属する議員として、国民の皆様にお詫び申し上げますとともに、日本に健全な二大政党制をつくるという初心を思い起こし、組織立て直しのために職務に精励したいと思います。

さて、2月6日以降の動きを振り返ってみます。2月は総じて言えば、上述の党の難題に直面して、党務に追われたひと月でした。昼夜、いや朝昼夜関係なく、突然会議が入ったり呼び出されたり、選挙期間中のような慌ただしさでした。選挙期間中の忙しさは気合いが入りますが、不祥事・失態対応では気分も乗りません。前向きな忙しさにしたいものです。

そんな中、2月は講演が14回。相変わらずの講演行脚ですが、17日は東京地下鉄(営団地下鉄)の会合で講演させて頂きました。頂戴したテーマは「M&A」。民営化が近づいているうえに、阪神電鉄の買収問題などもあって、社員の皆さんのM&Aに関する関心、不安が高まっているのだそうです。こんなところにも、日本経済の変化と現状が垣間見えます。

7日の夜は、自分で主催しているビジネスセミナーのお手伝いをしてくれている大学の後輩の皆さんと就職活動談義。セミナー後の遅い時間でしたが、現役学生の皆さんと話をしているとこちらも気分が若返ります(・・・ちょっと、オヤジ臭いか・・・)。学生の皆さん、就職活動、頑張ってください。

国会の方も徐々に審議が本格化。15日は国際問題調査会、23日は財政金融委員会で質疑に立ちました。財政金融委員会は半年に1回の日銀半期報告。量的緩和政策の解除を巡る議論が賑やかになる中、元上司の福井総裁に「誤りなき対応」をお願いしておきました。ところで、その際に「失われた15年」の超低金利政策の下で、家計部門(国民)が失った金利収入、つまり、金利水準が平常時並みで推移していたと想定した場合の金利収入を聞いたところ、何と300兆円に上るとの回答でした。

経済の仕組みから言えば、この300兆円は銀行を含む企業部門に移転したことになります。さらに言えば、不良債権処理や企業を巡る産業政策は政府の仕事であることを考えると、この300兆円は本来政府が負うべき政策コストを家計部門が肩代わりした結果とも言えます。おっと、メルマガみたいになってきましたのでこの辺で止めますが、政府・日銀には、こういうことが国民の皆さんに正しく伝わるようにしてもらいたいものですね。

財政金融委員会で質疑に立った23日頃から、例のメール問題の影響もあって党務が繁忙を極め、とうとう28日の夜は地元での会合をひとつ欠席しました。出席の返事をした会合には必ず出席するという方針で臨んでいますが、今回は申し訳ないことをしました。とくにこの日は、子供の頃からお世話になっている地元の床屋さんの会合。出席できずに誠に申し訳ありませんでした。

3月に入って、1日、2日の夜は地元での講演が続きました。2日は豊橋氏の医師の先生方の会合。話が盛り上がってしまい、最終の新幹線に間に合わず、車で名古屋に戻って寝台列車「銀河」で上京。3日の午前0時50分に名古屋駅から乗車後、すぐに熟睡。午前6時過ぎに大船駅辺りで車内放送が入るまでまったく目が覚めませんでした。だんだん夜行慣れしてきたかもしれません。

昨日の夜は地元の大学同窓会の交流会(簡単に言えば宴会)。「いろいろあっても気にしないで頑張れ」という先輩方の暖かい励ましのおかげで、ビールがやけに美味しかったです。

さて、今日はこれからまた講演。ウェールズ大学日本校の皆さんからお招き頂きました。それでは、行ってきます。


2006年2月5日

皆さん、こんにちは。今は5日の日曜日、午前10時半。地元事務所で先月の活動日誌を作成し始めました。

今年ももうひと月と言いましょうか、あるいは、まだひと月と言いましょうか。お正月が遠い昔のようです。

1月は、移動日が18日間、1日中地元にいたのが6日間、東京にいたのが7日間でした。一日中地元と言っても、参議院の場合は県内全域が選挙区ですから、東西南北を移動しています。例えば、29日の移動日などは、朝からの動きを追ってみますと、名古屋―岡崎―名古屋―蒲郡―豊橋―東京。子供の頃には、豊橋や蒲郡はずいぶん遠い感覚でしたが、今は「ちょっと隣町に出かける」という感じです。

さて、1月1日の午後2時頃に、大晦日から徹夜で続いた日程が終了し、ようやく家に帰って爆睡。元旦の夜だけは、家族で団欒できました。2日は午前中から午後にかけて兄弟親族での新年会。4年前に母が他界、昨年8月に父が他界し、初めて、両親のいないお正月です。何だかやはり寂しいうえに、気持ちに張りが出てきません。親というのは、いなくなってその存在感を実感するものですね、本当に。

2日の夕方からは仕事モードです。夜は、京都に出かけて党の会議。そう言えば、この時、財布を忘れたために、同僚の細野議員に交通費を借りていました。活動報告をまとめていて、返していないのを思い出しました。細野さん、恐縮です。明日、お返しします。

3日は新年会をはしごして、4日の午前中は名古屋で党の会議。僕の日程に合わせて同僚議員が集まってくれました。ありがとうございました。その後は、証券外務員協会の皆さんの新年会を皮切りに、いつも応援して頂いている各種組織や団体、個人の皆さんの新年会、新年会、新年会の嵐です。

5日の午後には、今年最初の講演。お正月気分も抜けないうちから、皆さん、非常に熱心に聞いてくれました。5日の夜は、大学の同窓組織、名古屋稲門クラブの新年互礼会。先輩、同級生、後輩に囲まれての一献、毎年この会に出席するのが楽しみです。6日も新年会にいくつか出席させて頂いた後、夜には今年初めての上京。

7日には再び地元に戻って新年会。夜は歯の治療。同級生の小野寺先生にお世話になっているのですが、昨年仮歯を入れて頂き、忙しさのあまりに1年間放置していたら、仮歯は磨耗するそうで、仮歯と噛み合う上の歯が伸びてしまったようです。怒られました。先生、申し訳ありません。でも、歯が伸びるということは、僕はまだ成長しているということでしょうか。少し、若返った気分です。

8日(日)の日中は事務所で事務整理。夜は地元の消防団の新年会。これだけ治安が悪くなると、消防団のような地域の活動を昔のように活発に行うことが必要だと思います。消防団活動の活性化のために、何ができるかよく考えてみたいと思います。

8日の夜に上京、9日(祝日)は議員会館にこもって事務整理。年末からたまっていた資料の整理や残務処理ができました。10日(火)からは、今年もいよいよエンジン全開。連日、東京―名古屋を移動する日常生活が本格的にスタートしました。

10日の週は講演をひとつこなしたほかは、東京での会合・面談、地元での新年会をこなしつつ、研究者仲間との出版準備の作業も始まりました。14日の土曜日は、夜9時に上京し、それから出版会議。皆さん、本当に熱心です。脱帽。

14日から5日連続で移動日。だんだん、東京にいるのか、名古屋にいるのか、分からなくなってきます。そうこうするうちに、16日(月)からは、今年も講演・講義日程が目白押し。16日週は4回、23日週から月末までに8回です。とくに22日の社会保険労務士の先生方への講演は、実に3時間。お話させて頂く僕の方は、じっくり内容を説明させて頂けるので有り難いですが、聞いてくださる皆さんは大変だと思います。しかし、最後まで熱心に聞いてくださいました。先生方、ありがとうございました。

21日(土)は、今年最初のジャパン・リーダーズ・カレッジ(JLC)の講義。受講生の皆さんは、宿題のレポートをしっかりと提出してくれました。お正月返上の取組み、敬服致します。24日、25日は、東京で僕が主催するビジネスセミナーがスタート。母校の後輩の学生さんたちがサポートしてくれました。ありがとうございます。

21日と言えば、地元事務所前の覚王山日泰寺の縁日(弘法さん)。年のはじめなので「初弘法」と言います。事務所としても、今年初めての「かわら版」配りをさせて頂きました。

翌週の28日(土)は、僕の事務所の新春交礼会。大勢の皆さんが出席してくださいました。東京から菅直人元代表がご来場くださり、心温まるスピーチを頂戴致しました。菅さん、ありがとうございました。菅さんは次の日程があり、出席してくださった皆さんとゆっくりお話して頂くことができなかったことがちょっと残念でした。皆さん、申し訳ありません。

しかし、この日は、朝一番で蒲郡近くの西浦温泉に行って会合でスピーチ。その後名古屋に戻って交礼会。交礼会の直後にまた講演。なかなかハードな一日でした。

この間、国会は20日(木)から始まっています。30日(月)、31日(火)は、東京で公務、党務をこなして、2月入り。2月に入った途端に講演続きで、今日もこれから講演に行きます。今日の段階で5回。1日1講演ですね。でも、以前にもこの活動報告に書きましたが、講演をさせて頂く、お話をさせて頂くというのは、本当に有り難いことであり、また政治を良くし、社会を良くしていくためには、最も重要かつ基本的な活動だと思っています。各方面から呼んで頂けることに感謝しています。今のところ、2月の講演予定は14回です。

というわけで、1月の活動報告をお送りしましたが、今は午前11時半。もうすぐ、岐阜県に向かって事務所を出発します。昨晩の雪で路面が凍結していますので、気をつけて行ってきます。何だか、年が明けてもう3ヶ月ぐらい経った気分ですが、今月も気合いを入れて頑張ります。


2006年1月1日

皆さん、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、今は1月1日の午前6時半。昨年に続いて、元旦早朝の地元事務所から先月の活動報告をお送りします。1年前の活動報告にも書きましたが、別に年賀状を取りにきた訳ではありません。毎年のことですが、大晦日から元旦にかけては、夜通し行事や会合があり、徹夜です。今も会合から戻って、次の会合までの時間調整をしています。年末年始は休みなしです。

という訳で、年が変わってしまいましたが、先月の活動報告をさせて頂きます。去年は総選挙前後から、忙しさのあまりに毎月活動報告が遅れがちでしたが、今回は1日。ようやく本来のペースに戻りました。

先月は移動日が17日。1日中東京にいた日は10日間、名古屋にいた日は4日間でした。前回の活動報告で12月5日までフォローしましたので、今回は12月6日からです。6日の夜は、日銀時代から参加している異業種勉強会の忘年会。気心の知れた仲間ばかりですので、ひと時の憩いの時間です。それにしても、よく考えてみると、この会はたしか92〜93年頃にスタートした勉強会です。実によく続いています。

翌7日からは5日連続で移動日。7日は熱海で講演。8日、9日は連日東京―名古屋間を往復。9日のお昼は、日銀時代に担当していた安田信託銀行のOBの皆さんとランチ。旧知の皆さんと旧交を温めることができ、本当に嬉しかったです。10日は、新たに設立したシンクタンク「公共政策プラットフォーム(通称・プラトン)」のオープニングシンポジウム。六本木ヒルズで開催しましたが、僕もインターミッションセッションのナビゲーターとして参加。お相手は横浜青年会議所(JC)の黒川理事長で、テーマは「都市間FTA」。黒川さん、ありがとうございました。

11日の早朝は、午前5時からの朝起会に参加するつもりでしたが、何と寝坊。目が覚めたら午前5時40分でした。少々疲れが溜まっているのかもしれませんね。

12日は議員会館で役所からレクチャーを受けたり、その他の政務を処理。13日からの3日間は講演行脚でした。13日の朝は東京、夜は名古屋で講演。14日は名古屋、15日は東京での講演。この間、14日の夜は名古屋稲門クラブの忘年理事会に出席。東海テレビ社長の石黒先輩(名古屋稲門クラブ会長)の大石内蔵助姿を堪能させて頂きました。


16日、17日は党大会。17日の朝は、全国で開催されつつある政治スクールの情報交換会もありました。名古屋で開催しているジャパン・リーダーズ・カレッジ(JLC)の状況を報告させて頂きました。党大会後は、研究者仲間の皆さんとの勉強会。

さて、この頃から、各地で連日大雪が降っていましたが、翌18日は早朝羽田発の飛行機で富山入り。しかし、富山は大雪で1回目の着陸に失敗。地上50メートルぐらいの高度まで低下した段階から急上昇しました。機長のアナウンスによれば、「滑走路が肉眼では確認できなかったので着陸を断念しました」とのこと。「今日は羽田に戻るのかな」と覚悟を決めたところ、2度目の着陸は見事成功しました。なかなかスリリングな経験でした。

富山空港からは目的地の小杉までタクシーで移動。昼には小杉駅からJRに乗って、金沢―米原経由で名古屋入り。もちろん列車は雪のために大混乱で、金沢駅ではだいぶ待たされました。名古屋から稲沢の会合に向かったのですが、稲沢がまた大雪。まだ北陸にいるかのような錯覚を覚えました。

19日は、午前中に中国社会科学院の研究者の皆さんが来訪。午後は、これまたある会合で偶然再会した安田信託銀行の知人の会社を表敬訪問。今月は安田信託銀行のOBの皆さんと妙にご縁があります。

20日の夜は、いつも地元事務所を手伝ってくれているボランティアの皆さんとの忘年会。学生さんが中心ですが、皆さん、本当にありがとうございます。

21日の夜は講演をこなした後に、午後9時からの会合に向かったところ、何とその会場で小学校時代の同級生で、今は電通に勤めている寺井君と偶然再会。今月は懐かしい人との再会が続きます。

22日の夜は地元での国政報告会。これまた名古屋は大雪で、出席を取りやめた方もいらっしゃいました。しかし、その後は大雪の中を2次会。新幹線が大幅に遅れていましたので、2次会後に東京に行くことができました。23日は終日議員会館で事務整理した後に名古屋入り。

24日のクリスマスイブは、朝から市場の年末挨拶回り。午後はJLCの第6回。今回は三重大学の児玉先生が講師でした。翌25日は朝起会の大掃除。子供の頃は自宅の大掃除をすると年末を感じたものですが、最近ではあまり大掃除をしません。朝起会の会場となっている古い建物を大掃除するのは、年末の風物詩とも言え、気持ちの良いことです。

26日は早朝に再び市場の挨拶回りをした後、午前中は講演。夜は税理士の先生方による後援会の立ち上げ総会。実にありがたいことです。先生方、本当にありがとうございます。27日、28日は東京で党務、政務を処理して、28日の夜は名古屋で会合。毎年年末恒例となった鮟鱇(あんこう)鍋を食べる会です。このお店、1年前から予約しないと入れません。実に美味です。

29日の夜は久しぶりに家族だけでの団欒。大学の先輩が自宅で主宰しているイタリアンレストランで楽しい時間を過ごさせて頂きました。30日の夜は地元消防団の打ち上げ。飲まないわけにはいきません。31日は、議員会館に所用ができて、東京まで往復。1月5日の今年最初の講演の準備です。そして、東京から名古屋に戻った後は、諸会合をはしごして、年を越しました。

昨年は、講演、講義の類に含まれる会合が96回。4日に1回は講演していることになります。1月は5日を皮切りに11回が予定されています。講演も重要な政治活動のひとつと考えていますので、今年も頑張ります。皆さん、今年もどうぞよろしくお願い致します。


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