耕平さんかわら版   121号(平成24年07月

 皆さん、こんにちは。夏本番です。暑い日が続きますが、くれぐれもご自愛ください。

 もうすぐロンドンオリンピックが始まります。期間は七月二十七日から八月十二日まで。夏季オリンピックとしては第三十回になるそうです。

 体操の内村航平選手、ウェイトリフティングの八木かなえ選手、もちろん水泳の北島康介選手など、多くの若者が日本の代表として頑張ってくれます。ファンとして、国民として、頼もしく、嬉しいことです。

 経済の世界は年中、毎日、オリンピックを行っているようなものです。それぞれの国が国民の豊かさを求め、経済政策や通商交渉を行います。もっとも、どのような社会を目指すのかという「目標」は国のよって区々ですから、豊かさの定義にはいろいろな見方があります。

 人口増加、経済成長を前提とした二十世紀後半の日本。GDP(国内総生産)という豊かさを基準に考えてきました。一九六四年に西ドイツ(当時)を抜いて世界二位となったものの、二〇一○年には中国に抜かれて三位に後退。中国の人口は日本の十倍。総額で抜かれることは時間の問題でした。

 先月、国連が「包括的な富」に関する報告書を発表しました。この報告書による「富」とは、@物的資本(機械、建物、インフラ等)、A人的資本(人口、教育と技能のレベル)、B自然資本(土地、森、化石燃料、鉱物等)の合計です。

 それによれば、トップは米国の百十八兆ドル。二位は日本の五十五兆ドル。三位は中国の二十兆ドル。日本は中国の二・八倍であり、「一人当たりの富」では米国を上回ってトップでした。

 このように、豊かさの評価は定義や考え方によって異なります。人口減少、安定成長に向き合わざるをえない二十一世紀前半の日本。柔軟に考えることが必要です。

 しかし、「一人当たりの富」で日本をトップに押し上げている教育レベルや豊かな自然も、安泰ではありません。それを維持し、高めていくための努力をしなければ、やがてこの定義でも日本の順位は後退します。

 内村選手、八木選手、北島選手を見習い、政策づくりの努力を怠らず、しかもそれをシッカリと実行していかなくてはなりません。頑張ります

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