第234号(令和3年12月

     

皆さん、こんにちは。いよいよ師走。今年もあとわずかですね。。

昨年来、三河新四国の紙上遍路とそれに関連する話題をお伝えしてきました。

今月は愛知の霊場の数々をご紹介します。

★愛知は霊場の宝庫

長い歴史を経て、愛知は日本一寺院の多い地域となりました。そして、それらの寺群の中にさまざまな霊場が開創されました。

代表的なものが知多四国三河新四国です。それ以外にも西国三十三所の写しも含め、さまざまな霊場が開創され、今日に至っています。愛知は霊場の宝庫です

現時点で認識できているものは表のとおりです。

三河新四国と重なるように、三河三弘法や三河海岸大師もあります。

三河三弘法は零番遍照院の見返弘法大師、二番西福寺の見送弘法大師、三番密蔵院の流涕弘法大師です。同じ地域に知立三弘法もあります。

三河海岸大師は三河湾沿いに広がる写し霊場です。

西三河から東三河、奥三河にかけて、かつて各地に独自の本四国写し霊場がありました。西三河の碧南から豊田南部地域は碧海と呼ばれていましたが、そこには碧海新四国があったそうです。豊田から北上して足助に向かう地域は西加茂と呼ばれ、そこにも三河国西加茂郡新四国がありました。

江戸時代には、元祖三河新四国とは別に参河國准四国と呼ばれる写し霊場もありました。西三河、東三河、奥三河、さらには渥美半島も網羅した遍路道です。

参河國准四国の北側に展開していたのが八名(やな)郡准四国八十八ヶ所です。東三河四郡八十八ヶ所とも言われます。

さらに、豊川、豊橋を中心とした寺院で構成される>東三新四国八十八ヶ所もあります。

八名郡准四国より南部、鳳来から豊橋に向かう途上に点在するのは豊鳳二十一弘法大師霊場です。旧作手村(新城市)には作手三弘法もあります。

お大師様は三河の人々によほど人気があったのですね。

尾張はどうでしょうか。気になります。

知多半島には知多四国とは別に、>尾張直傳弘法という写し霊場もあります。

名古屋には江戸時代に城下に開創された金城下二十一大師名古屋三弘法があります。

三河、知多、尾張、名古屋とも、まだまだ隠れた写し霊場がありそうです。

★来年から新シリーズ

来年から場所を尾張に移して新シリーズをお伝えします。乞ご期待。それでは皆さん、よい年をお迎えください。

 

kobosan-kawaraban kobosan-kawarabankobosan-kawaraban kobosan-kawaraban