政治経済レポート:OKマガジン(Vol.114)2006.2.12

参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです


上流社会」、「下流社会」、「勝ち組」、「負け組」、あまり耳障りのよくない言葉が国会でもメディアでも飛び交っていますが、そう言えば、15年前のバブル時代にも、「マル金」(金持ちの「金」)、「マルビ」(貧乏の「ビ」)という表現がありました。

1.「格差社会」は「目的」か、「手段」か

「格差が出るのは別に悪いこととは思っていない」、小泉総理の発言です。「負け組の人もチャンスがあれば、勝ち組になるかもしれない」とも述べています。つまり、再挑戦できるチャンスがあれば、「格差社会」も問題ではないという主張です。

サラッと聞き流すと、「そうかな」と思ってしまうレトリックですが、少し冷静に考えてみたいと思います。

今までの日本社会の何が問題だったのでしょうか。「努力もしないで、甘い汁を吸って、ウマイことやる」、そういう「ズルイこと」が許されているとすれば、そのことが問題なのです。この点に反対する人はおそらくいないことと思います。

「ズルイこと」の典型例として、税金や社会保険料で、ムダな事業、不必要な仕事を生み出し、そのことで生業(なりわい)を立てる仕組みがあります。それが、国や地方の財政状況を悪化させ、国民負担増と公共サービス切下げによる財政再建の必要性を高めてきました。つまり、改革の「目的」は「ズルイこと」の払拭(ふっしょく)、根絶にあるはずです。

そうであるとすれば、「格差社会」は改革の「結果」にすぎず、「格差社会」を生み出すことは、「ズルイこと」を払拭する改革の「手段」ではありません。「格差社会」は、「ズルイこと」がもたらした改革の「結果」にすぎないのです。

でも、小泉総理の発言を冷静に分析してみると、「下流社会に落ちた人も、努力すればまた上流社会に入ることができる」というレトリックが微妙に含まれています。気のせいでしょうか。そうであるとすれば、「下流社会に落ちた人」が改革のターゲットであった「ズルイこと」で生業を立てていた人たちだったのでしょうか。違うような気がします。

その一方で、改革の「目的」、本来のターゲットは放置されています。例えば、道路公団。政府の国土開発幹線自動車道建設会議などで、高速道路整備計画はほぼ全線が認められました。「ムダな道路はもう造らない」と意気込んで見せた改革の「目的」はどこにいったのでしょうか。

「格差社会」は改革の「結果」であって、改革の「手段」ではありません。小泉総理の発言には、「格差社会」が改革の「手段」のような響きを含んでいます。もし「手段」であると主張するならば、「格差社会」を生み出すことで、どのように「ズルイこと」で生業を立てる仕組みを、あるいは「ズルイこと」そのものを払拭できるのか、是非、説明してもらいたいと思います。

2.水下らざること有る無し

「水(みず)下(くだ)らざること有(あ)る無(な)し」、「孟子」の一節です。「水は低いところに流れないものはない」という意味です。

「貧富の格差の激しい社会は、世相や治安が悪化し、結局、治世が乱れる。だから、為政者(政治家)というものは、低いところに流れた水を手で汲み上げよ」という趣旨のことを諭しています。このメルマガの読者の皆さんには、これ以上、解説は必要ないと思います。

経済学にも、「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則というものがあります。グレシャムは16世紀イギリスの経済学者の名前です。国民生活の水準にも同じことが言えるのではないでしょうか。通貨の価値を維持することに政治が腐心することと同様に、国民生活の水準を維持することも、政治が腐心しなければならない重要な仕事のはずです。

「ズルイこと」を放置する一方で、「ズルイこと」の余波で生じた「格差社会」で苦しんでいる国民の実情に思いを馳せない政治は、古今東西の賢人たちの教えに反しています。

真面目な人が、コツコツと努力をして人生を全うしようとする、そんな「マジメなこと」と「ズルイこと」が混在し、そのことを政治が放置するようであれば、グレシャムの法則が教えるように、「ズルイこと」は「マジメなこと」を駆逐することでしょう。

最近の日本の社会や世相を鑑みると、まさしくそういうことが日常的に起きているような気がします。政治が適切に機能していないと感じざるを得ません。

3.構造改革の「目的」

財政状況に心配がなく、経済もうまく回っていれば、「一億総中流」で何ら問題はありません。「上流」も「下流」もないのですから、水が低いところに流れる心配はありません。

そういう状態の中で、「努力もしないで、甘い汁を吸って、ウマイことやる」、そういう「ズルイこと」を断じて許さないことこそ、政治の重要な役割です。そのことさえ許さなければ、人々が努力を疎んじることはなく、怠惰を求めることもありません。

しかし、現実には、財政状況は苦しく、経済も潜在的な技術力やマンパワーを活かせない状態が続いています。それは、「ズルイこと」が放置され、本来は民間経済と緊要性の高い公共サービスに投入されるべき資金が浪費されているからにほかなりません。そして、その資金とは、全て国民の皆さんの税金と社会保険料で賄われてます。

構造改革とは、そういう状態を是正することが「目的」だったはずです。「格差社会」を生み出し、そのことを「手段」として、国民のハングリー精神を喚起するような政策を行うことが「目的」ではなかったはずです。

「格差が出るのは別に悪いこととは思っていない。負け組の人もチャンスがあれば、勝ち組になるかもしれない」という小泉総理の発言は、一国を預かる為政者として、いささか思慮に欠ける物言いだと言わざるを得ません。サラッと聞き流して、「そうかな」と思うわけにはいきません。

国会でシッカリと議論させて頂きます。

(了)


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