政治経済レポート:OKマガジン(Vol.11)2001.9.22

元日銀マンの大塚耕平(Otsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです。


米国テロで犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

1.雇用対策の過去と未来

ちょっと古い話になりますが、8月30日の財政制度等審議会で、塩川財務大臣が人員削減に偏りがちな企業のリストラ策を「企業には社会的責任がある」と批判しました。その後、塩川さんはそうした発言を続けています。9月第2週の週末のテレビ討論でも、塩川さんは同様の発言をしましたが、その際、財界の出演者が「今の日本企業には、従来のように大量の人を雇用し続ける余力がない」という趣旨の反論をしました。この討論、何気ない内容に思えますが、実はこれまでの日本経済の特徴を端的に示しています。

戦後の日本経済は、産業政策が企業を育て、成長した企業は雇用を拡大しました。政府は様々な企業優遇策を実施し、企業は終身雇用制の下で従業員を守りました。右上がりの経済成長によって企業の内部留保が累増していた間は、政府と企業と従業員(=国民)のこの良好な関係は維持されました。一時的な不況の折にも、企業は過去の内部留保を活用し、従業員を解雇することなく守りました。また、産業全体が構造不況に直面した際も、構造改善法の施行や雇用調整助成金の給付によって企業に対する産業政策を行い、雇用の維持は企業に委ねました。つまり、産業政策を経由して企業が雇用対策を行う仕組みを構築したのです。例えば、欧米諸国に比べ、公的な職業訓練制度が極めて脆弱であったこともこうした仕組みの表れです。職業訓練は企業内で行われていました。

しかし、経済のグローバル化が進展する中で、保護的な産業政策は企業の競争力をかえって弱め、高度成長の終焉は企業の内部留保を減らし、雇用余力を縮小させました。環境が変わったのです。それでは、どうしたらいいのでしょうか?これまでの文脈から、政府、企業の目指すべき方向は明らかです。

政府:保護的な産業政策を行うのではなく、企業が活動し易いような(=国際的にも通用するような)税制、金融、インフラ等の基盤整備に徹する。雇用対策は、国民に直接働き掛けるような仕組み(雇用保険制度、職業訓練制度の拡充、転職市場の整備)に改める。

企業:経済成長を前提としたボリューム志向を改め、高収益体質=低コスト体質を強化する。

さて、以上を理解して頂いたうえで、気になる点が2つあります。ひとつは、塩川さんの発言です。「企業には社会的責任がある」という主張は、一見的を得ているような気がしますが、政府と企業の目指すべき方向からは少々ずれているかもしれません。まだ、昔の感覚で考えているのでしょうか?

もうひとつは、企業の低コスト体質強化の方法です。企業のコストは、大きく分ければ「物」と「金」と「人」に大別されます。「物」のコストは、グローバルスタンダード化の流れでドンドン下がっています。これがデフレです。大企業が下請けや取引先にコスト削減を要求していることもデフレを加速しています。「金」のコストは、超金融緩和の下で相当低下しています。残るは「人」のコストです。労働コストを「低くする」ためには、単価(給料)を下げるか頭数(従業員数)を少なくするかしかありません。今、それがリストラとして行われています。
でも、本当にそれだけでしょうか?実は、労働コストを「低くする」という選択肢のほかに、「高くなくする」という選択肢があります。つまり、従業員1人1人の生産性、効率性を上げるということです。企業が従業員の教育・訓練に注力し、従業員もそれに応えて生産性を上げていくという方向です。そもそも、リストラという言葉は「リストラクチャリング=業務再構築」という意味であり、人員削減とか雇用調整という意味ではありません。経営者がこの勘違いに気がつき、従業員の教育・訓練の充実、モチベーション向上の仕組み作りを行い、従業員側もそれに応えてレベルアップし、業務再構築に力を発揮するというのが最も理想的なリストラの構図です。経営者と従業員が一体となってこうした方向性を追求する企業は、社内の士気も高まり、結果的に「勝ち組」になる可能性が高いと思います。

塩川さんが、そうした方向性を志向せず、リストラ=人員削減と考えている経営者を指弾して「企業には社会的責任がある」と言っているのなら的を得ています。さすがです!!でも、「雇用対策は企業の責任だ」という感覚で言っているとしたら、塩川さん、それは違いますよ。雇用対策は政府の責任ですよ!!

2.企業のインフォームドコンセント

9月14日、大手スーパーのマイカルが東京地裁に民事再生法の適用を申請し、財産保全命令を受けました。負債総額は1兆7400億円、金融機関の破綻を除くと、そごうの1兆8700億円に次ぐ史上2番目の倒産規模になります。

民事再生法の適用申請に踏み切った直接の契機は、第一勧業銀行に繋ぎ融資400億円を断られ、資金繰りがつかなくなったためのようです。どこにでもある話ですが、ちょっと考えさせられます。金融機関は全ての企業の「生殺与奪の権」をもっているということでしょうか?どこの企業も、いつ何時マイカルと同じ運命になるかもしれないということでしょうか?

企業と金融機関の関係を、患者と医師の関係に置き換えてみました。病床の患者は「まだ生きたい、頑張りたい」と思っています。しかし、医師は「この患者は助からない」と考えています。医師はいきなり生命維持装置をはずしていいでしょうか?それとも、患者に告知(インフォームドコンセント)が必要でしょうか?

法務省民事局の検事さん(余談ですが、法務省の官僚の名刺には「検事」と書いてあるんですよ)にこの疑問を投げ掛けてみました。彼らの答えは、「契約自由の原則ですから、何の問題もありません」ということです。通常は、たしかにそのとおりです。しかし、今は、金融機関自身が公的資金を投入されています。言わば、医者自身が病んでいて判断能力が鈍っている、あるいは判断の適切さに疑義がある状態です(「ヤブ医者」という感じでしょうか)。また、マイカルという患者の死亡は、病院全体(=経済全体)に大きな影響を与えるかもしれない事態です。ひとりの病んだ医者の判断に任せていいものでしょうか?少なくとも、金融機関が融資を断る理由について、すなわち、企業の財務内容や業績に関する金融機関側の判断について、公正中立な第3者機関が裁定することが必要ではないでしょうか?この問題は、金融アセスメント法案にも関係してきます。

今後の課題として、よく考えてみたいと思います。

3.ITは日本経済の救世主?「ブロードバンド」って何?

「IT革命」という言葉も、もうだいぶ古くなったような印象を受けます。もはや、ITは私達の日常生活に不可欠の存在になりつつあります(もう、「イット」と読む首相も出てこないと思います)。

IT化の流れは、この数十年の間に進行した「情報伝達のデジタル化」の中で生まれたものです。「情報伝達のデジタル化」は、全ての情報を「1(on)」と「0(off)」に分解して伝えることを意味します。「デジタル化」により、(1)データ処理の簡略化(音声、映像、文書を問わず、全ての情報を同じ方法で取り扱うことができる)、(2)記憶媒体の多様化(読み書きを標準化すれば、どんな記憶媒体に記録してもよい)、(3)インフラの効率的な利用(アナログ方式に比べ、同じ電話回線でも100倍以上の伝達効率)、(4)付加価値の高度化(データ圧縮、暗号化などの技術の普及、ゲームなどの複雑なソフト=インタラクティビティの普及)を実現しました。

「デジタル化」したデータを配信する手続きがインターネット・プロトコル(IP)です。IP自体はかなり以前からあったものですが、デジタル技術(パソコン、通信インフラ等)の性能向上により、一般的に利用することが可能になりました。電子メール、WWW、音楽・映像配信などすべてこのIPを活用することで実現しています。IPの利用により、かつてはSFの世界だったテレビ会議も、特別な(高価な)装置を使わなくても実現可能となりました。そのうち、ビデオやCDのレンタルはネット配信になるでしょうし、その次には、新聞や書籍などのネット配信されることでしょう。新聞社や出版社はどうなるのでしょうか?

しかし、これらのサービスを受けるには、通信回線は「常時接続」、データは「オン・デマンド」という形態が前提となっています。通信回線が「常時接続」でなければその利便性は大幅に低下します。したがって、通信回線の「常時接続」を、これまで、テレビを見たり、電話をかけたりしていたのと同様に、国民生活の日常的な機能として確立することが必要です。そこで脚光を浴びているのが「ブロードバンド(広帯域接続、毎秒200キロビット以上)」です。

「ブロードバンド」とは、大容量のデータを高速で通信でき、かつ定額料金で「常時接続」できる通信サービスのことを指します。デジタルデータはアナログデータ(音声など)と異なり、通信手段を問いません。したがって、既存のインフラを活用しても十分に実現可能です。具体的には、最近話題のADSL(非対称デジタル加入者線)、光ファイバーによるFTTH(ファイバー・ツー・ザ・ホーム)、CATVインターネット、FWA(無線インターネット)、電力線モデムなどがあります。
これらのインフラは、従来の公共事業に比べれば、たいしたお金もかけずに全国的に拡充可能です。にもかかわらず、日本のこうしたインフラ整備は他国に比べて大きく遅れをとっています。「ブロードバンド」の利用人数は、韓国の388万人に対して、日本は137万人にとどまっています。シンガポールでは基本料金を払えば、全国民が「ブロードバンド」に接続できるようになっています。因みに、インターネットの普及率(対人口比)自体も、日本は29.3%(世界18位)とシンガポール(44.6%、8位)、韓国(34.6%、第15位)の後塵を拝しています。

「ブロードバンド」の計画的、戦略的な構築と普及は、低迷する日本経済の起爆剤になるかもしれません。そのためには、「ブロードバンド」上でどういうサービス(ソフト)が提供されるかがポイントです。提供されるサービスが遊びだけでは、利用層が限定され、普及には限界があります。
そこで、基本的な行政サービスをインターネットを経由して受けられるようにしてはどうかと考えています。日常生活に不可欠な行政サービスが受けられるとなれば、インターネットの普及率も上がり、「ブロードバンド」の需要も増すはずです。行政改革にも一役買います。こういうことこそ、政府が積極的に推進すべきことでしょう。既に電子政府化ということがテーマになっていることは十分承知していますが、その検討スピードは従来のままの「ナローバンド(狭帯域接続、毎秒最大64キロビット)」、というより「牛歩」のようであり、とても「ブロードバンド」的ではありません。遅すぎます。シンガポールでは、全国民へのパソコン提供とパソコン教育を無償で行っていると聞いています。
日本経済を立ち直らせるためには、こうした起爆剤が必要なことは誰の目にも明らかです。単に歳出を削減するばかりでなく、削減した歳出をこうした分野に積極的に振り向けていくことが必要です。因みに、外務省の過去数十年の公費の不正使用は数百億円にのぼるという指摘もありますが、それだけあれば「ブロードバンド」は全国に拡充が可能です。

(注)項番3のテーマは、「ビジョン21」のコラボレーターであるインスパーク(株)開発担当取締役・中本浩氏の協力を得ました。

(了)


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