耕平さんかわら版   137号(平成25年11月

 皆さん、こんにちは。寒くなりましたねぇ。今年もあとひと月あまり。くれぐれもご自愛ください。

 お釈迦様の教えの基本は「三法印(さんぽういん)」あるいは「四法印(しほういん)」と言われます。その第一は「諸行無常(しょぎょうむじょう)」。

「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」という平家物語の出だしの一節でお馴染みの言葉です。

「諸行」はあらゆる物事や事象。「無常」とは「常に変化生滅し、不変永遠はない」という意味です。

私たちの体(からだ)ですら、時々刻々と古い細胞が滅し、新しい細胞が生まれる新陳代謝を繰り返しています。そして、やがては新陳代謝が衰え、寿命を迎えます。

身の回りの自然、そして一見不変に思える宇宙も、全ては生じ、変化し、滅していきます。

ところが私たちは、ともすれば今の状態が不変であり、時には永遠に続くと錯覚します。現在の姿に執着するので、変化に遭遇すると苦しみ、悩みます。

「無常」を前提に日々の出来事、身の回りの変化を受け止めていくと、動じることがなくなります。年老い、死んでいくことも、生を受けた以上は当たり前の変化です。

自分自身を含む「諸行」はそういうものだからこそ、老いや死を恐れることなく、今現在をしっかりと生き抜く、充実した日々を送ることの大切さを諭しています。

お釈迦様は「過去を悔やまないように。それは過ぎ去った日だから。未来を案じないように。それはまだ来ぬ日だから。今を大切に生きなさい」という趣旨のことを述べたと伝えられています。

社会や国も「諸行無常」です。制度や政策も「諸行無常」。環境や時代の変化に応じ、変わっていかざるをえません。

制度や政策が自分にとって有益だと思う時には不変を願い、不利益だと思う時には変化を願う。人間とはそういうものであり、人間の性(さが)です。

しかし、現実は「諸行無常」。その中で、他者との調整を図りながら、最善あるいは次善を追求していかなくてはなりません。

「諸行無常」とは、決して「刹那的に生きる」ことを説いているのではなく、「一生懸命に生きる」ことを諭しています。

そういうことも沈思黙考、自省しながら、あとひと月、無事息災に過ごしましょう。

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