耕平さんかわら版   135号(平成25年9月

 皆さん、こんにちは。お彼岸の季節です。暑さ寒さも彼岸まで。朝晩は冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。

 お彼岸は、日本独特の行事として平安時代に始まりました。初めてお彼岸が行われたのは八○六年。非業(ひごう)の最期をとげた早良(さわら)親王を悼み、崇道天皇の名をおくって鎮魂した行事が始まりとのことです。

 先月お伝えしたとおり、日本で最初に行われた盂蘭盆会は六○七年。仏教を日本に浸透させようとしていた聖徳太子の時代。お彼岸の始まりはそれから約二百年後です。

 同じ頃、唐に渡った最澄と空海。最澄が八○五年に帰国、空海は奇しくもお彼岸が始まった八○六年に帰国しました。

 中国(宋)僧が一二六九年(鎌倉時代)に来日した時の記録の中に「日本には春と秋に彼岸という行事がある」と記しています。鎌倉時代には武士の間でお彼岸の風習が定着し、江戸時代には庶民にも広まったようです。

 お彼岸の日の出は真東、日没は真西。夕刻、日没方向を望むと極楽浄土を体感できると伝えられています。

 「彼岸」はサンスクリット語(梵語)の「波羅密多(はらみった)」の意訳。「向こう岸に渡る」という意味。欲(虚飾)と煩悩に満ちた「此岸(しがん)」を離れ、寂静(じゃくじょう)の世界である「彼岸」に渡って、心を鎮めるという願いが込められています。

 昼夜当分のこの日は、苦楽に偏らない「中道」を意味し、前後三日ずつで菩薩の修行を表す「六波羅蜜」の「六」を表現。したがって、お彼岸のことは「お中日(ちゅうにち)」とも言います。

 昭和二十三年に定められた「祝日法」では、春分の日を「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」、秋分の日を「祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ日」とされています。

 人間は欲を満たすために自然や生物を犠牲にしています。祖先なくして今の人間はありません。お彼岸は、自然や生物に感謝し、祖先に思いをはせ、人間社会のあり様を省みる日と言ってよいでしょう。

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