耕平さんかわら版   188号(平成30年2 月

  

 

 皆さん、こんにちは。立春が過ぎましたが、まだまだ寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に浸透している仏教用語をお伝えしているかわら版。仏教用語がたくさん定着しているのには驚きます。

 今年はどんな年でしたでしょうか。「いや〜、良い一年だった」という人もいれば、「今年は心配ごとが多く、四苦八苦したよ」という人もいることでしょう。

 この「四苦八苦」も仏教用語です。ご存じの方も多いかもしれませんが、それは「四苦」まで。「八苦」までご存じの方は仏教通です。

 普段から何気なく使っているお礼の言葉、当然のように毎日使っている親しみ深い言葉である「ありがとう」。この言葉のルーツは「法句経(ほっくきょう)」というお経の一文と言われています。「法句経」はパーリ語で「ダンマパダ」と呼ばれるお経です。

 この一節に次のくだりがあります。「人の生を受くるは難く、死すべきものの、生命あるも有り難し」。人として生まれ、命を授かったことの驚きを伝える一節です。

 命を授かることも、人から親切にされることも、当然のことではなく、極めて稀で幸運なこと。そういう「有り難い」ことに対して感謝の気持ちを伝えるのが「ありがとう」です。

 友人に出会うことも、一生の伴侶と出会うことも、子どもを授かって出会うことも、皆、「有り難い」こと。出会いに感謝して「ありがとう」という気持ちになれれば、人間関係に悩むことも少なくなることでしょう。

 「袖(そで)触れ合うも他生の縁」という諺(ことわざ)があります。「多少の縁」ではなく「他生(または多生)の縁」です。おそらく、多くの人が「多少の縁」と勘違いしているのではないでしょうか。

 「他生」「多生」とは、何度も生まれ変わるという意味の仏教用語です。つまり、たまたま道ですれ違うだけの人も、前世からの何かの縁でもない限り、何十億人もいる人間の中で、そして広い世界の中で、偶然とは言えない何かの因縁のある「有り難い」出会いであることを諭しています。

 いわんや、友人、伴侶、子どもであれば、それは極めて「有り難い」出会いです。もちろん、職場や地域での知人、隣人も、もちろん「有り難い」出会いです。

 命を授かったこと、生きていることの「有り難さ」、あの人にもこの人にも知り合えた「有り難さ」、この仕事、あの仕事に出会えた「有り難さ」、そういう感謝と驚きの気持ちを表す言葉が「ありがとう」です。

 さらに言えば、嫌な人、辛いことに遭遇するのも「有り難い」こと。そのことが腹に落ちると、日常生活の全ての出会い、全ての出来事に感謝する気持ちが湧いてきます。そういう気持ちになると、身の回りの風景や人生の感じ方も変わってきます。

 今日もかわら版を受け取っていただいてありがとうございます。今日、あなた様に出会えたことも、偶然このかわら版をお受け取りいただいたことも、本当に「有り難い」ことです。

 それでまた来月まで、お元気でお過ごしください。合掌。

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