耕平さんかわら版   194号(平成30年8

  

 

 皆さん、こんにちは。酷暑です。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に浸透している仏教用語をお伝えしているかわら版。仏教用語がたくさん定着しているのには驚きます。

 夏休み。久しぶりの帰省や旅行で親戚や旧友に会い、「ご機嫌いかがですか」と言い交すことも多い季節ですね。

 この世の中の「真実」とは何でしょうか。それが問題です。「真実」も仏教用語です。

 この「機嫌」も仏教用語です。本来は「譏嫌」と書き、文字通り「譏(そし)りを嫌う」という意味です。

 今日では、「私は機嫌が悪い」と自分の気持ちを表現したり、「相手の機嫌を損ねない」と他者の気持ちを慮る両面で使われます。br>

 世間のお布施で生活している僧や修行者が衣食住などで贅沢をすることは、世間の顰蹙(ひんしゅく)、すなわち「譏り(そしり)」を買うことでした。お布施で贅沢三昧することは許されません。

 そこで戒律が課せられました。蓄財をしない、贅沢をしないという「遮戒」。仏弟子が仏道に励むことができるようにという配慮から生まれた戒律です。

 「譏り」を受けることを「嫌う」。戒律を定めて「譏り」を避ける。世間の「譏り」を受けないように「機(タイミング)」を覗う。それが「機嫌」の本来の意味です。やがて、そこから他者の心を覗う意味や、安否を気遣う意味に変化していきました。

 世間の機を計り、自らを律し、慎ましく生きる本来の「機嫌」。しかし、現代の使われ方は、相手の顔色を覗い、良い評価を下してもらえるように阿る「ご機嫌」。自らが中心であるかの如く「私は機嫌が悪い」などと一人称で使う「機嫌」。どちらも本来の意味とはほど遠い使い方ですね。

 「ご機嫌」取りはほどほどに、俺様意識丸出しの「自分の機嫌」を優先することなく、「機嫌」の本来の意味を旨とした慎み深い日々を過ごしたいものです。

 嫌なことに遭遇し、自分の気持ちを指して、「私は機嫌が悪い」などと表現することは、「機嫌」の本来の意味とは異なります。

 では「私は気分が悪い」と表現するとどうでしょうか。「気」を「分ける(シェアする)」ということは、自分の気分が悪ければ、相手も気分が悪いということかもしれません。だから気まずい雰囲気になります。自分が相手を嫌いな時は、相手も自分を嫌っています。「気分」も仏教用語のような気がしてきました。

 日常会話の中に浸透している仏教用語。まだまだたくさんあり、知らないことばかり。奥が深いですね。

 今日も「機嫌」良く過ごしましょう。自らを律して「譏り」を受けないように慎ましく過ごすこと。それが「機嫌」良く過ごすことの本来の意味です。

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