耕平さんかわら版   196号(平成30年10

  

 

 皆さん、こんにちは。十月、秋本番ですね。朝晩は寒いぐらいの日も増えてきました。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に浸透している仏教用語をお伝えしているかわら版。仏教用語がたくさん定着しているのには驚きます。

 十月と言えば、「食欲の秋」。あるいは、「スポーツの秋」「読書の秋」とも言いますが、何かを「貪欲」に追求するには、天候や気温に恵まれた季節ということでしょう。

 「貪欲」に追求する「貪欲(どんよく)」。これも仏教用語です。濁らずに「とんよく」と読みます。語感からはあまり良い印象は受けませんが、日常会話では「あの人は貪欲だよね」などと、時には良い意味も込めて使う場合もあります。しかし、仏教用語的にはやはりあまり良い意味ではありません。

 「欲」は迷いの根源です。「律蔵」という仏教の戒律書には「すべては燃えている。貪欲(とんよく)の火によって、瞋恚(しんい)の火によって、愚痴(ぐち)の火によって燃えている」というお釈迦様の言葉が残されています。

 「貪欲(貪り)」「瞋恚(怒り)」「愚痴(無知)」は仏教では「三毒」と呼ばれ、人間の持つ三つの根本煩悩とされています。

 「貪欲」はサンスクリット語で「ラーガ」といい、自己の欲したものを、次から次へと求め続ける激しい欲望を意味しています。人間の「五欲」である「食欲」「睡眠欲」「性欲」「金銭欲」「名誉欲」、全てにおいて「貪欲」は戒められています。

初期の経典のひとつである「スッタニパータ」には「一切のものは虚妄であると知って貪りを離れる人は、迷いの世界から抜け出すことができる」と説かれています。

 一方、「欲」は人間の努力の原動力でもあります。試合に勝ちたい、試験に合格したい、豊になりたい。こうした動機が、努力の源です。つまり、健全な「欲」ではなく、貪るほどの欲望である「貪欲」を戒めています。

 「食欲の秋」と言っても、食べ過ぎ、飲み過ぎは禁物。今年の秋は生活や食生活も変化させて、「健康の秋」といきましょう。豊かになることは良いことですが、「金の亡者」と言われるような姿勢は変化させなくてはなりません。と言って使った「変化」も仏教用語です。

 「変化」は「へんげ」と読みます。仏教の「変化」は、仏性、仏が人々を救うために仮の姿(化身、権現)となって現れることを指します。救いの求めがあると現れ、危機が収まれば消えます。

 全ての人に仏性は宿っています。誰もが内面、内心に、仏性、仏心を宿しています。それに気づくか否か、仏性に準じた人間になれるか否か。つまり、「変化」できるか否かが、自らを律して自らを救えるか否かの分かれ道となります。「貪欲」から解放される大切な鍵と言えます。

 日常会話の中に浸透している仏教用語。まだまだたくさんあり、知らないことばかり。奥が深いですね。

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