弘法さんかわら版   19号(平成16年1月)

 

皆さん、明けましておめでとうございます。今日は「初弘法」です。そして「初かわら版」です。今年も少しでも皆様のお役に立つ話題をお届けしたいと思っております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

祖師巡礼と「大師」号

 

各宗派の開祖を祖師と呼び、祖師の足跡をたどることを祖師巡礼と言います。

全国各地に多くの祖師巡礼があります。日本最小の覚王山八十八か所霊場巡りは、真言宗の祖師空海の聖跡巡りの「写し」です。

祖師にはそれぞれ諡号(しごう=没後の敬称)がつけられており、「大師」号もそのひとつです。

諡号は勝手に付けられるものではなく、没後に第三者が申請して為政者(主に朝廷)から授かるものです。「大師」号を授けられた祖師は25人または27人と言われています。最も古いのが伝教大師最澄、そして二番目に古いのが弘法大師空海です。最澄と空海は特に高名な六大師に含まれています。

「大師」のほかにも「国師」「聖人」「上人」「三蔵」「禅師」などの諡号があります。

 

 観賢僧正とひげの伝説

 

 空海の諡号授与には金剛峯寺と醍醐寺の座主を歴任した観賢僧正(かんげんそうじょう)という高僧が貢献しています。

 観賢は空海入定(没)後86年目の921年(延喜21年)、醍醐天皇に対して空海に「大師」号を賜りたい旨の申請をしました。観賢の粘り強い交渉のおかげで空海は弘法大師と呼ばれるようになりました。

「大師」号が下賜された後、観賢は弟子の淳祐(しゅんにゅう)を伴って高野山の御廟を訪れました。弘法大師はまるで生きているかのように瞑想し、うっすらとひげがはえていたと伝えられています。

 

本覚大師と弘法大師

 

観賢は当初「本覚大師」という諡号を賜るよう要請していました。「覚」は釈迦を表す「覚王の一字です。

しかし、醍醐天皇が決めた諡号は「仏法を世に広(弘)めた大師」という意味の弘法大師でした。「本覚大師」という諡号は、その後、弘法大師の京都の拠点であった東寺の後継者である益信和尚が賜りました。

  

覚王山日泰寺の涅槃会

 

今年も1年、覚王山日泰寺周辺の四季と史跡をお楽しみください。2月15日は釈迦入滅の日。日泰寺でも涅槃会(ねはんえ)が催されます。涅槃会は釈迦入滅の様子を描いた涅槃図をかけ、釈迦の最後の教えである遺教経(ゆいきょうぎょう)を唱えて遺徳を偲ぶ催しです。子供が参加して団子、餅、あられなどをもらう風習があります。

涅槃会が終わると日泰寺境内はツツジの季節を迎え、4月8日花祭りです。編集部一同も楽しみにしています。

 

今年も頑張ります(編集部) 

 

今年も「弘法さんかわら版」編集部は好奇心旺盛にいろんなお話をお届けできるように頑張ります。どうぞよろしくお願い致します。何か気になる情報やご疑問があれば、編集部までドシドシお問い合わせください。

 

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弘法さんかわら版   20号(平成16年2月)

 

皆さん、こんにちは。弘法さんかわら版も20号を迎えることができました。ご愛読、ありがとうございます。暦の上では立春を過ぎましたが、まだまだ寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

 

山門両脇は仁王像?

 

さて、今日も日泰寺の山門を多くの方がくぐられたことと思います。ところで、山門の両脇の像をジックリとご覧になったことはありますか?

寺院の山門は仁王門と言われるものが多く、「仁王門」には仁王像=金剛力士像が置かれるのが一般的です。かわら版17号で、仏像には、①如来、②菩薩、③明王、④天部、⑤その他(高僧像など)の五種類あることをご紹介しました。金剛力士は天部に属し、仏法や寺院を護る守護神です。

弘法大師を開祖とする真言宗本山は高野山金剛峰寺です。金剛峰寺にも1705年建立の大門があり、両脇には金剛力士像が仁王立ちしています。

では、日泰寺山門の像は何でしょうか?

 

実は二人のお弟子さん

 

答えはお釈迦様のお弟子さんです。本堂に向かって左に迦葉尊者(かしょうそんじゃ)、右に阿難尊者(あなんそんじゃ)です。

お釈迦様が入滅された後の仏教の普及には、この二人のお弟子さんの功績がありました。

多くの弟子の中で最長老だった迦葉尊者は、お釈迦様の教えが勝手に解釈されることのないように、第一結集(だいいちけつじゅう)という会議を開き、議長として見事に教義をまとめました。このため、迦葉尊者は仏教の第二祖とも言われます。

 一方、阿難尊者はお釈迦さまの従弟(いとこ)で、最も博識の人物であったと伝えられています。お釈迦さまの教えは口伝であったため、多くの弟子が阿難尊者から教義を学びました。そのため、阿難尊者は多聞第一(たもんだいいち)と呼ばれ尊敬を集めました。

 日泰寺には本物の仏舎利(お釈迦様の骨)が祀られていますので、一番弟子の二人がお護りしているということでしょうか。

 

お釈迦さまの八大聖地巡礼

 

 さて、今年のかわら版は、高僧の足跡を辿る祖師巡礼についてお伝えしています。ここ日泰寺周辺には弘法大師の聖跡の写しとして、日本最小の八十八か所霊場があります。

インドにはお釈迦様の聖跡を巡る祖師巡礼もあり、八大聖地巡礼と言われています。聖地のひとつが入滅地であるクシナガラです。日泰寺に祀られている仏舎利は、1898年にクシナガラに近いピプラーワーで発見され、日本に分骨されたものです。

覚王山巡礼、四国巡礼の次は、八大聖地巡礼にも行ってみたいですね。

 

来月は御祥当

 

さて、来月の弘法さん、つまり3月21日は弘法大師の年命日であり、「御祥当(ごようとう)」と呼ばれています。お参りに来られる方も多く、日泰寺が一年で最も賑わう日です。年に一度の特別な日ですので、ぜひご近所やご友人とお誘い合わせのうえ、大勢の方にお出でいただけることを願っています。露店でたくさん買い物をしていただき、ついでにかわら版も是非お受け取りください。

 

 

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弘法さんかわら版   21号(平成16年3月)

 

 

 皆さん、こんにちは。3月も半ばを過ぎ、日差しも春めいてきましたね。3月21日は弘法大師の年命日で御祥当(ごようとう)と言います。正確に言えば旧暦ですので、新暦では今年は5月9日になります。御祥当の縁日は一年で一番賑わうと言われますが、さて、今日はいかがでしょうか。

 

縁日はお祭り、市?

 

 ところで「今日は縁日がある」とよく言います。「縁日=お祭り、市」という意味合いですが、実はこの表現、厳密に考えると少し変です。縁日は仏教用語です。ひと月のうちの決まった日に、神仏や祖師(高僧など)の供養を行い、縁を結ぶ日というのが縁日です。有縁日(うえんび)、結縁日(けちえんび)とも言い、この日に参詣すれば特別に功徳があると言われています。縁日には人が集まることから、参道や境内に露店が出て賑わいます。したがって、「今日は弘法さんの縁日なので、露店が出る」というのが正確な表現です。

 

潅仏会=花祭り

 

 さて、来月8日は潅仏会(かんぶつえ)と呼ばれる行事が行われます。これはお釈迦様の誕生日を祝う行事です。日泰寺では、毎年この日に仏舎利奉安塔がご開帳になります。

潅仏会は仏生会(ぶっしょうえ)、降誕会(ごうたんえ)、あるいは花祭りとも言われます。

潅仏会のことを花祭りと呼ぶのは、お釈迦様生誕がルンビニーという場所の花畑の中だったことに由来します。先月号で、インドにお釈迦様の足跡をたどる八大巡礼地があることをご紹介しました。ルンビニーはその第一巡礼地です。花畑には季節外れのアショーカ樹の花が咲いていたと伝えられています。

 

竜と釈迦と弘法大師

 

お釈迦様生誕の際、天からが現れて甘露(不老不死の霊液)や花々を降らせて沐浴させたという故事に因み、潅仏会は浴仏会(よくぶつえ)、竜華会(りゅうげえ)とも呼ばれます。潅仏会に誕生仏甘茶をかける風習はこの故事から発生しました。

弘法大師にも同様の言い伝えがあります。渇水に苦しむ平安京で弘法大師が祈祷したところ、金色の竜が現れて雨を降らせたと言われています。

 

巡礼と遍路

 

 さて、今年の弘法さんかわら版は、日本最小の覚王山八十八か所霊場に因んで巡礼にまつわる話をお伝えしています。インドの八大巡礼地をはじめ、海外ではスペインのサンティアゴ巡礼、国内では西国巡礼秩父巡礼など、巡礼と名のつく聖跡巡りはたくさんありますが、遍路という言い方は四国遍路しかありません。遍路よりも巡礼の方が広い概念のようです。

これら高僧の聖跡を辿る祖師巡礼のほか、十三仏巡り、七福神巡り、石仏巡りといった種類があることは以前にもご紹介しました。次号では、石仏巡りについて調べてみたいと思います。

 

覚王山春祭り開催!

 

来る四月三日(土)と四日(日)に覚王山春祭りが開催されます。今回のテーマは「多国籍でいこう!」。世界のいろいろな国々の食物や衣装のお店がでるようです。どうぞご期待ください。

 

 

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弘法さんかわら版   22号(平成16年4月)

 

皆さんこんにちは。今月も弘法さんの日がやってきましたが、先月号でお伝えしましたとおり、今月は石仏について調べてみました。

 

石仏は三種類

 

このかわら版を読んでくださっている皆さん、まわりを見渡してみてください。石仏が目に入りませんか。ここ覚王山八十八カ所霊場の路傍には、たくさんの石仏が鎮座しています。

石仏には、神像系、仏像系、石造遺物の三種類があります。神像系は道祖神水神の像のことです。仏像系は観音菩薩地蔵菩薩です。石造遺物は狛犬(こまいぬ)や道標(みちしるべ)のことを指します。さて、回りの石仏はどの種類でしょうか。

神仏の姿をかたどったものを刻像塔、文字だけを刻み込んだものを文字塔とも言います。

 

石仏=お地蔵さまではありません

 

覚王山八十八カ所霊場に最も多いのは仏像系です。仏像系の石仏は、印相(いんぞう=手の形)や持ち物で何仏か見分けがつきます。

阿弥陀如来さまの印相は弥陀定印、大日如来智拳印、釈迦如来法界定印といった具合です。

石仏の代表格、お地蔵さま(正確には地蔵菩薩)は僧の顔をして錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうじゅ)を持っているのが一般的です。

お地蔵さまは、お釈迦さま入滅後、弥勒菩薩が出現するまでの無仏の間、人々を救ってくれる救世主だと信じられています。六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の迷いの世界で地蔵菩薩が救ってくれることから六地蔵像が並んでいる風景もよく見かけます。

 覚王山八十八カ所霊場をはじめとする全国の四国霊場の写し(新四国とも言います)では、石に刻まれたり石仏となった弘法大師像にも出会えます。さて、今日はいくつの弘法大師像を見つけることができましたか。

 

赤坂町の弘法堂

 

かわら版第五号でご紹介しましたように、名古屋周辺には、荒子、笠寺、竜泉寺、甚目寺尾張四観音があります。覚王山はその四つを結ぶ四観音道が通っていますが、日泰寺の北に接する赤坂町には、笠寺から竜泉寺へ向かう四観音道の傍らに弘法堂があります。弘法堂には四体の石仏があり、一番大きなものが道標仏となっています。よく見ると、道標仏には「右・みなみかさでら道、左・坂を下って左へりゅうせんじ道」と刻まれていました。

日泰寺から歩くと少し遠いですが、散策がてらに弘法堂にお出かけになってみてはいかがでしょうか。

 

石仏巡礼

 

石仏を巡ることを石仏巡礼とも言います。まとまった石仏群に出会える霊場や寺院は全国各地にあります。愛知県内では、鳳来町の仏坂ふりくさ道という山道に石仏群があるそうです。鳳来町には弘法大師が発見したとされる赤引温泉もありますので、何か関係があるのかもしれません。ご存知の方がいらっしゃいましたら編集部まで是非お知らせください。

 

御祥当の読み方

 

 先月号でお釈迦様の年命日である御祥当を「ごようとう」とご紹介したところ、「ごしょうとう」ではないかとのご指摘を頂戴しました。たしかに「ごしょうとう」が一般的のようですが、「ごようとう」との読み方もあるようです。しっかり調べて来月号でご報告させて頂きます。もう少々お待ちください。

 

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弘法さんかわら版   23号(平成16年5月)

 

皆さんこんにちは。今月も弘法さんの日がやってきました。かわら版を受け取って頂いて本当にありがとうございます。

 

勝川の大弘法

 

先月のかわら版では石仏の話をお伝えしました。石仏の分類(神像、仏像、石造遺物)に従えば、弘法大師の石像は厳密には石仏ではありません。あくまで石像です。

ところで、かわら版第十六号で、三河地方に「子安弘法像」という大きな石像があることをご紹介しましたが、愛知県にはこの他にも大きな弘法大師像があります。

春日井市の勝川には、高さ十八メートルもある巨大な勝川大弘法があります。昭和三年に、地元の大地主、山口悦太郎という人物の寄進によって造られました。勝川大弘法はただ大きいだけではありません。弘法様の足元に祠(ほこら)があり、その中には千体の小さな弘法様が入っています。一見の価値ありです。お近くに行かれた際には是非ご覧ください。

 

福の神を巡る七福神巡り

 

 さて、今年のかわら版は、日本最小の覚王山八十八カ所巡礼に因んで、石仏巡礼七福神巡礼等、他の巡礼の種類をご紹介しています。

 七福神とは、恵比須、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)、布袋(ほてい)の七神です。仏教に縁の深い神様もいますが、詳しいことは次号でお伝えします。

 福の神を祀る寺社仏閣を巡る七福神巡りは、江戸時代中頃に盛んになりました。年末年始に行われることが多く、一日か二~三日で回ることができ、色紙一枚に七福神の御朱印を集めます。

 東京隅田川べりの谷中(やなか)、京都の京洛都などの七福神巡りが有名ですが、愛知県内にもあるそうです。一度調べてみたいと思います。

 

六月十五日は「青葉祭り」

 

さて、来月十五日は弘法大師の誕生日です。弘法大師は奈良時代末期の七七四年、讃岐(香川県)で生まれました。真言宗総本山である高野山金剛峯寺では、この日に宗祖降誕会(しゅうそこうたんえ)が催されます。別名「青葉祭り」とも呼ばれています。この日は町の人たちが「大師音頭」を踊るなど、高野山全体が毎年大変な盛り上がりを見せるそうです。

かわら版第二十一号で、四月八日のお釈迦様の誕生日を「花祭り」と呼ぶことをお伝えしました。「青葉祭り」と「花祭り」、お忘れなく。

覚王山日泰寺の縁日は弘法大師が入定(=ご逝去)された日(三月二十一日)に因み、毎月二十一日です。はじめにご紹介した勝川大弘法の縁日は、弘法大師の誕生日に合わせて毎月十五日です(「月参り」と言います)。中でも、四月と十月はそれぞれ春の大祭」「秋の大祭と呼ばれ、大変な盛り上がりのようです。勝川駅前通商店街も大売出しをしますので、是非一度お出かけ下さい。

 

申し訳ありません

 

 さて、お釈迦様の入定日と言えば御祥当です。「ごようとう」「ごしょうとう」、いずれの読み方が正しいのか、まだ結論が出ていません。宿題の解答はもう少々お待ち下さい。

 

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弘法さんかわら版   24号(平成16年6月)

 

皆さん、こんにちは。弘法さんかわら版は今月号が第二十四号です。皆様のご愛顧をもちまして、丸二年を迎えることができました。本当にありがとうございます。

さて、今年の弘法さんかわら版は、覚王山八十八カ所霊場に因み、さまざまな「巡礼」についてご紹介させていただいています先月号でとりあげました七福神巡礼について、もう少し詳しく調べてみました。

 

七難転じて七福と為す

 

七福神は室町時代の末頃、民衆に信仰されるようになりました。七福は仁王経というお経の中にある七難七福という言葉が語源とされています。という数字は、中国では古くから縁起の良い数と考えられていたようです。七つの福徳がそれぞれの神に託されています。

恵比寿天(恵比須天)は、鯛を抱えた姿からわかるとおり、漁業や海運の神です。大黒天は農業や炊事の神、毘沙門天武勇の神、弁財天(弁才天)知恵と芸能の神、水の神です福禄寿と寿老人はいずれも人々の幸福と長寿を司る神で、両者は同神とする説もあります。布袋は七福神の中で唯一実在した人物(中国の禅僧)が神格化されたものです。その豊かな体格から弥勒菩薩の化身とも言われています。なお、大黒天と毘沙門天は仏教の守り神でもあります。

七福神信仰は江戸時代に盛んとなり、宝船に乗った七福神の絵は商売繁盛の縁起物として喜ばれ、枕の下に敷いたり、床の間に飾る風習がはやりました。

 

愛知の七福神巡礼

 

 福の神を祀る寺社仏閣を参拝する七福神巡りも、江戸時代中頃に盛んになりました。年末年始に行われることが多く、色紙一枚に七福神の御朱印を集めます。七福神巡りは全国にあります。愛知県内では、編集部が調べたところ、とりあえず九つ確認できました。

 一番人気はなごや七福神です。笠寺観音恵比須天、大須観音布袋などが含まれています。この二つは、過去のかわら版でご紹介した名古屋四観音となごや七福神を兼ねていることになりますね。

なごや七福神を巡礼する方々のために、毎年一月上旬に名古屋三越で御朱印を押すための色紙を配布してくれます。ご興味のある方は、一度三越にお問い合わせください。

 他の八つは、尾張七福神(甚目寺町)、大府七福神(大府市)、高蔵福徳神(春日井市)、南知多七福神(南知多町など)、三河七福神(岡崎市など)、吉田七福神(豊橋市)、東海七福神(田原市など)、名古屋七福神です。

 

 覚王山の七福神巡礼?!

 

最後の名古屋七福神は、最初にご紹介したなごや七福神とは別のものです。千種区城山新町の大竜寺(布袋)、千種区青柳町の法応寺(毘沙門天)を含む七寺で構成されています。明治時代には大変に賑わったそうですが、現在は忘れられています。大竜寺も法応寺も覚王山周辺です。この際、名古屋七福神を覚王山七福神として復興させたいものですね。覚王山周辺の寺社で七福神を祀ってあるところがあれば、是非、編集部までご教示ください。

 

三年目も頑張ります!

 

さて、弘法さんかわら版は来月号から三年目です。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

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弘法さんかわら版   25号(平成16年7月)

 

皆さん、こんにちは。先月の弘法さんは、残念ながら台風に見舞われました。露店もほとんど出ず、お出掛けにならなかった方も多いと思います。そこで今日は、弘法さんかわら版も、先月号といっしょに配らせて頂いております。先月号もどうぞご覧ください。

 

「ごしょうとう」?「ごようとう」?

 

さて、かわら版第二十号(今年の二月号)で、毎年三月二十一日が弘法大師の年命日であり、これを「御祥当」と呼ぶことを紹介させて頂きました。その際、「御祥当」の読み方を「ごようとう」としておりましたところ、ある露店のご主人から「ごしょうとう」が正しい読みではないかとのご指摘を頂戴致しました。ありがとうございました。

お答えがたいへん遅くなって恐縮ですが、編集部スタッフが調べた結果をご報告させて頂きます。

 

「祥」=「正」なので「しょう」が正しいで「しょう」

 

結論から申し上げれば、「ごしょうとう」が正しい読み方でした。たいへん失礼致しました。

年命日は仏教用語では「祥月命日」(しょうつきめいにち)と言います。
これは、亡くなったその日、つまり、亡くなった日に正しく当たる日(=「正当(しょうとう)日」)のことです。「御祥当」は「御正当」なので、「ごしょうとう」が正しい読み方というわけです。

例えば、三月二十一日に亡くなった人の「正当」=「祥月命日」は毎年三月二十一日になります。

こうしたことから、弘法大師の「祥月命日」を人々が敬意を込めて「御祥当」と呼びます。

では、なぜ「」が「」に変化したのでしょうか。

その理由の第一は、「お正月」と混同しないようにするためです。祥月は、(=命日)のあるなので「正忌月」とも言い、もともとは「正月(しょうつき)」とも呼ばれていました。でも、これでは年初のおめでたい「お正月(しょうがつ)」といっしょになってしまいますよね。

第二には、中国の古い儒教の影響があります。儒教の「礼記(らいき)」という書物には「親が死んで十三ヶ月目を小祥、二十五ヶ月目を大祥と言う」という記述があります。仏教が儒教の影響を受け、一周忌のことを小祥忌、三回忌のことを大祥忌と呼ぶようになりました。

こうした習慣を受け、「祥」という字が使われるようになったそうです。

 

お砂踏(おすなふみ)

 

「祥月命日」が「御祥当(ごしょうとう)」と呼ばれて人々の尊敬を集めている弘法大師空海ですが、大師の修験の場は言うまでもなく四国八十八か所霊場です。ここ覚王山八十八か所霊場は日本最小の最もお手軽な「写し」です。しかし、さらにお手軽な八十八か所霊場の功徳を得る方法があります。それは「お砂踏」というものです。それは、四国霊場の砂を詰めた座布団を踏み、それぞれの霊場のご本尊を描いた掛け軸を拝むという作法です。大変短い時間で四国霊場を巡礼したのと同じ霊験を得ることができるそうです。

この「お砂踏」が、なんと明日七月二十二日から八月三日まで、名鉄パレ神宮店開催される「四国八十八か所、お砂踏、ご本尊展」で体験できます。

ご興味のある方は、是非お出掛けになってはいかがでしょうか。編集部も体験してきたいと思います。

 

 

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弘法さんかわら版   26号(平成16年8月)

 

皆さん、残暑お見舞申し上げます。お盆が明けてもまだまだ暑い日が続きますね。しかし、立秋も過ぎ、暦の上ではすでに秋です。まもなく九月、お月見の季節になりますね。

 

お月見と縁の深い覚王山

 

 以前にも、このかわら版でご紹介させて頂きましたが、覚王山周辺には月見坂町観月町といった「月」が入っている地名が残っています。

平地の多い名古屋の中で、覚王山周辺は際立って小高い丘になっており、江戸時代にはお月見の名所だったそうです。その名残が地名に残っているようです。

今月は満月が二度ある珍しい月です。満月の周期二十九・五日ですから、ひと月のうちに満月が二回見られることは滅多にありません。今月はたまたま一日と三十日が満月に当たります。

ちなみに、今年の「中秋の名月」、つまり旧暦の八月十五日九月二十八日だそうです。今年の「中秋の名月」は、覚王山界隈で弘法大師を偲びながらのお月見はいがかですか。

 

満月と弘法大師

 

 弘法大師を偲びながらって、どうして?と思われた読者の方が多いかもしれませんね。実は、弘法大師の誕生日旧暦の六月十五日、この日も満月の夜でした。

 暦に詳しい読者の皆さんはご存じのことと思いますが、旧暦(太陰暦)月齢に対応しますので、毎月十五日はだいたい満月に当たります。

 したがって、今月一日が旧暦六月十五日(弘法大師誕生日)、三十日は同七月十五日(旧盆)、来月二十八日が同八月十五日(中秋の名月)となるわけです。

 余談ですが、旧暦では年初から三か月ごと春夏秋冬となります。したがって、七、八、九月は秋であり、旧暦八月十五日は秋の真ん中だから、中秋の名月となります。

 「そんなこと知っとるがね」というお声が聞こえてきそうです。たいへん失礼致しました。

 

覚王山満月巡礼

 

 こうして覚王山とお月見の関係、弘法大師と満月の関係を調べてみると、何だか不思議な気がしてきます。

 四国八十八カ所霊場の日本最小の「写し」である覚王山八十八か所霊場ですが、満月と絡めた巡礼行事なども工夫できそうですね。

 旧暦の毎月十五日(弘法大師の月命日)の夜に覚王山で弘法大師を偲んで一杯やる(不謹慎かも・・)ことを「覚王山満月巡礼」などと命名してはいかがでしょうか。参道名物のみたらしを満月に見立てて食べるのも一興です。

 

月と高野山

 

旧盆と満月が重なる今月三十日には、弘法大師が開山した高野山金剛峯寺では「月と高野山」という催し物が開催されます。記念コンサートや、満月と縁の深い瞑想法である阿字観(あじかん)の実習体験も行われるそうです。この瞑想法を体得すると、心の雲が晴れて満月が表れ、澄み切った気持ちになれると言われています。

 

お詫びと訂正

 

 かわら版第二十四号(六月号)では、愛知の七福神巡礼をご紹介させて頂きました。その中で、尾張七福神の所在地を甚目寺町としておりましたが、正しくは祖父江町であり、甚目寺町にあるのは尾張四観音であることが分かりました。ご教示頂きました読者の方に御礼申し上げます。お詫びして訂正させて頂きます。

 

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弘法さんかわら版   27号(平成16年9月)

 

 

皆さん、こんにちは。今年は台風の当たり年です。そういえば、六月の弘法さんは台風で中止になりましたね。くれぐれもお気をつけください。

 

霊場、いよいよ世界遺産に!

 

今年の弘法さんかわら版は、日本最小四国霊場の「写し」覚王山八十八カ所霊場に因んで、巡礼霊場にまつわる話題をお伝えしています。

全国にさまざまな霊場がありますが、このたび、紀伊半島の霊場と参詣道世界遺産に選ばれました。

世界遺産の選定は一九七二年から始まり、現在、世界で七百八十八ヶ所が指定されています(今年七月末現在)。日本では十二番目の世界遺産になりますが、霊場巡りの全行程が選ばれたのは初めてです。

 

 高野山を含む三つの山岳霊場

 

今回選ばれたのは、弘法大師ゆかりの高野山を含む三つの山岳霊場と、それらを結ぶ参詣道全体であり、極めて珍しい世界遺産です。

真言密教の根本道場「高野山」、神仏習合熊野信仰の中心地「熊野三山」、修験道の拠点「吉野・大峯」の三霊場と、それらを結ぶ「高野山町石道」、「熊野参詣道」、「大峯奥駈道」の三道です。なかでも、熊野参詣道は、高野山と熊野を最短で結ぶ小辺路のほか、中辺路、大辺路、伊勢路の四道で構成されています。この三霊場三参詣道は、世界最大の世界遺産です。

 

 覚王山にも名所はたくさん!

 

日本最小の覚王山八十八カ所霊場の開祖(弘法大師)ゆかりの高野山が、世界最大の世界遺産に選ばれたのは興味深い巡り合わせですが、四国霊場全体が世界遺産になれば、今回の紀伊半島を上回る規模です。四国霊場の世界遺産入りが実現するといいですね。

覚王山周辺には、日本で唯一の本物の仏舎利が祀られている仏教十九宗派の共同寺院日泰寺をはじめ、鉈薬師、山神社、上野天満宮、尋盛寺、大龍寺、正法寺尼学林、城山八幡宮、桃巌寺など、名所旧跡が目白押しです。世界遺産入りというわけにはいかないですが、地元の史跡は大切にしたいものですね。

 

「弘法さんを語る会」開催!!

 

さて、このかわら版も三年目に入りました。おかげさまで、編集部も日泰寺や覚王山周辺の歴史などを少しは知ることができました。また、弘法大師のことについても、一段と興味がわきました。もっといろんなことを勉強してみたいと思います。

そこで、編集部では、来る十二月十四日(火)、「弘法さんを語る会」を開催させて頂きます。かわら版の執筆者である大塚耕平が、参加者の皆様と一緒に、弘法大師のこと、日泰寺周辺のこと、縁日のことなどをお話しさせて頂きたいと思います。第一回のテーマは、「弘法大師の生涯」です。

場所は日泰寺西側の庭園ギャラリー「いち倫」です。定員二十人ですので、お時間とご興味のある方は、是非ご参加ください。お申し込みをお待ちしております。十二月のことですので、来月号以降でもご案内させて頂きます。

それでは皆さん、また来月お会いしましょう。

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テキスト ボックス: 第1回「弘法さんを語る会」~弘法大師の生涯~
ご案内役:大塚耕平(弘法さんかわら版執筆者)
日時:12月14日(火)午後1時~3時
場所:庭園ギャラリー「いち倫」(日泰寺西側)
定員:20人(お申し込みは大塚耕平事務所まで757-1955)
会費:500円
 

弘法さんかわら版   28号(平成16年10月)

 

 

皆さん、こんにちは。日泰寺参道も秋真っ盛りです。今日もきっと、焼き栗などの秋の味覚が露店に並んでいることと思います。

今年の弘法さんかわら版では巡礼にまつわるお話をお伝えしています。今月の話題は、蜂須賀小六と弘法大師のちょっと意外な関係です。

 

★初代阿波藩主、蜂須賀小六

  

蜂須賀小六のことは、読者の皆さんもよくご存知のことと思います。海部郡美和町の出身で、あの豊臣秀吉の家臣です。

小六は、秀吉の四国遠征で大変な戦功を挙げ、後に阿波藩(徳島県)の初代藩主となりました。阿波と言えば、四国巡礼のスタート地点です。

さて、この「蜂須賀」という名前は、実は弘法大師と深~い関係があるようです。

 

★蜂須賀弘法

 

全国を旅していた弘法大師が、宮の宿(今の熱田神宮辺り)を訪れた際に、「北の方の小高い丘が荒らされている。寺を建てて鎮めよ」との天のお告げを聞いたそうです。お告げに従って出向いた場所が、今の海部郡美和町界隈の丘の上。そこには、大きな蜂の大群がブンブンと飛び回り、村人たちを困らせていました。

弘法大師が何日もかけて災厄退散を祈祷した甲斐あって、蜂はどこかへ飛んでいったそうです。弘法大師は蜂の巣のあった場所に寺を建て、蓮華寺と命名しました。以来、この地は蜂塚と呼ばれるようになり、のちの「蜂須賀」という名前の語源となりました。蜂須賀家は蓮華寺を菩提寺とし、蓮花寺は別名蜂須賀弘法と言われています。

 

★弘法大師へのご恩返し

 

 さて、蜂須賀小六が初代藩主となった阿波の国にもたくさんの札所がありました。

そのうちのひとつ、第六十六番札所は巨鼇山雲辺寺(きょごうさんうんぺんじ)。その名の通り、巨鼇(大きな亀)のような山の上にあり、霊場の中で最も標高(九百二十七メートル)が高く、雲海の中にあるお寺です。

雲辺寺は学問が大変盛んだったために、学問の中心と言われた高野山になぞらえて四国高野とも呼ばれていました。

この雲辺寺、戦乱によって荒れ果てていましたが、蜂須賀小六とその子孫は、寺を再興し、祈願所としました。蜂須賀一族は、時間と空間を越えて弘法大師にご恩返しをしたということですね。

 なお、雲辺寺は巡礼の順序により讃岐の札所になっていますが、所在地は阿波の国になります。

 

★覚王山の雲辺寺

 

 日本最小の覚王山八十八箇所霊場の雲辺寺の写しは、日泰寺奉安塔の裏手にあります。この奉安塔と大書院鳳凰台十月三十一日に公開されます。ご興味のある方は、雲辺寺の見学もかねて、お出かけになってはいかがでしょうか。

 

「弘法さんを語る会」開催!!

 

さて、先月号でもお知らせ致しましたが、編集部では来る十二月十四日(火)、「弘法さんを語る会」を開催させて頂きます。第一回のテーマ弘法大師の生涯、場所は日泰寺西側の庭園ギャラリー「いち倫」定員二十人です。ご興味のある方は、是非ご参加ください。お申し込みをお待ちしております。

 また、名古屋市博物館では、十一月三日まで、高野山を含む紀伊山地三参詣道(世界遺産)特別展「祈りの道」も開催されています。イベント一杯の秋ですね。

テキスト ボックス: 第1回「弘法さんを語る会」~弘法大師の生涯~
ご案内役:大塚耕平(弘法さんかわら版執筆者)
日時:12月14日(火)午後1時~3時
場所:庭園ギャラリー「いち倫」(日泰寺西側)
定員:20人(お申し込みは大塚耕平事務所まで757-1955)
会費:500円(お茶代)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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テキスト ボックス: 第1回「弘法さんを語る会」~弘法大師の生涯~
ご案内役:大塚耕平(弘法さんかわら版執筆者)
日時:12月14日(火)午後1時~3時
場所:庭園ギャラリー「いち倫」(日泰寺西側)
定員:20人(お申し込みは大塚耕平事務所まで757-1955)
会費:500円
 

弘法さんかわら版   29号(平成16年11月)

 

 皆さん、こんにちは。今年もあとひと月あまりとなりました。巡礼の話題を中心にお伝えしてきました今年のかわら版もあと二回となりました。

 

巡礼アラカルト

 

 覚王山八十八カ所霊場は、半径1キロメートル以内に全ての霊場がある四国巡礼地日本最小の「写し」です。一日で回ることのできるありがたい「写し」です。

さて、本家の四国巡礼地は、ご承知のとおり徳島、高知、愛媛、香川の順に、四国を時計回りに参拝する丸い霊場巡りです。実は、これ、世界的にも珍しい巡礼方式です。

ヨーロッパでは、ローマ、エルサレム、サンチャゴ(スペイン)が三大巡礼地と言われていますが、いずれも一直線に聖地を訪ねる旅です。

西国三十三カ所、坂東三十三カ所、秩父三十四カ所など、他の国内巡礼でもグルッと回る方式のものはありません(余談ですが、この三つをあわせて、百観音巡りとも言います)。

かわら版でご紹介した、石仏巡り、七福神巡りのほかにも、巨木巡りなど、まだまだ知らない巡礼がありますが、いずれも回る巡礼ではありません。

 世界的にも珍しい回る巡礼の「写し」ですから、覚王山霊場も八十八番は一番の近くに戻ってくるようになっています。なるほどという感じです。

 

祝!覚王山日泰寺百周年

 

 ところで、一九〇四年(明治三十七年)に覚王山に建立された日泰寺は、今年が百周年です。タイから送られた本物のお釈迦様の骨(仏舎利を祀るのが日泰寺建立の目的でしたので、今月十五日の記念行事には、タイからもお客様をお迎えしたそうです。

 

奉安塔、大書院鳳凰台公開!

 

先月三十日には、その仏舎利を収めた奉安塔と大書院鳳凰台が一般公開されました。

奉安塔に至る通路の手前には奉安塔を拝むための礼拝殿があります。礼拝殿に使った木材を寄進したのは大隈重信公です。幕末の志士であり、明治政府の総理大臣、早稲田大学の創立者の大隈さんが、日泰寺に足跡を残していたとは知りませんでした。

日泰寺本殿の東にある大書院鳳凰台は、二百畳もある総桧造の大変優美な大広間です。次回の公開の際には是非ご覧ください。

 

「目直しのお札」?

 

 ところで、かわら版第十七号で七十七番札所桑多山道隆寺、別名「目直し薬師」に関連して、昔、参道で配られていた「目直しのお札」のことを取り上げました。その際、それが今どうなっているかは分からないということをお伝えしましたが、日泰寺のそばにある柳谷観音というお寺が「目の観音様」と呼ばれていることが分かりました。弘法大師像と、京都の東寺では大師の化身と呼ばれている不動明王像も祀られています。何か関係があるかもしれませんね。ご報告しておきます。

 

いよいよ来月「弘法さんを語る会」

 

さて、弘法大師のことをもっと知るために、来る十二月十四日(火)、「弘法さんを語る会」を開催させて頂きます。第一回のテーマは、弘法大師の生涯です。

場所は日泰寺西側の庭園ギャラリー「いち倫」です。「いち倫」については裏面をご参照ください。定員二十人ですので、お時間とご興味のある方のご参加を、心よりお待ちしております。

テキスト ボックス: 第1回「弘法さんを語る会」~弘法大師の生涯~
ご案内役:大塚耕平(弘法さんかわら版執筆者)
日時:12月14日(火)午後1時~3時
場所:庭園ギャラリー「いち倫」(日泰寺西側)
定員:20人(お申し込みは大塚耕平事務所まで757-1955)
会費:500円