政治経済レポート:OKマガジン(Vol.279)2013.1.17


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1.天地人

日本経済復活のためには、政府の景気対策と企業の自助努力のシナジー(相乗)効果が求められます。

政府に景気対策を期待するのは当然の心理。政府は期待に答えなくてはなりません。アベノミクスについてはメルマガ278号(昨年12月28日)で解説しましたので、ここでは繰り返しません。当面は安倍首相の手綱さばきに注目です。

政府の景気対策で世の中全体が好景気になれば、企業や国民が潤うのは当然。しかし、全体が好景気でも不調な企業がある一方、全体が不景気でも好調な企業もあります。その差が言わば経営手腕や企業努力。

今年のNHK大河ドラマは「八重の桜」。主人公は会津藩の新島八重。なかなか興味深く、1年間楽しめそうです。

「什(藩士の子弟を教育する組織)の掟」の締め言葉、「ならぬものはならぬ(やってはならないことはやってはならない。駄目なものは駄目)」はごく普通のことを言っているにすぎませんが、なかなか深みのある言葉です。

2009年の大河ドラマは「天地人」。主人公は米沢藩(上杉家)の重臣、直江兼続。「天地人」は上杉家の家訓で、孟子「公孫丑章句上」に登場する「天時不如地利、地利不如人和(天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず)」という一節の省略形。

「天の時」は環境。経済で言えば景気の状態。「地の利」は「地の利を活かす」という表現からわかるように、言わば経営戦略。「人の和」は組織を構成する人の士気。

「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」を「環境は戦略に如かず、戦略は士気に如かず」と読み替えると、「天地人」の含意が何となく伝わってきます。

景気対策や株高、円安で業績が好転するのは、言わば「天の時」。しかし、環境は誰にとっても同じなので、そこで優劣を決めるのは「戦略」。「環境」も「戦略」も同じならば、最後に差をつけるのは人の「士気」。

かつて、「日本型経営」が成功モデルとして世界で評価されたことが何度かありました。成功の要因は「天の時」か「地の利」か「人の和」か。はたまた、その全てか。少し頭の整理をしてみたいと思います。

2.三種の神器

戦後「日本型経営」が最初に注目されたのは1972年。OECD(経済協力開発機構)報告書が、日本経済の成功の一因は「日本的雇用制度」にあると指摘しました。

報告書は「終身雇用」「年功賃金」「企業別労働組合」の3つが日本社会に根差した「三種の神器」と表現。日本企業成長の秘訣、つまり「日本型経営」の真髄と分析したのです。

その後、2度のオイルショックや円高(変動相場制への移行)によって成長は鈍化したものの、1980年代になると日本は先進7か国(G7)の中で独り勝ち状態。貿易黒字は累増し、最近の中国のような存在になりました。

円安が日本の輸出競争力の源と睨まれ、プラザ合意(1985年)で極端な円高を強要されたものの、その対策として講じた超低金利政策がバブル経済を誘発。資産(株や土地)価格高騰で日本人は世界一の金持ちとなり、企業もストック経営を謳歌しました。

その背景には、資産を担保に過剰とも言える資金を融資する金融機関の存在も寄与。行政当局は銀行を潰さず、銀行が融資を続ける限りは企業も潰れない。「行政」「金融界」「産業界」一体となった「護送船団方式」と呼ばれた強固な間接金融システムです。

結果的に、この当時の「日本型経営」の新たな「三種の神器」は「円安」「ストック経営」「護送船団方式」。日本経済の最盛期と言えます。

欧米諸国はそのことを十分に認識していたため、「円安」には「プラザ合意」、「ストック経営」には「国際会計基準(時価会計導入)」、「護送船団方式」には「自己資本比率規制(BIS規制)」という対抗策を講じたと言えます。

そうした状況下、日本のバブル経済はあえなく崩壊。日本経済は一転して1990年代、2000年代の「失われた20年」と表現される長期低迷期に入り、今日に至っています。

「失われた20年」の間、政府も企業も無策であったわけではありません。とくに企業は1990年代から欧米流の合理的経営手法を導入。MBA(Master of Business Administration、経営学修士)的視点からの経営改革にチャレンジしてきました。

さらに1990年代以降の産業や社会のIT化の流れに対応し、先を見越した技術革新に挑むMOT(Management of Technology)的視点からの経営やR&D(研究開発)にも注力。欧米企業や急成長したアジア企業と熾烈な競争を続けています。

さて「日本型経営」成功の第3幕はあるのでしょうか。それを支える新たな「三種の神器」は何でしょうか。誰もが知りたい今後の展開です。

最近注目を浴びている経営者のひとりが三菱ケミカルホールディングスの小林喜光社長。昨年の秋、小林社長の著書「地球と共存する経営、MOS改革宣言」を読ませていただきました。

「MOS」はおそらく小林社長の造語。Management of Sustainabilityの略と説明されており、持続可能性を考えた経営という意味です。

直感的に「環境に優しい経営ということかぁ」と思って読み進むと、こちらの心理を見透かしたように「それは違う」と一刀両断。恐れ入りました。小林社長は、損を出してまで環境フレンドリーな経営を行って社会貢献するという意味ではないと述べています。

一読者である僕の理解では「環境フレンドリーな製品や技術は結果的に消費者や市場の需要を掘り起こすので、環境のみならず、企業の持続可能性にも寄与する」という含意のようです。

そのことを考える一例が炭素繊維。炭素繊維のエネルギー効率は悪い(生産には一般繊維よりも多くのエネルギーを要する)ものの、強固で軽量の炭素繊維を使った製品やデバイスの耐久性は高く、関連産業(サプライチェーン)全体のエネルギー効率を向上させ、結果的に環境にも寄与するということです。

小林社長は、MBA的視点、MOT的視点、MOS的視点は、今後の企業経営に求められる「3つの視点」と提唱しています。

3.ならぬものはならぬ

「なるほど」と思いつつ、僕としてはもうひとつ付け加える必要があると思います。それはMOM(Management of Motivation)的視点。つまり、社員のモチベーションをいかに高めることができるかという視点。MOMは僕の造語です。

人間学(人間行動学)の分野では、「人はなぜ働くのか」ということに関して定説が固まっています。

1924年のホーソン実験(米国ホーソンにある電器メーカー工場で8年間にわたって行われた生産性向上実験)以来の研究の結果、ブルーム博士、その弟子のデシ博士(ダジャレではありません。実名です)によって、人間が働くのは「モチベーション」「内発的動機」によるものであり、働き甲斐、やり甲斐があって、面白いと感じるからこそ働くと結論づけられました。1960年代から70年代のことです。

1990年代以降、MBA的視点でコストカットに腐心し、社員を単なるコスト要因と認識して人件費削減を競い合った時期がありました。リストラは「リストラクチャリング(再構築)」の略であり、人件費削減や人員削減という意味でありません。しかし、誤解に基づく「リストラ」という言葉を今でも使い続けている経営者やマスコミは少なくありません。

MOS的視点で企業にも環境にも寄与する技術や製品を中長期的に追及するMOT的視点。そして、そういう技術や製品を開発、提供できることに「働き甲斐」「やり甲斐」「面白さ」を感じることができれば、MOM的視点からも渡りに船。

MOS、MOT、MOMを「三種の神器」と言いたいところですが、もうひとひねり。メルマガ275号(昨年11月25日)でGNI(国民総所得)について説明しました。275号の最終的な主張は以下のとおりです。

曰く「GNIは指標としては重要ですが、雇用につながる企業活動や経済・産業構造を生み出していくことこそ、求められるGNI経済です」。

人口減少社会に入った日本。内需だけに依存することなく、外需獲得を企図する「雇用を生み出すGNI経済」が政府が目指すべき姿です。

内外需双方において、消費者や市場のニーズ(必要性)やウォンツ(欲求)を生み出すのはMOS的視点に根差した技術や製品。

GNI経済もMOS的視点に基づく企業活動も、それらを実現するのは人材。人材なくしては何もできません。

国内産業と雇用を生み出すGNI経済の創造、MOS的視点に根差した技術・製品開発に「働き甲斐」「やり甲斐」「面白さ」を感じられる人材、あるいは社員にそう感じさせる経営をできる人材(経営者)こそが必要です。

「日本型経営」第3幕の新しい「三種の神器」は、「GNI」「MOS」「人材」の3つと考えます。あくまで現段階の直感です。

人材は育てるもの。社員を単純なコスト要因と見なす誤ったMBA的視点、誤った「リストラ」の認識は「ならぬものはならぬ」ものです。

人材を育てられない企業は、「天地人」の「地」もなく「人」もなく、結局「天」があっても失敗するリスクが高いと言えるでしょう。

(了)


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