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政治経済レポート:OKマガジン(Vol.186)2009.2.24


名女優オードリー・へプバーン主演の映画「ローマの休日」。主人公が鎮静剤でウトウトしていたところからロマンスがスタート。ゴックン大臣の「ローマの休日」は風邪薬でモウロウとしていたところから国家的恥辱がスタート。へプバーン演じる主人公が訪れた「真実の口」はウソをつくと手が抜けなくなります。ゴックンはしていないと言った酔いどれ大臣、「真実の口」に手を入れたら、はたして抜けるでしょうか。


1.真実の口

今月16日、昨年10-12月期の実質国内総生産(GDP)成長率が発表されました。年率換算でマイナス12.7%。35年ぶりの劇的な悪化です。

河村建夫官房長官が「百年に一度の危機が現実になった」と発言しましたが、「今さら何を脳天気なことを言っているのか」という印象です。

企業の受注や生産の驚くべき減少を鑑みれば、予想された事態と言えます。ところが、国会で審議中の平成21年度当初予算案の前提である経済見通しは何とも不思議な内容です。

実質経済成長率の政府見通しは平成20年度はマイナス0.8%であるのに対し、平成21年度は0.0%。つまり好転を予測しています。

日銀の見通しはマイナス1.8%からマイナス2.0%に悪化、国際通貨基金(IMF)の見通しではマイナス0.3%からマイナス2.6%に大幅悪化。日銀やIMFの景気減速予測に対して、政府が逆に景気好転を予測している根拠は何でしょうか。

この点の政府見解を国会で質したところ「政府は来年度予算の効果を見込んでいる」との抗弁。そうであれば来年度補正予算は現時点では必要なし。ところが、現実には当初予算審議中にもかかわらず既に超大型補正予算の検討が始まっています。

日銀やIMFも来年度予算の効果を加味したうえで景気悪化を予測しているのですから、政府の対応は支離滅裂と言えます。

ウソと言っても過言ではない楽観的すぎる政府見通しは修正が不可欠。ところが、今や「影の総理」となった与謝野馨財務・金融・経済財政担当大臣は、1月19日に閣議決定された政府見通しを修正する予定はないと明言。

的確な現状分析と冷静な予測なくして適切な対策を講じることはできません。答弁に立つ閣僚や官僚のために、国会にも「真実の口」が必要です。答弁後に必ず手を入れてもらいましょう。

2.貧すれば鈍す

ウソの見通しを修正しない現在の政府には、もはや経済運営の当事者能力はないと言わざるを得ません。

それを証明するかのようなゴックン大臣のG7記者会見での大醜態。日本の恥を世界にさらしました。

そのゴックン大臣は結局辞任。当初は留任・続投を支持していた麻生太郎首相にもあきれました。任命責任を感じていなかったばかりでなく、監督責任も理解しておらず、もはや統治能力を失っています。

能天気な官房長官、ウソの見通しを修正しない「影の総理」、国辱のゴックン大臣、統治能力を失った首相。日本は事実上「権力の空白状態」に陥っています。

そんな中で最近話題になっている無利子国債と政府紙幣。何だか「打ち出の小槌」のように言う人もいますが、ウマイ話には罠(わな)があるというのは世の常です。

「百年に一度の危機」に対処するためには、どんな政策手段でも虚心坦懐に検討すべきであると思いますが、論理的な思考が大前提。思い込みや錯覚は禁物です。

無利子国債と政府紙幣の有用性を真剣に主張することは「貧すれば鈍す」という印象を否めません。「貧すれば鈍す」は出典不詳の日本の格言ですが、孟子の「則無恒産、因無恒心」がルーツと言われています。

曰く「恒産なくして、恒心なし」。つまり、安定した収入がなければ安定した心はないという含意。まさしく厳しい財政事情の折柄、「恒心」を失って無利子国債や政府紙幣の幻想に囚われているという印象です。

とはいえ、繰り返し申し上げて恐縮ですが、「百年に一度の危機」に対処するためには、いかなる政策手段も虚心坦懐に検討することが必要。少し難しい話題ですが、考え方を整理します。

3.貨幣錯覚

無利子国債を購入してもらうためには相続税免除という特典がセット。そのため、無利子国債で国民から吸収した資金を政府が使うことは、将来の相続税収先取りと同じことです。

また、無利子国債は世の中に滞留する銀行券(タンス預金)の有効活用に役立つという意見も聞きます。

しかし、銀行券は日銀の負債。世の中の銀行券が減ると、負債見合いで日銀が保有している資産(有利子国債等)が減少して日銀の運用益も減少。その結果、日銀から政府に納められる国庫納付金、つまり政府収入も減少。つまり、国庫納付金の先取りにすぎません。

次に政府紙幣。最終的に日銀に還流するかどうかで現象に違いが出ます。日銀に還流しない場合、政府紙幣は銀行券を代替するにすぎません。政府紙幣が銀行券の需要量以上に発行されると、やがて銀行券が世の中から消えて日銀も消滅。政府自身が中央銀行業務と金融政策を行うことになります。

日銀に還流させて、しかも償還する場合、政府紙幣は無利子国債と同じことになります。一方、償還しない場合には、無利子永久国債と同じ機能を果たし、日銀には利益を生まない政府紙幣が蓄積され続けます。

かつて明治政府が発行した太政官札、第2次世界大戦当時に発行された五十銭札などの実例もありますが、いずれもATMや自動販売機のない時代。銀行券を読み取る機械が普及した現代では、そういう面からも政府紙幣の現実性には制約があります。

無利子国債も政府紙幣も政府が潤沢な財源を確保できるという幻想から生まれるアイデアですが、世の中にウマイ話がないことは国も個人も企業も同じです。

お金をバラまくと景気が良くなったような気がする現象のことを、経済学では「貨幣錯覚」と呼んでいます。

与謝野「影の総理」は政府紙幣を「異説のたぐい」と一刀両断。経済見通しと違って、これはごもっともなご発言。

「二日酔い」ならぬ「貨幣錯覚」をゴックンしかねない酔いどれ大臣がいなくなったことは、国辱に見舞われた日本の「不幸中の幸い」かもしれません。

余談ですが、オードリー・ヘプバーン演じる主人公は公務でローマを訪問中の某国王女。過密日程と自由のない生活への不満が爆発してヒステリーを起こし、鎮静剤を服用していました。公務の合間をぬって風邪薬を飲んでまで自由な生活(女性記者や同級生との懇親会)を満喫していた大臣とは少々事情が異なるようです。

(了)


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