耕平さんかわら版   190号(平成30年4

  

 

 皆さん、こんにちは。いよいよ春本番。でも、朝晩は冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に浸透している仏教用語をお伝えしているかわら版。仏教用語がたくさん定着しているのには驚きます。

 四月と言えば入学、新学期のシーズン。小学校の新一年生は元気に挨拶できているでしょうか。一年生以外も、新しいクラス、新しい友達、新しい先生に少々緊張する季節。会社でも同じです。新しい部署、新しい同僚や上司、お互いに挨拶し合うことが、親しくなる大切なきっかけですね。

 この「挨拶」も実は仏教用語。ちょっとビックリです。

 「挨拶」とは、もともと禅寺で行われていた問答に由来します。「禅問答(公案)」はよく知られていますが、それよりもう少し軽い感じの問答です。

 つまり、「縁起」とはいろいろなことが「縁」として関係し合って「起」きているということ。

 「挨拶」の「挨(あい)」は「軽く触れる」「軽く押す」という意味、「挨拶」の「拶(さつ)」は「迫る」「切り込む」という意味。

 禅寺で師と弟子がすれ違いざまに、「中庭はきれいか」と問いかけると、弟子は何を問われているのかを察します。例えば、「中庭」を「心の中」と置き換えて、「静かに掃き清めています」などと返す。これが「挨拶」だそうです。

 「禅問答」は、対坐して「汝に問う」と言って師が質問し、弟子が切り返して答える。これを日常からさりげなく行うのが「挨拶」です。

 本来の「挨拶」から生活の一部となった「挨拶」。しかし、日常生活における「挨拶」も本来の「挨拶」の意味から省みると、共通する点があります。

 「おはようございます」と声をかけられて、気持ちよく「はい、おはようございます」「今日も元気に頑張りましょう」とにこやかに切り返すのと、仏頂面でモゴモゴと小声で返したり、黙って無視するのでは、お互いの印象がずいぶん違います。

 「挨拶」は瞬時に相手と心を通わせる瞬間芸のようなもの。禅寺の瞬間修行としての「挨拶」。日常生活でも人間関係や自分の気持ちに大きく影響する瞬間社交。何気なく「挨拶」するのではなく、「挨拶」の重要さを皆で共有できると良いですね。

 「挨(あい)」された時には、相手の気持ちを推し量り、自分の気持ちを高め、人間関係を良くするためにも、気持ちよく、明るく「拶(さつ)」を返す。「挨拶」の意味と習慣が徹底されると、社会や学校、会社、家庭の中も、ずいぶん雰囲気が変わります。

 元々の「挨拶」は目上の者から声をかけるもの。会社や学校で部下や後輩に対して「あいつは挨拶がない」と不機嫌な態度を示す上司や先輩。本来の意味からすれば逆です。自分が強い立場だから「挨拶」を待つのではなく、むしろ部下や後輩を慮り、目上の者から「今日も元気か」「おはよう」「何か心配ごとでもあるか」と気さくに声をかけることが「挨拶」の本来の姿。

 「挨拶」された方は、しっかりお返ししなくてはなりません。「挨拶」ひとつで人間関係や社会はずいぶん変わります。

 日常会話の中に浸透している仏教用語。まだまだ知らないことばかり。奥が深いですね。

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