耕平さんかわら版   141号(平成26年3月

 皆さん、こんにちは。今日はご祥当(しょうとう)。お大師様の祥月命日です。ご祥当が過ぎるといよいよ春本春。待ち遠しいですねぇ。とは言え、朝晩はまだまだ冷え込みます。くれぐれもご自愛ください。

 先月から、生きることと向き合うための四つの鍵、「苦諦(くたい)」「集諦(じったい)」「滅諦(めったい)」「道諦(どうたい)」の「四諦(したい)」について勉強しています。

 人が生きることは「四苦八苦」と向き合うことであるという真理を表すのが「苦諦」でした。今月は「集諦」「滅諦」「道諦」を学んでみます。

 お釈迦様は、生きていく中で「苦」に直面すること、つまり苦しむことには原因があると考えました。その原因は欲や執着です。

 何かを欲し、何かに執着することが「苦」の原因。欲するから、執着するから、得られない時、失った時には苦しみます。その欲や執着こそが「煩悩」です。

 煩悩が集まって苦しみを生み出すという真理を表現している言葉が「集諦」です。

 さて、欲や執着を滅すれば、苦しみもなくなります。つまり、苦しみの原因である欲や執着を取り除くのです。

 しかし、欲や執着を完全に滅することは不可能です。また、欲や執着は努力や向上につながる面もありますので、完全に否定することもできません。

 そこでお釈迦様は、欲や執着を制御(コントロール)することの大切さを教えています。煩悩を制御し、過度な欲や執着を滅すれば苦も滅するという真理を表す言葉が「滅諦」です。

 そして、欲や執着を制御(コントロール)することができるようになるための道、つまり修行や精神修養の方法が「道諦」です。

 さて、そう言われると、その方法を知りたくなりますねぇ。それは「八正道(はっしょうどう)」と言いますが、来月号のお楽しみです。

 それにしても、欲や執着を制御(コントロール)することは容易でないですねぇ。食べたい、飲みたい、遊びたい。あれも欲しい、これも欲しい、得をしたい。人間の心の奥底に潜む欲や執着には際限がありません。

 その欲や執着が、人間同士の争いごと、国や民族間の争いごと、自然や環境の破壊など、様々な災禍を生み出しています。

 人間とは、かくも罪深い生き物です。政治や経済の様々な問題の原因でもあります。お釈迦様に教えを乞わなければなりません。

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