耕平さんかわら版   200号(平成31年2

  

 

 皆さん、こんにちは。立春が過ぎたとは言え、寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に登場する仏教用語をお伝えしているかわら版。少しでも読者の皆さんのお役に立つよう、今年も精進します。

 寒い中を武道やスポーツの世界では寒稽古を行い、精進します。寒中水泳というのもありますね。想像しただけで寒くなります。皆さん、すごいですね。頭が下がります。

 ここまでで二度も登場した「精進」、これも仏教用語です。

 「精進」という言葉は、お釈迦さまが初めて行った説法「八正道」(八つの正しい道)の教えの中に登場します。

 具体的には「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つ。それぞれ仏教的には深い意味がありますが、あまり難しく考えないでください。例えば「正見」は邪(よこしま)な考え方を持たないこと、「正語」は人の悪口を言わないこと等々、漢字の意味から直感的にイメージできます。

 「精進」は「努力する」という意味で使われますので、「正精進」はつまり「正しい努力」。

 しかし、この「正しい努力」とは具体的にどのような努力なのか。それが難題。自分で「正しい努力」だと思っていることが、他人や社会にとっても「正しい努力」とは限りません。もちろん、他の「八正道」も、いったい「何が正しいのか」ということが難しい点です。

 「八正道」という教えで説かれている「正」とは、結果や損得を優先してしまう人間の身勝手な判断基準による「正しさ」ではなく、「偏りのない正しさ」のことを指しています。

 人間には「あれが欲しい」「これが欲しい」「ああなりたい」「こうなりたい」という「欲」「こだわり」の気持ちがあります。「正精進」は「欲」や「こだわり」を乗り越える努力とも言えます。

 「精進料理」の「精進」もこの「精進」。仏教には「不殺生戒」(生き物を殺してはいけない)という戒律があります。それを実践する「正しい努力」のために、野菜だけで作るのが「精進料理」。でも、植物も生き物。「不殺生戒」の実践は不可能とも言えます。

 仏教では「偏りのない正しさ」を求めます。「正精進」とは一生懸命努力するだけでなく、「偏りのない正しさ」を身に着ける努力、つまり「欲」や「こだわり」を乗り越え、結果に囚(とら)われない努力を指しているのかもしれません。

 スポーツでも、勉強でも、仕事でも、みんな一生懸命努力します。努力は良いことです。結果や損得をあれこれ考えることなく、「欲」や「こだわり」に囚われずに「正精進」すると、結果はついてきます。皆さんの努力が実ることを祈念します。

今年のかわら版も「精進」「精進」。それでは皆さん、また来月お会いしましょう。

kohei -san kawaraban kohei -san kawaraban kohei -san kawaraban kohei -san kawaraban kohei -san kawaraban