耕平さんかわら版   186号(平成29年12月

  

  皆さん、こんにちは。早いもので、もう師走。本格的な冬がやってきました。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に浸透している仏教用語をお伝えしている今年のかわら版。仏教用語がたくさん定着しているのには驚きます。

 今年はどんな年でしたでしょうか。「いや〜、良い一年だった」という人もいれば、「今年は心配ごとが多く、四苦八苦したよ」という人もいることでしょう。

 この「四苦八苦」も仏教用語です。ご存じの方も多いかもしれませんが、それは「四苦」まで。「八苦」までご存じの方は仏教通です。

 何の不自由もないシャークヤ国の王子に生まれたゴータマ・シッダールタ、つまりお釈迦様。シャークヤ国の王子なので、音写してお釈迦様です。

 人はなぜ年老いて、病に苦しみ、そして死ななければならないのだろう。そもそも、生きていると、悩みも多く、心配ごとだらけです。お釈迦様はこの「生老病死」の苦しみに向き合い、物思いにふけるようになりました。

 この「生老病死」が「四苦」ですね。ここまでは、すんなり理解できると思います。

 さて、「八苦」はこの「四苦」にもう四つ加えて「八苦」と言います。

 「愛別離苦(あいべつりく)」は、愛する人ともいつかは別れ、離れなければならない苦しみ。生きて離別することもあれば、死別することもあります。悲しいですね。

 「怨憎会苦(おんぞうえく)」は、会いたくない、接点をもちたくないような嫌〜な人とも知り合わなくてはならない苦しみ。それを受け入れざるをえないのが人生。難しいですねぇ。

 「求不得苦(ぐふとくく)」は、「あれがほしい」「これもほしい」と欲を出すのが人間という生き物。そして、求めても自分の思いどおりに得られないから「残念」「悔しい」「苦しい」という気持ちが湧き上がります。「欲」こそ「苦」の原因です。

 「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」はちょっと難しいですね。「五蘊」は「色」と「受想行識」の五文字で「五蘊」。過去のかわら版(般若心経の解説編)でお伝えしましたが、「色」は人間のからだ、「受想行識」は人間の心を指します。からだも心も「あれがほしい」「これもほしい」と「盛」んになるものの、思うようにならないという人間の本質的な「欲」の苦しみを表現しています。

 因みに「受」は、人間は様々な情報を目・耳・鼻・口・体・心の「六感」から「受」けることを意味しています。その情報に対し、自分の好き嫌いや価値観から個人的な感情を抱くことを「想」「行」「識」という字が示しています。

 「生老病死」に「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」を合わせて「四苦八苦」。そもそも「人間」が仏教用語であることは、先月お伝えしました。「四苦八苦」と向き合う「人間」。いやはや、仏教用語だらけです。

 それでは皆さん、少々気が早いですが、良い年をお迎えください。合掌。

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