弘法さんかわら版   第38号(平成17年8月)

 

 

 皆さんこんにちは。六月から如来をご紹介しております弘法さんかわら版。今月は薬師如来についてお伝えします。

 

応病与薬の薬師如来

 

薬師というのは「医者の長」という意味であり、薬師如来は別名医王如来と言います。如来は物を手に持たないのが一般的ですが、薬師如来は例外。左手に薬壺(やっこ)を持っています。

薬壺は応病与薬という仏教の教えを象徴しています。医者が病に苦しむ人に薬を与えるように、仏は悩める衆生(しゅじょう)に教えを説いて救います。しかも、病気の種類にあった薬を処方するように、ひとり一人の個性にあった教えを授けます。これを対機説法あるいは随機説法と言います。

 

十二の大願と偏袒右肩

 

薬師如来像のもう一つの特徴は衲衣(のうえ=衣服から右肩を出している姿です。偏袒右肩(へんだんうけん)言い、薬師如来の十二の大願と関係があります。

薬師如来が修業中の身(つまり菩薩)だった頃、修行が成就して如来になることができたら、十二の人助けを行う誓いを立てました。飢えた人に食べ物を与える、着る物のない人に衣服を与えるといった現世利益を中心とした人助けであり、偏袒右肩の姿にはいつでもご用を伺いますという意味があるそうです。

とりわけ、病気を治す、寿命をのばすことは万人の願いであり、その象徴として薬壺をもつ薬師如来像が盛んに作られて信仰されました。

 

浄瑠璃世界の仏

 

東西南北の仏国土(ぶっこくど)には四方仏(しほうぶつ)がいらっしゃいます。西は阿弥陀如来、南は釈迦如来、北は弥勒仏、そして東は薬師如来です。東は浄瑠璃(じょうるり)世界と言われることから、薬師如来の正式な名前も薬師瑠璃光如来と言います。

薬師如来には脇侍(わきじ)として日光菩薩月光菩薩、守護神として十二神将が仕え、薬師如来を信仰する人々を昼夜を分かたず救ってくれます。

 

十八番札所恩山寺

 

 薬師如来は四国霊場の中で最も多いご本尊二十一箇所もあります。そのひとつ、第十八番札所で修行中だった弘法大師のもとを、ある時、お母様が訪ねてきました。しかし、お寺は女人禁制。そこで大師は女人解禁の秘法を修めてお母様を寺にお招きしました。以来、この札所は母養山恩山寺(ぼようざんおんざんじ)と呼ばれるようになり、このお寺で出家した大師のお母様の髪の毛が納められています。

 

覚王山の恩山寺

 

日本最小の四国霊場の「写し」、ここ覚王山八十八箇所霊場の恩山寺は多くの札所がひしめくB地区にあり、高野山安養院(あんにょういん)から取り寄せた弘法大師御尊像が祀られています。安養院は高野山の宿坊で、古くは戦国武将の毛利元就一族が菩提所としていました。

過日、札所のお接待さんにお話を伺ったところ、「親やご先祖を大切にすることが一番」とのお言葉を頂戴し、恩山寺の縁起話に通じる教えを賜りました。合掌。

覚王山の恩山寺は、日泰寺本堂東側の階段を下りて左に入ったところにあります。本堂参拝の帰りに立ち寄られてはいかがでしょうか。

 

如来編の最後は阿弥陀如来

 

 さて、来月は如来編の最終回。阿弥陀如来をご紹介します。人々を極楽浄土に導くありがたい如来です。十月号からは明王編です。乞うご期待。

 

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弘法さんかわら版   第39号(平成17年9月)

 

 

 皆さんこんにちは。今年もあと三ヶ月足らず。早いものですね。今月は阿弥陀如来についてお伝えします。

 

光と長寿の阿弥陀如来

 

阿弥陀如来は、修行時代、法蔵比丘(ほうぞうびく)、法蔵菩薩と呼ばれていました。人々を極楽浄土に導くことで知られています。

阿弥陀は、「限りない」という意味の「アミタ」というサンスクリット語(インドの言葉)に由来します。限りなく世界を光り照らす如来という意味で無量光如来あるいは尽十方無碍光仏(じんじっぽうむげこうぶつ)、さらには長寿にもご利益があることから無量寿如来とも呼ばれます。

 

他力本願

 

無量寿経というお経の中に、法蔵菩薩が四十八の願を立て、それが達成されなければ仏(如来)にならないと誓ったと書かれています。十八番目の願衆生を救うことでした。法蔵菩薩が仏になったことから、この願は達成されている、つまり衆生は救われていることになります。この解釈から、阿弥陀如来信仰が誕生しました。

南無阿弥陀仏と唱えれば阿弥陀如来に救われること、これが他力本願です。救ってもらいたいから唱えるのではなく、救われていることに感謝の気持ちを込めて唱えるのだそうです。

 

九品来迎印

 

阿弥陀如来が極楽浄土から人をお迎えに来られる際には、生前の振る舞いの善し悪しや信仰心の深さによって、その人にふさわしい九種類の印、すなわち九品来迎印(くぽんらいごういん)を表します。両手をおなかの前で合わせる上品(じょうぼん)、両手とも上に向ける中品(ちゅうぼん)、右手を上に、左手を下に向ける下品(げぼん)それぞれの品はさらに上生(じょうしょう)・中生(ちゅうしょう)・下生(げしょう)に分かれ、都合九種類です。最も評価が高いのが上品上生、最も低いのが下品下生となります。

日頃から善行に努めたいものですね。

 

アミダくじは阿弥陀如来の後光

 

さて、皆さんよくご存じのアミダくじは阿弥陀如来に由来します。阿弥陀如来のお顔を中心に放射状に伸びる線光背と言われる後光を見たあるお寺のお坊さんが、これをくじに使おうと思いついたのが始まりだそうです。

 

第二番札所日照山極楽寺

 

 四国霊場で阿弥陀如来をご本尊としている札所は九箇所。そのうち、第二番札所は阿弥陀如来の後光と深いご縁があります。この地で修行した弘法大師が阿弥陀如来像を納めました。ところが、この札所に面する鳴門海峡鳴門の浮き鯛で有名な豊かな漁場。阿弥陀如来像の後光があまりに眩しく、魚が寄りつかなくなりました。困った漁民たちが札所の前に小高い丘を築いて光を遮ると、再び豊漁になったそうです。以来、この札所は日照山極楽寺と呼ばれるようになりました。

 

覚王山の極楽寺

 

日本最小の四国霊場の「写し」覚王山八十八箇所霊場の極楽寺は山門を出てすぐ左側のA地区にあります。残念ながらお堂は失われており、今では石造りの仏像を残すのみです。

山門に近いA地区は毎月大変賑わう場所です。付近には千体地蔵堂番外札所もあります。お参りの際にぜひお立ち寄りください。

 

次回からは明王編

 

 さて、来月からは明王編。明王はとても怖いお姿ですが、魔を追い払うご利益があるそうです。乞うご期待。

 

 

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弘法さんかわら版   第40号(平成17年10月)

 

 

 皆さんこんにちは。今年もあとふた月あまり。早いですね。だんだん寒くなります。くれぐれもご自愛ください。

 

覚王山の鯖大師

 

日本最小の四国霊場の「写し」覚王山八十八ヶ所霊場。一番多くの札所がひしめく日泰寺境内東側階段下のB地区に右手に鯖を持った弘法大師像があります。前から気になっていましたので、由来を調べてみました。

 

別格二十霊場と鯖大師

 

 四国霊場には八十八ヶ所以外に四国別格二十霊場があることをご存知でしょうか。八十八ヶ所と合計して百八つの煩悩を消すためという趣旨で、弘法大師に縁のある番外の二十のお寺によって三十九年前に創設されました。実は、この別格第四番札所八坂寺(徳島県海南町)鯖大師が祀られています。

 寺近くの法生島で、弘法大師が通りすがりの馬子が持っていた塩鯖を所望しました。馬子は見知らぬ僧を罵り立ち去ろうとすると、引いていた馬が急に苦しみ出しました。馬子は僧が弘法大師と気づき、塩鯖を献上。大師は塩鯖に加持祈祷して海に投げこむと、鯖は生き返って泳ぎだし、馬の病もたちどころに治ったという逸話です。仏心に目覚めた馬子がこの地に庵を造り、鯖を三年間断って祈祷すると病が治るという鯖断ち三年祈願という信仰が生まれました。

 

如来の教えに導く明王

 

さて、別名鯖大師本坊と呼ばれる八坂寺には不動明王が祀られ、多くの参拝者の信仰を集めています。

今年の弘法さんかわら版は仏像の話題をお伝えしています。今月はこの明王について勉強してみました。

明王の特徴は何と言っても怒った顔。この表情は、忿怒相(ふんぬそう)と言います。

明王の役割は悩める衆生(しゅじょう)を恐ろしい姿で威嚇して力づくで仏如来の教えに導くこと。だから恐い顔をしています。忿怒相は子供を慈しんで厳しく叱る父親の顔を表現したものとも言われています。明王の形相には人々への慈しみと救いの情が込められているのです。

また、顔がたくさんあり(多面)、眼も複数(多眼)、手足も何本もある(多臂多足)のが特徴です。

仏像には千手観音のように多数の顔と腕を持つものが多く、これを○面○臂(○めん○ひ)と言います。千手観音は二十七面四十二臂。スゴイですね。大活躍する人を表す八面六臂という言葉はここからきています。

 

明王の中心はお不動さん

 

明王もいろいろ。五大明王八大明王十大明王などと言われます。その中心は八坂寺にも祀られる不動明王

不動明王は普通一面二臂ですが、三面六臂の像もあります。

明王は持物や装飾をたくさん身につけています。不動明王も、右手には魔を払い衆生の煩悩を断つ三鈷剣(さんこけん)左手には煩悩から抜け出せない衆生を救い上げる羂索(けんじゃく)という投げ縄。背中には衆生の煩悩を焼き尽くす火炎、迦楼羅焔(かるらえん)。迦楼羅(かるら)とは毒を喰らう伝説の火の鳥、ガルーダのこと。不動明王は迦楼羅が羽根を広げた姿を表現しています。

 

次回は愛染明王

 

鯖大師の祀られているB地区には、四国別格二十霊場(番外札所)の「写し」もあります。各札所のご本尊像を集めたお堂がありますので、鯖大師とあわせて、是非一度お参りください。

 来月号では愛染明王(あいぜんみょうおう)についてお伝えいたします。乞うご期待。

 

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弘法さんかわら版   第41号(平成17年11月)

 

 皆さんこんにちは。季節は晩秋、すっかり肌寒くなりました。くれぐれもご自愛ください。

 

愛染明王は良縁、家庭円満の仏

 

さて、今年は仏像についてお伝えしているかわら版。今月は愛染明王(あいぜんみょうおう)です。

愛染明王は、弘法大師が中国から持ち帰った瑜祇経(ゆぎきょう)という経典によって初めて日本に伝わりました。

人間は生きている限りずっと欲、煩悩(ぼんのう)を持ち続けます。煩悩を捨て去ることが悟りの境地ですが、簡単なことではありません。

しかし、その一方で煩悩は人間のエネルギーでもあります。煩悩をより深く考え、生きる意欲に転換する方向に導いてくれるのが愛染明王です。

愛染という名前のとおり、愛情・情欲をつかさどり、煩悩即菩提を象徴しています。

愛染という字から、鎌倉時代以降、良縁、家庭円満を成就する仏として特に女性の信仰を集めました。愛染を訓読みにすると「あいぞめ」。これは逢い初めに通じます。さらに「あいぞめ」を藍染と解釈し、織物業の守護仏としても信仰されています。

 

愛染かつら

 

愛染明王と聞いて、映画「愛染かつら」(昭和十三年、田中絹代・上原謙主演)を思い出す方も多いでしょう。

「花も嵐も踏み越えて、行くが男の 生きる途、泣いてくれるなほろほろ鳥よ、月の比叡を独り行く」は、年配の皆様はよくご存じの西條八十作詞、万城目正作曲、「愛染かつら」の主題歌旅の夜風。当時としては驚きのレコード売上げ百二十万枚を記録しました。

「愛染かつら」は、愛染明王を本尊とする自性院(東京谷中)境内にあった桂の古木にヒントを得た作品です。 病院の御曹司と看護婦の大メロドラマ。二人が「愛染かつら」と呼ばれる樹に手を添えて愛を誓うシーンからタイトルが生まれました。

 

愛染明王の赤いお姿

 

愛染明王のルーツ(起源)は古代インドの愛と太陽の神様ラーガ。したがって、愛染明王は赤いお姿が特徴です。

容貌は一面三目六臂、つまり顔は一つ、目は三つ、腕は六本。三本の右手には五鈷杵(ごこしょ)・矢・蓮華三本の左手には金鈴・弓と握りこぶしを握っています。五鈷杵と金鈴は無病息災を祈る法具、弓と矢は良縁を射る道具。蓮華女性の優しさ握りこぶし男性の力強さを表現しています。蓮華は宝瓶(ほうびょう)と呼ばれ台座にも彫り込まれています。

表情は先月号でお伝えした不動明王と同じ忿怒相(ふんぬそう怒った表情)。頭の上には獅子の冠。これらはどんな困難にも屈しない意思を象徴しています。

 

四観曼荼羅八十八ヵ所霊場

 

四国八十八ヵ所霊場には愛染明王を本尊にした札所はありません。しかし、平成元年に元祖霊場に含まれない寺社が集まって新しく誕生した四国曼荼羅八十八ヵ所霊場七十一番札所、速成山報恩寺(徳島県)の本尊が愛染明王。この霊場は地、水、火、風、空の五大道場を配し、徳島、香川、愛媛、高知を一巡する新しい霊場です。

愛知県内では赤岩寺(豊橋市)。国の重要文化財にもなっている愛染明王坐像が本尊になっています。

かわら版第五号と第二十二号でもご紹介しました荒子・笠寺・竜泉寺・甚目寺尾張四観音を結ぶ日泰寺参道西側の四観音道。四観音のひとつ、甚目寺観音にも愛染明王が祀られています。

 

次回は孔雀明王

 

 さて、来月号は孔雀明王(くじゃくみょうおう)についてお伝えします。明王には珍しく、優しい表情の仏像です。

 

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 弘法さんかわら版   第42号(平成17年12月)

 

 皆さんこんにちは。早いもので今年も残すところあと十日あまり。一年間、かわら版をご愛読頂きましてありがとうございました。今年の締めくくりに、今回は、孔雀明王(くじゃくみょうおう)についてお伝えいたします。

 

三毒を取り除く

 

この明王、その名のとおり、孔雀に乗っているのが最大の特徴です。お釈迦さまの故郷、インドでは、昔からコブラなどの毒蛇が多く、大いに恐れられていました。孔雀はその毒蛇の天敵であり、毒蛇や害虫を喰べる益鳥として大切にされてきました。

そうした孔雀の特徴に因んで、孔雀明王には、人間の持つ貪り、嗔り(いかり)、痴行三毒を喰らって、煩悩を取り除く功徳があるという信仰が生まれました。

また、孔雀は雨期の到来を告げる鳥、慈雨(じう)をもたらすありがたい鳥とされ、インドの国鳥でもあります。このため、孔雀明王は雨乞いの御利益があると信じられています。

 

優しく、女性的な表情

 

前号までにお伝えしましたように、明王と言えば怒りに満ちた恐~い顔、忿怒相(ふんぬそう)が本来の特徴です。

ところが、孔雀明王は、明王の中で唯一、柔和で女性的な表情をしています。そのため、孔雀仏母、孔雀王母菩薩とも呼ばれます。

一面四臂(顔が一つ、腕が四本)のお姿で、四本の腕にそれぞれ倶縁果(ぐえんか)、吉祥果(きっしょうか)、蓮華、孔雀の羽を持っています。倶縁果は気力と体力を高める伝説上の柑橘系の果物。吉祥果は、魔除けに効果があるザクロの実のことです。

 

孔雀明王とお稲荷さんがご一緒

 

さて、残念ながら、四国八十八箇所霊場に孔雀明王をご本尊とする札所はありません。

しかし、第四十一番札所稲荷山龍光寺(いなりざんりゅうこうじ)は、ご本尊(十一面観世音菩薩)脇侍のひとつとして孔雀明王が祀られています(もうひとつの脇侍は毘沙門天)。

「え、お寺なのに稲荷山?」と思われた方がいらっしゃるかもしれませんね。実は、龍光寺は四国八十八箇所霊場の中で唯一神様と仏様が同居している札所です。

この地を訪れた弘法大師の前に稲穂を背負った老人が現れ、「仏法を守護し諸民に利益せん」と言い残し姿を消したそうです。大師はこの老人こそ五穀豊穣をもたらす稲荷明神であると確信してその尊像をつくり、神仏習合の珍しい札所が誕生しました。

 

覚王山と一宮にも龍光寺

 

日本最小の覚王山八十八ヶ所霊場にも、もちろん第四十一番札所、龍光寺の写しがあります。場所は市立商業高校の脇のD地区。一度のお参りで神仏の両方のご加護があるかもしれません。是非お出掛けください。

一宮市にも神仏習合の龍光寺というお寺があります。ご本尊はやはり十一面観世音菩薩。愛知県指定文化財にもなっております。

 

年明けは天部編

 

今年の干支(えと)酉(とり)。酉年の守り本尊は十月号でお伝えした不動明王でしたが、戌(いぬ)年の来年は長寿にご利益がある阿弥陀如来に選手交代。

今年は、年初より仏像をテーマとして、菩薩、如来、明王のお話をお伝えしてきました。年明けからは天部編。をお送りします。インド(天竺)に起源のある天部には、個性豊かな仏像が目白押しです。乞うご期待。

来年もご愛読のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。それでは良いお年をお迎えください。

 

 

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弘法さんかわら版   第43号(平成18年1月)

 

 皆さんこんにちは。明けましておめでとうございます。かわら版も足かけ五年目に入りました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

天部はインドの神様

 

さて、昨年来、かわら版では仏像について勉強しています。仏像は大きく四つに分類され、昨年は如来・菩薩・明王についてお伝えしました。今月からは天部編です。

天部の「天」は天竺(てんじく)の「天」、インドのことです。つまり、天部は仏教が興るよりもはるか昔からインドに伝わる神様をモデルにしています。だから独特の姿をしているんですね。

今月号では帝釈天(たいしゃくてん)について調べてみました。

 

寅さんでお馴染みの帝釈天

 

帝釈天と聞けば、葛飾柴又帝釈天。そう、皆さんお馴染みのフーテンの寅さん。映画「男はつらいよ」シリーズで「生まれは葛飾柴又。帝釈天で産湯を使い・・・」という口上が頭に浮かびますね。柴又帝釈天は正式には経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)と言い、日蓮上人作の帝釈天板仏をご本尊にしています。

帝釈天は武術の神様で、金剛杵(こんごうしょ)を武器に阿修羅と戦い、阿修羅を仏教に帰依させました。古代インドでは宇宙の中心とされる須弥山(しゅみせん)の山頂にある善見城(喜見城)に住み、四天王を従えて下界の不正や悪事を監視しています。また、雨を降らせて豊かな農作物をもたらす雷霆神(らいていしん)としても知られています。

 

東寺講堂の立体曼荼羅

 

全国各地にある帝釈天像の中でも、最も有名なのは京都東寺国宝帝釈天像。東寺は弘法大師嵯峨天皇から下賜された布教の拠点です。鎧(よろい)をまとい、手には阿修羅を倒した金剛杵。白い象の上に乗っためずらしい坐像です。後世に作られた坐像には、頭が複数ある鵞鳥(がちょう)の上に乗ったものもあります。

東寺を下賜された弘法大師は、真っ先に講堂を造りました。この構造の中に配置された仏像群は立体曼荼羅と言われています。人々が曼荼羅の世界仏の階位を理解し易いように弘法大師が発案したものです。なるほど、如来・菩薩・明王、そして天部の関係がよく分かりますね。

 

東寺と言えば弘法さんのルーツ

 

全国各地の弘法さんの縁日は、弘法大師の月命日に開かれています。そして、そのルーツ(始まり)は東寺で始まった弘法市です。弘法大師信仰が篤くなった平安時代に、東寺南大門の前に一服一銭という茶店ができたことがきっかけだと言われています。

当初は三月二十一日の年命日(正御影供=しょうみえく)だけに行われていましたが、十三世紀頃から月命日にも行われるようになりました。江戸時代から明治時代にかけて、弘法大師縁(ゆかり)のお寺や、四国霊場の写しでも縁日が広がっていきました。

明治三十七年創建日泰寺大正時代になると、周辺に日本最小の四国霊場の写しが造られ、弘法さんの縁日も開かれるようになりました。

次回は四天王

 

 ライバル同士の四人の関係を「四天王」と表現することがあります。この四天王、実は帝釈天が従えている天部の仏様のことです。来月号は四天王についてお伝えします。乞うご期待。