第181号(平成29年7月


皆さん、こんにちは。いよいよ夏本番。暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は知多八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は十七番を先に打ってから十六番に回ります。

★徳本と徳住

名鉄河和線を左手に眺めながら十五番から南下。二・二キロメートル進むと十七番、樫木山観音寺です。

この辺りは、阿久比川の支流、前田川流域の台地となっています。

開基は善随上人。二代は江戸時代の念仏聖として名高い徳本上人の弟子、徳住(入誉上人)。

独特の筆致で知られる徳本。境内の徳本と徳住の名号塔には、徳本の書による南無阿弥陀仏が彫られています。

毎年八月九日が縁日。この日参拝すると九万九千日お参りしたのと同じ功徳があると伝わります。

ご本尊 十一面観世音菩薩

ご詠歌 御仏の 其身誓ひも高岡  に 真如の月は 常に照せる

★慈覚大師

十七番から東へ〇・五キロメートル、十六番は鳳凰山平泉寺です。

八三〇年、淳和天皇の勅命で鳳凰を探しに来た慈覚大師が建立した古刹。

ご本尊の尾張不動尊は慈覚大師作。国の指定文化財です。

一一九〇年、源頼朝が父義朝の墓参の帰路に参拝し、尾張不動尊に国家安穏を祈願したと伝わります。

境内の「オカラス大明神」は腰に効く「腰の神様」として慕われています。

ご本尊 尾張不動尊

ご詠歌 三毒を 洗ふて清き 平  泉寺 不動の利生 いとも賢し

★蓮糸(れんし)の法衣

十六番からさらに東に三・七キロメートル、乙川の集落の中にあるのが番外札所、清涼山奥の院海蔵寺

阿久比川が大きく蛇行する形が「乙」の字に似ていることから、地名が乙川になったと言われています。

二世住職の田翁和尚。その神通力で遠く離れた高野山の大火を見通し、庭に水を撒いて火を消し止め、高野山より「蓮糸の法衣」が贈られました。

ご本尊 釈迦牟尼仏

ご詠歌 奥の院 高野の山に変ら  ねば 真心こめて 頼め諸人

★次郎長地蔵

番外海蔵寺から乙川集落内を南へ一・〇キロメートル進むと十八番、開運山光照寺です。

境内の観音堂建立時、寺格では二層の堂宇建築が許されなかったものの、時の尾張藩家老成瀬隼人が「庇(ひさし)を付ければ塔にあらず」との名裁定。晴れて今の姿となりました。

江戸時代末期、清水次郎長が半田亀崎で決闘する前に願掛けしたお地蔵様が観音堂の横に祀られています。

勝軍地蔵、次郎長地蔵と呼ばれ、信仰されています。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 乙川の 清き流れに俤を   写せば胸の 垢や落ちなん

★彫長(ほりちょう)と彫常(ほりつね)

十八番から南下し、JR武豊線、阿久比川、国道二四七号線を越えて一・九キロメートル、半田市街に入ると十九番、前明山光照院

十八番が光照寺、十九番が光照院。寺号と院号の違いです。

明治十五年建立の玄関と明治四十年建立の弘法堂には、半田の山車の彫刻師、彫長彫常の師弟が彫った龍と竜虎が飾られています。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 大慈悲の 光を照らす  地蔵尊 救い給へよ 此の  世后の世

★二十番台入り

さて、来月は名鉄河和線に沿って南下し、半田市から武豊町に入ります。札所も二十番台に入り、徳川家康公が三度参拝したと言われる二十一番、常楽寺にも行きます。乞ご期待。

 

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