耕平さんかわら版   203号(令和元年6

  

 

 皆さん、こんにちは。梅雨の真っ只中。体調を崩されませんよう、くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に登場する仏教用語をお伝えしているかわら版。少しでも読者の皆さんのお役に立てば幸いです。

 今月は「火宅」です。法華経の「方便品(ほうべんぽん)」に含まれる「法華七喩(ほっけしちゆ)」の最初の喩え話、「三車火宅」の喩えに由来する仏教用語です。

 炎の怖さも、そのままでは焼け死ぬことも理解できない子どもたち。その子どもたちを救い出す話を伝えているのが「三車火宅」の喩えです。喩え話の内容については、先月号のかわら版でお伝えしました。詳しくは先月号をご覧ください。

 さて、「火宅」と聞いて「火宅の人」という小説、映画を思い出した方は、団塊の世代以上だと思います(笑)。

 「火宅の人」は檀一雄の遺作長編小説。雑誌「新潮」に一九五五年(昭和三十年)から二十年にわたって断続的に連載されました。

 こ一九七五年(昭和五十年)に単行本が刊行され、数々の文学賞を受賞。

 翌年、壇一雄が亡くなると、一九七七年にテレビドラマ化が計画されたものの遺族の反対で制作中止。その二年後にテレビドラマ化、一九八六年(昭和六十一年)に映画化されました。

 妻と障害を持つ子どもを抱える作家の主人公が、女優を愛人としながら小説を量産し、やがて家族をよそに、放浪の旅を続けるストーリー。壇一雄の私小説とも言われました。

 壇一雄は、法華経の「三車火宅」の喩えから「火宅の人」というタイトルをつけたそうです。

 しかし、人間が人間である限り、「欲」や「執着」から逃れること、内心に宿る仏心を開くことは容易ではなく、「成仏」して「真実」を覚ることは困難です。

 「火宅」とは、「燃え盛る家のように、欲、執着、苦悩、危険に包まれつつも、少しもそのことに気づかずに、奔放な生き方にのめりこんでいる」状態を指す仏教用語です。

 仏教では人間には「五欲」があると教えます。「食欲」「性欲」「睡眠欲」「金銭欲」「名誉欲」。しかし「欲」そのものが悪いわけではありません。「貪(むさぼ)る」ような「欲」が「煩悩」となり、「欲」が人を焼き尽くすまでになります。

 一九八七年のNHK特集「命燃え尽きる時・作家檀一雄の最期」では、病床の口述筆記で、「火宅の人」完成に向けて苦闘する壇一雄さんの姿が録音テープと共に紹介されたそうです。

 文豪も影響を受けた仏教用語。奥が深いです。それでは皆さん、また来月お会いしましょう。

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