耕平さんかわら版   181号(平成29年7月

  

 皆さん、こんにちは。いよいよ夏本番。暑さも厳しくなります。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に浸透している仏教用語をお伝えしている今年のかわら版。仏教用語がたくさん定着しているのには驚きます。

 さて、夏本番となれば、子どもたちにとって「待ち遠しいのは夏休み」。と聞いて名曲「ヴァケーション」の歌詞とメロディが頭に浮かんだ皆さん、弘田三枝子や中尾ミエがひらめいた人は中高年(笑)。最近ではPUFFYや観月ありさもカバーしていますが、オリジナルの歌手はコニー・フランシスです。

 今年幼稚園に入った園児にとっては初めての夏休み。せっかく覚えたお遊戯も休み明けには忘れているかもしれません。と書いたお遊戯、実はこれも仏教用語です。

 日常用語としては「遊戯」は「ゆうぎ」と読みますが、仏教用語的には「ゆげ」です。

 「遊戯」の「遊」は自由自在であること。「戯」の元の漢字は「礙(げ)」。この字は般若心経をはじめ、いろいろなお経に登場します。「妨げ」という意味です。

 「遊戯」は「妨げ」から自由自在であること。人間は何か「妨げ」に遭遇すると、「あの人のせい」「これのせい」と自分以外の何かに原因を押しつけます。

 しかし、かわら版でお伝えしてきたとおり、不満や不安は全て自分自身の欲、人間の煩悩から生じます。

 欲があるから人を裁き、出来事を裁き、「あれは良い」「これは悪い」と自分の価値観で善悪を決めつけます。そういう心があるから、何かに心が掻き乱され、「妨げ」「礙」「戯」となります。

 「遊戯」は、そういう「妨げ」から自由自在であること、すなわち自分の欲や煩悩から解放されている状態を意味します。

 なるほど、園児たちの無垢(むく=汚れのない)な心は、世間体や親の価値観から解放されて「遊戯(ゆげ)」であるが故に、「お遊戯(ゆうぎ)」は自由自在、伸び伸びと楽しいものです。

 お寺が運営している幼稚園が多い日本。そんなことも「お遊戯」という言葉の誕生に影響しているかもしれませんね。

 仏教は生きるための哲学です。自分の考えや欲に執着することなく、自分と他人を比較したり、分別することなく、まわりの出来事をありのまま受け入れること。そういう姿勢が「遊戯(ゆげ)」なのです。

 ひとりでも多くの人が、自分自身の心を見つめ、「遊戯」な気持ちで日々を過ごし、平和で穏やかな人間関係や社会を実現していきたいものです。

合掌。

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