第179号(平成29年5月


皆さん、こんにちは。新緑がまぶしい季節になりました。それでも朝晩は冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は知多八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は十一番札所から出発です。

★寺子屋の発祥地

国道三六六号線沿いに南下、JR武豊線東浦駅近くから西側の集落の中に入って進むと、十一番札所、光明山安徳寺。十番札所から二・〇キロメートルです。

開創当初は衣浦湾近くにあったそうですが、水害や大火に見舞われ、現在地に移りました。

恵心僧都作の薬師如来像は東浦町の指定文化財。

安徳寺は知多地方における寺子屋発祥地。そのためか、明治五年の学制開始とともに周辺三村が共同で学校を開設。現在の藤江小学校の前身です。

ご本尊 釈迦牟尼仏

ご詠歌 後の世も 此の世も心安徳字 仏の御名に 汚れ洗ふて

★歳弘法

十一番札所から十二番には行かず、半田市亀崎の番外札所、亀宝山東光寺に向かいます。十一番から三・六キロメートルです。

国道三六六号線は線路下をくぐってJR武豊線の東側へ。国道を左に折れて亀崎小学校を過ぎた先にあるのが東光寺。

明治三十三年創建当時は念仏の布教所。やがて、和歌山の同名の寺からご本尊と寺号を移しました。

開基の実空誠感上人がお大師様の誕生から入定までの各年齢の六十二体の大師像を奉安。東光寺は歳弘法で知られています。

日限(ひぎり)大師、厄除け大師、衆生済度大師を祀る三体大師堂もあり、参詣者の多い番外札所です。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 身はここに 心はいつか東光寺 弘法大師念じたる身は

★開眼の杖

東光寺から一・〇キロメートル。海に面して、神前神社と並んで立つのが五十四番札所、亀嶺山海潮院

文明年間(一四八〇年頃)創建の古刹。亀崎城主や刈谷城主に庇護され、北浦から現在地に移りました。

もともとの五十四番札所は野間にありましたが、明治の廃仏毀釈で廃院。大師像は他寺で保護され、明治三十四年、海潮院が五十四番札所として承認され、引き継ぎました。

大正元年、水野村(現瀬戸市)の盲目の加藤鉄次郎さんが大師像の前で突然目が見えるようになったという霊験が伝わっており、開眼の杖が御礼奉安されています。

ご本尊 釈迦牟尼仏

ご詠歌 亀崎の 海潮院に波静か 釈迦牟尼仏の まもりゆたかに

★水弘法

さて、番号順のルートに戻って亀崎から西に三・四キロメートル。十二番札所は徳応山福住寺

永禄二年(一五五九年)、緒川と刈谷の城主だった水野信元が福住村(現阿久比町)にあった寺をこの地に移し、砦の鎮護としたのが縁起です。

眼病にご利益のある水弘法、夢のお告げで三河から移された千体地蔵などが祀られています。

ご本尊 無量寿如来

ご詠歌 極楽も そのままなれや福住寺 後の楽しみ 有脇の里

★天白地蔵

十二番札所からさらに西に二・七キロメートル。十三番札所は板嶺山安楽寺。名鉄坂部駅からは一・三キロメートルのところにあります。

 観音堂の聖観世音菩薩像は行基作。九年に一度、ご開帳されます。

地蔵堂の天白地蔵に穴の開いた柄杓を供えてお参りすると、耳の遠いのが治るご利益。かつては遠方からもお年寄りが参拝したそうです。

ご本尊 無量寿如来

ご詠歌 板山の 弥陀に詣れば松ヶ枝に おとなふ風も 念仏の声

★於大の方(伝通院)

さて、来月は名鉄河和線に沿って南下し、阿久比から半田市街に向かいます。家康公の生母、於大の方(伝通院)の墓所がある洞雲院にも参ります。乞ご期待。

 

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