第196号(平成30年10月

皆さん、こんにちは。秋本番ですね。朝晩は冷え込む日も増えます。くれぐれもご留意ください。

昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は八十二番からです。

★知多三山

八十一番から国道二四七号線を北上、東海市に入ります。名鉄常滑線尾張横須賀駅と太田川駅の中間、八十一番から約三・三キロメートル、八十二番は雨尾山観福寺

七○二年開創、南知多の岩屋寺(四十三番)、常滑の高讃寺(六十一番)と合わせて知多三山と呼ばれる古刹です。

現在の本堂は一六六五年、尾張徳川藩二代藩主、徳川光友公の寄進で建立されました。

山門前には、知多四国八十八ヶ所霊場の開山、亮山阿闍梨お手植えの紅白椿。「行く末奇譚が起きる」と告げた亮山阿闍梨。檜が芽吹く珍木となりました。

ご本尊 十一面観世音菩薩

ご詠歌 菩提心 起りて木田の観福寺二世の安楽 この外になし

★大里の大坊

八十二番からさらに北へ約一・二キロメートル、八十三番は待暁山弥勒寺

七四九年、行基菩薩開創の古刹。かつては一山六寺七堂伽藍を擁した大寺院。今も「大里の大坊」と呼ばれます。

関ケ原の戦いの折、西軍についた九鬼義隆の水軍が上陸。兵火に遭って、ご本尊と仁王門を残して焼失。尾張徳川藩二代藩主、徳川光友公の寄進で再興しました。

境内中央の八角形の拝殿に祀られる「お塔さま」と呼ばれる宝篋印塔。毎月一日と八日は「お塔さま」の縁日。周囲を回るとご利益があると信じられています。

ご本尊 弥勒菩薩

ご詠歌 限りなき 弥勒の御世に大里の 法の御庭に となふ声明

★夢窓疎石

八十三番から東に約一・七キロメートル進むと八十四番、瑞雲山玄猷寺

後醍醐天皇を追弔し、夢窓疎石が開創。夢窓疎石は国師号を七つも持つ鎌倉時代末期から室町時代初期の禅僧。その国師号のひとつ、「玄猷国師」に由来して寺号となりました。 境内の弘法堂は一九三三年、お大師様一千百年御遠忌を記して建立されたものです。

門に祀られる極彩色の四天王像は一見の価値があります。

ご本尊 十一面観世音菩薩

ご詠歌 慈悲深き 母にもまさる観世音 心安らか 姫島の里

★火防せの観音様

八十四番から北へ約一・四キロメートル、八十五番は慈悲山清水寺

十七世紀末の元禄年間、村の庄屋の六兵衛の屋敷が大火で全焼した後の一六九五年、村人が現在地の南西、丸根集落に祀られていた観音様を当地に迎えて堂宇を建立。

以来、村から火難がなくなり、村人は「火防(ひぶ)せの観音様」。として篤く信仰するようになりました。 寺の南西に湧いていた野井戸(清水)の水を宮中に献上。寺号の由来となりました。

ご本尊 聖観世音菩薩

ご詠歌 み仏の 功徳ながるるいわ清水 汲みて心の 穢れ洗わん

★細井平洲

八十五番から北西へ約二・三キロメートル、八十六番は大悲山観音寺

一二六六年開創と伝わる当寺は、十六世紀半ばに火災によって堂宇を焼失。一五八五年、名古屋大須宝生院の鏡融宝印の助力で再興。

さらに豊臣秀頼の祈願所となり、一帯五町歩を下付されて興隆。除災招福を願う参拝者が遠方からも参拝したと言われています。

当地は江戸時代中期の儒学者、「細井平洲」の出身地。平洲は当寺の九世義観宝印に師事し、儒学等を修得。後に、米沢藩主上杉鷹山や尾張藩主徳川宗睦の指南役となり、尾張藩校明倫堂の督学(学長)も務めました。

ご本尊 聖観世音菩薩

ご詠歌 一心に 願ひを加家の観音寺導き給へ この世後の世

★残る札所は二ヶ所

残る札所は二ヶ所。名古屋市と大府市です。頑張りましょう。乞ご期待。

 

kobosan-kawaraban kobosan-kawarabankobosan-kawaraban kobosan-kawaraban