耕平さんかわら版   123号(平成24年09月

 皆さん、こんにちは。九月も暑い日が続きましたが、もうすぐ十月、秋本番。朝晩は思いのほか冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。

 八月のオリンピックに続いて、九月のパラリンピックも感動的でした。パラリンピックは元々、半身の不随( )+オリンピック( )という意味の合成語でしたが、一九八五年に平行( )+オリンピックという意味の合成語として再定義され、以来「もうひとつのオリンピック」として理解されています。つまり、オリンピックと並んで開催されるパラリンピック。両者(健常者と障がい者)が揃って社会が成り立っているという含意のようです。

 パラリンピックの起源は、一九四八年の前回ロンドンオリンピックの開会式と同じ日にイギリスのマンデビル病院で開かれた競技大会。戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして、「手術よりスポーツを」の理念で始められました。

 一九六〇年、オリンピックが開催されたローマで国際マンデビル競技大会を開催。現在では、この大会が第1回パラリンピックと呼ばれています。一九七六年からは冬季大会も始まりました。

 その後の紆余曲折を経て、夏季は一九八八年のソウル大会以降、冬季は一九九二年のアルベールビル大会以降、オリンピック開催都市でパラリンピックを行うことが定着しました。

 二〇〇〇年の夏季シドニー大会の際に、国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)が協定を結び、「オリンピック開催都市でオリンピックに続いてパラリンピックを行うこと」が義務となりました。意外に最近のことですね。

 日本の場合、心身に何らかの障がいを持っている人の割合は二十人に一人。誰でも障がいを持つ可能性があります。健常者と障がい者、両者が揃って社会。両者が平行して「車の両輪」のように行われるのがオリンピックとパラリンピックです。

 今後、国民会議で行われる社会保障制度改革の議論でも、健常者と障がい者がともに協力して支え合い、長く安定的に持続が可能な仕組みを追求しなくてはなりません。より良い制度を目指し、オリンピックやパラリンピックの選手に負けないように、頑張ります!!

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