政治経済レポート:OKマガジン(Vol.181)2008.12.8


麻生首相の失言が止まりません。7日は「労働は罰だ」と発言。意味不明です。トップの姿勢は組織に伝播します。自民党幹部が「小渕優子氏は子供を産んだから少子化担当大臣になれた。最近の若者は子供をつくる努力が足りない」との暴言。もはやこれまで。


1.2つの報告書

先月25日、事故米不正転売問題に関する政府有識者会議が調査報告書をまとめました。

総合食料局長などの幹部の責任が最も重く、「食の安全」に対するチェック体制が構築されていなかったことを指摘。また、事故米が発生しても廃棄処分を検討せず、不正転売に対する監視も行わなかったことなど、数々の不作為を列挙しました。

農水省全体として「食の安全」に関する認識が甘く、牛海綿状脳症(BSE)問題を経験しても、職員の多くが自分とは無関係と思っていたと断罪。歴代農相や事務次官に強く反省を求めると締めくくっています。

報告書の内容は適切ですが、農水省の実態には愕然とします。問題は今後どうするかということでしょう。27日、課長級を中心とした省内の改革チームが地方農政事務所の原則廃止を提言。結構なことです。

これだけ問題の所在が明確になったのですから、幹部OB、審議官以上の現職幹部が何らかの共同責任をとり、課長級が一線に立って新生農水省を構築すべきでしょう。単なる報告や提言で終わるようでは、やがてもっと大きな問題を起こす恐れが高いと言えます。今後の対応を注視したいと思います。

28日、今度は厚労相直属の年金記録改竄問題調査委員会が報告書を公表。職員が書類をシュレッダーで破棄したり偽造したことなどを明記し、社会保険事務所が組織的に改竄に関与したことを認定。明らかな犯罪行為であり、法的措置が必要です。

農水省、厚労省のみならず、昨年の参議院選挙以降、防衛省、外務省、国交省など、霞が関を巡る不祥事や問題が後を絶ちません。一過性の現象ではなく、官僚機構全体の制度疲労でしょう。

解散時期が不透明になっていますが、いずれにしても今度の総選挙を契機に霞が関の解体的出直しと「真の改革」が必要です。そのことなくして日本の再生はありません。それだけ官僚機構は重要な存在だということです。

有為な人材が集い、官僚として働くことに誇りを感じられる霞が関を復活させるためにも、OBを含む各省幹部自身による責任の明確化と出処進退に関する勇断を期待し、中堅・若手に新生霞が関を託したいと思います。

2.内閣人事局

内閣人事局設置が先送りされました。抵抗勢力の巻き返しですが、内閣人事局は幹部人事一元化によって官僚機構の構造問題を解決しようとする試みです。

第1は縦割り行政の弊害是正。霞が関が社会の変化に迅速に対応できなくなっていることは周知の事実。幹部人事一元化によって変化に対応できる適材適所を図ります。

第2は各省の年次ヒエラルキーを弾力化し、減点主義、事なかれ主義に象徴される組織体質を改善。能力と意欲のある官僚が伸び伸びと仕事できる環境を生み出します。

第3は各省の「悪しきドン」、政治(民意)の指示に従わない傲慢不遜な官僚の誕生を抑止。その前提として、官僚と対峙する政治家に十分な能力、見識、経験が求められることは言うまでもありません。

第4にポリティカルアポインティ(政治任用)で外部人材を登用できる余地を広げます。

霞が関が国民の信頼を取り戻すためには、こうした改革を実現するために内閣人事局設置に積極的に協力すべき局面です。既得権益を守るために、利権議員と結託して抵抗する官僚は「百害あって一利なし」。

「官僚」という言葉を生み出したマックス・ウェーバーの定義によれば、官僚制は次のような特徴を備えています。

第1に規則(ルール)による統制、第2に専門的な訓練を受けることで誰がやっても同じになる対応、第3に予測可能な展開。つまり、情緒に流されない仕事ぶりが期待され、それが有能さを担保することにもなり、人間味がないと言われる故でもあります。しかし、そもそもそういう機能が期待されたのです。

こうした特徴を総称してウェーバーは「没人格的」と表現しています。また、冷静に機械のようにルールと指示に従って仕事を遂行する官僚機構を「精密機械」と表現しました。

冷徹だけれども、公正無私で沈着冷静な官僚と官僚機構を日本人は支持し、それが官僚に対する尊敬の念にもつながっていました。

ところが、今やその特徴は劣化。不公正な対応で私利私欲のために改革に抵抗するようであれば、それは官僚が自らのレーゾンデートル(存在理由)を否定しているも同然です。

3.良き官僚は悪しき政治家

ウェーバーは次のようにも言っています。曰く「民主主義は不可避的に官僚主義を促進するものの、本質的には官僚主義を欲していない。したがって、民主主義は官僚支配と対峙する」。

つまり、官僚主義の担い手である官僚と民主主義の担い手である政治家は本来対極の存在であるとの指摘です。敵対するという意味ではなく、そもそも機能的に異なる存在であることを述べています。

官僚は情緒に流されずにルールに従って行動する一方、政治家は社会の実情を情緒豊かに理解しつつ、冷静な判断と適切な決断によってルールをつくることを仕事とします。

その政治家が判断や決断を官僚に委ね、官僚が自らの利益のためにルールをつくるようになれば、社会が劣化し、衰退するのは当然の帰結です。

ウェーバーは政治家が官僚に依存して結託する事態を想定し「官僚に政治が支配される状況は政治のあり方において最悪」、「良き官僚は悪しき政治家である」と看破。「良き官僚」はまるで自らが「悪しき政治家」のようになってしまう傾向があることを述べています。そのうえで「成熟した自由主義国家は官僚主義によって破壊される」と予言しました。

また、本来官僚は「政治家の指示が自分の考えと異なっていても、その指示がまるで自分自身の信念に合致しているかのように行動しなければならない」とも述べています。

政治家と官僚が健全な関係を再構築し、永田町と霞が関が国民の信頼を取り戻せるかどうか。内閣人事局の顛末がその成否を占います。

麻生首相のリーダーシップに期待したいところですが、現状では不可能。霞ヶ関改革は総選挙後の課題となりそうです。

一時期世界に名声を博した日本の官僚機構復権、霞ヶ関再生のために、官僚と与党政治家の見識ある行動を期待して止みません。現在の官僚と与党政治家にそれができなければ、その帰趨は総選挙における国民の判断に委ねられます。

(了)


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