耕平さんかわら版   145号(平成26年7月

 皆さん、こんにちは。いよいよ夏本番。快食、快眠で乗り切りましょう。くれぐれもご自愛ください。

 お釈迦様の教えを噛みしめながら、社会や人のあり方を考える「耕平さんかわら版」。今年の二月号に「お釈迦様は、人が生きることは『苦』と向き合うことと教えました」と書いたところ、熱心な読者のおひとりから「大塚さん、では『苦』とは何ですか」と聞かれました。「う〜ん」と思わず唸ってしまいました。深くて、根源的なご質問です。

僕はお坊さんでも哲学者でもありませんが、お釈迦様の教えを学んでみます。

二月号で、「生・老・病・死」の「四苦」に「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五薀盛苦」の四つを加えて「四苦八苦」とお伝えしました(読み方や意味は二月号をご参照ください)。

「四苦八苦」は「仕事が大変で四苦八苦だよ」というように日常会話でも使いますが、仏教には「三苦」という表現もあります。

「痛い、何とかしてくれ」という肉体の痛み。頭痛、腹痛、腰痛、いろいろあります。肉体的な痛みの苦しみは「苦苦(くく)」。

建物でも美術品でも、形ある物は壊れます。健康な肉体もいつかは朽ち果てます。物質の破壊・消滅の苦しみは「壊苦(えく)」。

運動会や遠足の前日、子どもの頃は「照る照る坊主」を作って軒先に吊しました(最近の子どもはどうですかねぇ)。「明日は天気になってほしいなぁ」と、大人でもゲートボール大会やゴルフの前日には同じ心境になるでしょう。祈ったり、願かけしても、天候は思うようになりません。こうした自然の変化や変遷に対する苦しみを「行苦(ぎょうく)」と言います。

「苦苦」「壊苦」「行苦」の三つで「三苦」。これらに共通するのは「思うようにならない」ということです。「四苦八苦」の「苦」も「思うようにはならない」ことばかり。

どうやら「四苦八苦」は「苦」の種類、「三苦」は「苦」の本質を表しているようです。

「思うようにならないこと」を科学や政策で「何とかできる」と思うことは人間の傲慢というものでしょう。

「苦」の本質を意識して行動すれば、争いごとや不安の少ない社会になりそうです。「苦」の本質に対する理解。僕自身の仕事にも活かしていかなければなりません。来月以降ももう少し「苦」について学んでみます。ではまた来月。


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