第190号(平成30年4月

皆さん、こんにちは。いよいよ春本番。でも朝晩は冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。

昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は野間です。

★咳(せき)地蔵

五十二番から約○・三キロメートル、五十三番は鶴林山安養院

白川天皇勅願の大御堂寺(五十番)の十四坊の一院、南の坊が前身です

一一九〇年、源頼朝が父義朝の菩提を弔うために堂宇を創建。

一五八三年、秀吉に敗れた信長の三男、織田信孝が当院で自害。遺品の短刀、時世の句、臓腑を投げつけた血染めの軸、自刃の間等が現存します。

別堂に祀られている「咳地蔵」は、咳や喘息快癒にご利益があると信仰されています。

ご本尊 阿弥陀如来

ご詠歌 野間の月 見れば心の  ますかがみ おのが浄土は いかでくもらん

★義朝廟所

五十二番から約○・二キロメートル、ほぼ隣接しているのが五十番、、鶴林山大御堂寺。

開開創は天武天皇時代(七世紀後半)。平安時代に白河天皇の勅願寺として大御堂寺と命名され、伽藍も整備されました。

法山寺(五十五番)に隣接する湯殿で襲われた義朝。「我に木太刀の一本もあれば」と無念を叫んだ義朝。境内の朝廟所には木太刀を奉納する人が絶えません。

一一九○年、源頼朝が父義朝の菩提を弔うために、開運延命地蔵、不動明王、毘沙門天を奉安しました。

ご本尊 阿弥陀如来ご本尊 釈迦牟尼仏

ご詠歌 大御堂 弥陀の光を眺むれば 後生を願う心起らん

★伏見桃山城

大御堂寺に隣接するのは五十一番、鶴林山野間大坊

源頼朝が父義朝の菩提を弔うために奉安した前述の開運延命地蔵がご本尊です。

大御堂寺の一坊として創建され、江戸時代の地誌「尾張名所図会」には名勝地として紹介されています。

本殿は、秀吉晩年の居城となった伏見桃山城の一部を寛永年間(十七世紀半ば)に移築した客殿様式の県の重要文化財です。

ご本尊 開運延命地蔵菩薩

ご詠歌 昔よりいとも名高き大坊に 白豪の光り見るぞ嬉しき

★御湯

野間大坊から約一・四キロメートル、五十五番は曇華山法山寺

行基菩薩がこの地に優曇華(うどんげ)が咲き乱れるのを見て、衆生済度を祈願して当寺を建立。自ら薬師如来を彫像して奉安しました。

境内と細道を挟んで建つ御湯殿は、一一六○年、源義朝が入浴中に長田忠致・景致親子に襲われた場所。今も当寺がお守りしています。

ご本尊 御湯殿薬師如来

ご詠歌 法の山 聞くも嬉しき薬師尊 病なかれと頼め祈れよ

★鎌田兵衛正清

五十五番から約一・七キロメートル、五十七番は乳竇山報恩寺

源義朝とともに殺害された鎌田兵衛正清の乳母、報恩寺殿乳竇貞哺大禅定尼が正清の菩提を弔うために創建しました。襲撃した長田忠致は、正清の舅でした。

お大師様がこの地を巡錫した際、湧水の場所を示した後に一夜にして彫った石観音像が大師像の横に祀られています。

ご本尊 西方如来

ご詠歌 現当の二世の安楽弥陀如来 こころ奥田の報恩の寺

★常滑市へ

野間に別れを告げて、国道二四七号線を北上。来月は常滑市入ります。常滑市には十一カ所の札所があります。乞ご期待。

 

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