第188号(平成30年2月


皆さん、こんにちは。立春も過ぎましたが、まだまだ寒い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

昨年から知多四国八十八ヶ所霊場についてお伝えしているかわら版、今月は内海に向かいます。

★もくれん寺

四十三番岩屋寺から山海に戻る途中、右折して北上すること約四・五キロメートル。四十四番は菅生山大宝寺です。

お大師様が知多半島を巡錫した道中、修行場にした「硯水大師霊場」の場所とも伝わります。

境内では、三月から四月にかけて多くの木蓮の花が咲き誇ることから、「もくれん寺」と呼ばれてお遍路さんに親しまれています。

ご本尊 釈迦如来

ご詠歌 この山に 仏のくどく あらわれて 湧き出る水は 甘露にもます

★だるま弘法

内海に向かって西進し、国道二四七号線に出て左折。大宝寺から約二・〇キロメートルにあるのが四十五番、尾風山泉蔵院。

お大師様が知多半島を巡錫した折の霊跡に建てられた泉蔵坊。室町時代に地元の国衆一色氏の居城、内海城の城内に移築されました。

やがて一色氏は家老の佐治氏に追われ、内海城は廃城。泉蔵坊はその廃城跡を寺域とし、泉蔵院に改称しました。ご本尊は行基作と伝わる同座の阿弥陀如来と薬師如来です。

泉蔵院は祈願成就のだるまで知られており、通称「だるま弘法」と呼ばれています。

ご本尊 阿弥陀如来 薬師如来

ご詠歌 弥陀薬師 名はいろい ろに異なれど とうきふやくの 慈眼とぞ知れ

★円空作薬師如来立像

国道二四七号線を北上し、内海の集落の中に入り、四十五番から約〇・六キロメートル歩くと、四十六番は井際山如意輪寺です。

流奈良時代に行基によってこの地に創建された古刹、観福寺の一院がルーツ。観福寺は往時には一山九院の隆盛を誇り、如意輪寺のみならず、四十五番も四十七番も観福寺の一院でした。

観福寺は南北朝以降に荒廃しましたが、一五七四年に梅山和尚が中興開山となって再興。

知多四国八十八ヶ所霊場が開創された翌年の一八二五年、如意輪寺には霊場会の本部が置かれたそうです。

寺には円空作の秘仏、薬師如来立像が奉安されています。

ご本尊 如意輪観世音菩薩

ご詠歌 念ずれば 心の迷い 雲晴れて 真如の月は 常にかがやく

★山寺桜

如意輪寺から内海の集落内を通って名鉄知多新線を越えて約一・一キロメートル進むと、四十七番は井際山持宝院

前述のとおり、このお寺もかつては古刹観福寺の一院。十四世紀末期の応仁年間に、金尊上人が中興開山として復興しました。

かつては桜の名所として知られ、江戸時代末期の尾張国の地誌「尾張名所図会」に、景勝地「山桜寺」として記されています。残念ながら、伊勢湾台風で多くの桜が倒木したそうです。

山門に至る石段の脇には、お大師様が知多半島巡錫の折に加持祈祷したという「とどろきの井戸」が残されています。


ご本尊 如意輪観世音菩薩

ご詠歌 花を見て 歌詠む人は  八坂寺三仏浄土の 緑とこそ聞け

★源義朝・頼朝親子

来月は小野浦を経て野間に向かいます。源頼朝の父、源義朝最期の地として知られる野間。乞ご期待。

 

kobosan-kawaraban kobosan-kawarabankobosan-kawaraban kobosan-kawaraban