第184号(平成29年10月


皆さん、こんにちは。秋本番、十月です。朝晩は肌寒い日が増えました。くれぐれもご自愛ください。

今年のかわら版は知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしています。今月は二十七番からスタートです。

★恵等和尚

二十六番から南下。河和の交差点から西に折れ、南知多道路をくぐって集落の中に入ると二十七番、天竜山誓海寺。道中三・九キロメートルです。

戦国時代の一五五五年、現在地よりも海岸寄りの古布(こう)で開創されたと伝わります。

知多八十八ヶ所霊場開創の折、住職恵等和尚が発願者のひとりである岡戸半蔵に多大な協力をしたそうです。

戦争中の一九四四年、境内が海軍航空隊に徴用されたため、古布の村ごと現在地に移転。

愛染堂には、お大師様が三体彫ったと伝わる愛染明王のうちの一体を奉安。縁結びのご利益があると言われ、女性の信仰を集めています。

ご本尊 釈迦牟尼仏

ご詠歌 彼の岸に 渡らむ古  布の誓海寺 波も静かに   法の風吹く

★岡戸半蔵行者

右記のような経緯から、誓海寺境内には知多四国八十八ヶ所霊場の三開山のひとり、岡戸半蔵行者を祀る禅林堂があります。

岡戸半蔵行者は一七五二年、福住村(現在の阿久比町)生まれ。妻子に先立たれ、供養のために発心して本四国を巡拝。

一八一九年、知多四国八十八ヶ所霊場開創を目指す亮山阿闍梨に出会い、武田安兵衛行者とともに大願成就に腐心。屋敷も田畑も売り払い、大師像等を寄進しました。

大願を果たした一八二四年、誓海寺で七十三歳の生涯を閉じました。

ご本尊 釈迦牟尼仏

ご詠歌 御仏の 恵みのまま  に 身を寄せて 心たのも  し 禅林の堂

★ことぶき観音

二十七番から南下、南知多道路沿いに一般道を進むこと二・六キロメートル、山間にたたずむのは二十八番、浄光山永寿寺

寺の縁起は十世紀初頭の八幡神社まで遡ります。

寺のある集落は、戦国時代の一五八二年、丹波福知山の落ち武者六人がこの地に住みつき、山を切り拓いて作ったことから切山(きりやま)と呼ばれていたそうです。

高さ二メートル(台座から三・五メートル)の聖観音像は「ことぶき観音」として親しまれ、参詣者の福寿無量を願っています。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 欲心を 只一筋に切  山の 永寿の人は 弥陀の  功徳ぞ

★千枚通しの護符

二十八番から丘陵地や竹林を抜けて二・八キロキロメートル南下。二十九番は大悲山正法寺

正法寺は、一一六〇年、源義朝とともに野間で謀殺された家臣、鎌田兵衛正清の館跡に建っています。

一二三三年、正清供養のため、比叡山の徹円阿闍梨が護摩堂を建立し、正清の念持仏である毘沙門天を祀ったのが寺の縁起です。

正法寺では薄い和紙でできた「千枚通しの護符」が授けられ、水とともに飲むと病気平癒の霊験があると信じられています。

ご本尊 毘沙門天

ご詠歌 迷はずに 正しき法  の道行かば 山田に残す   毘沙門の徳

★上陸大師

来月は大井漁港へ。お大師様が三河から船で渡ってきた地です。お大師様が護摩修法した医王寺をはじめ、五つの札所が密集しています。海上の岩場には上陸大師と呼ばれて親しまれる大師像が毅然と立っています。乞ご期待。

 

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