耕平さんかわら版   162号(平成27年12月

  


 皆さん、あけましておめでとうございます。今年も初弘法がやってきました。かわら版、今年もどうぞよろしくお願いします。

 昨年から般若心経の意味を学んでいるかわら版。生き方や社会のあり方を考える際の道標(みちしるべ)です。

 今月は「三世諸仏(さんぜーしょーぶつ)依般若波羅蜜多故(えーはんにゃーはーらーみーたーこー)得阿耨多羅三藐三菩提(とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい)」の二十二文字。

 「三世」は過去、現在、未来。つまり「三世諸仏」は過去、現在、未来の様々な仏様。ここは文字どおりです。

 さて「般若波羅蜜多」は四回目の登場。その前後に「依」「故」をつけた「依般若波羅蜜多故」は前々号でも登場しました。復習しましょう。

 「般若」は広く深い知恵のこと。「波羅蜜多」はこちらの岸(此岸、しがん)からあちらの岸(彼岸、ひがん)に渡ること。つまり「般若波羅蜜多」は広く深い知恵で彼岸に渡って悟りの境地に達すること。

 残るは「依」と「故」。これも文字どおりの意味でしたね。つまり「三世諸仏」は広く深い知恵で彼岸に渡って悟りの境地に達することに「依」るが「故」に「阿耨多羅三藐三菩提」を「得」ることになります。

 では「阿耨多羅三藐三菩提」とは何でしょうか。これはサンスクリット語の「アヌッタラー・サムヤクサンボーディ」を音訳したものだそうです。

 その意味は「無上・最高の悟り」。それ以上はない究極の悟り。「真理」と言ってもよいでしょう。

 ここまでくれば、今月の二十二文字も何となく理解できます。

 過去、現在、未来の諸仏は、広く深い知恵で彼岸に渡って悟りの境地に達するので、この上ない真理を得ることができるのです。

 それはそうですよね。三世諸仏、つまり仏様たちです。真理を得るのは当然のこと。また、そうでなければ仏様になれません。

 「そうか、仏様の話なら関係ないや」と思わないでください。人は誰でも心の中に仏性(ぶっしょう)が宿っています。その仏性を開くことができるかどうか、気づくことができるかどうかが大切なのです。今月の二十二文字、三世諸仏に限ったことではなく、私たち全員に関係しています。

 多くの人に親しまれるご心経。ここまでで二百五文字について学びました。あと七十三文字ですね。今年も頑張りましょう。

 それでは皆さん、来月までごきげんよう。合掌。

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