耕平さんかわら版   203号(令和元年5

  

 

 皆さん、こんにちは。令和元年、新緑の季節です。でも、朝晩は冷え込む日もあります。油断して風邪などひかぬよう、くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に登場する仏教用語をお伝えしているかわら版。少しでも読者の皆さんのお役に立てば幸いです。

 五月になると五月病。新しい会社や職場、新しい学校やクラスに何となく馴染めず、また当面の目標を見失ってヤル気が出てこない五月病。今も昔も変わらぬこの時期の悩み。とりわけ、十連休明けの今年は気になりますね。

 「いやぁ、君の評判はいいいよ」「君はクラスの人気者だよ」などと励ましの言葉をかけて「それで五月病が治れば、嘘も方便」などという使われ方をする「方便」。「お父さんの具合が悪いことは、今はお母さんに言うべきではない。嘘も方便だ」などという場面にも登場する「方便」。この「方便」も仏教用語です。

 しかし、日常会話の中の「嘘も方便」という表現は、「目的を達成するためには、時と場合によっては嘘をついてもよい」というような意味で使われますので、これは仏教用語における本来の「方便」とは全然違います。

 「方便」は法華経の中に登場する言葉です。仏が衆生(人々)を教え導くために、工夫して、わかりやすく、自然に体得できるような教え導き方をすることを指します。  法華経には七つの喩え話(法華七喩)が登場しますが、その中のひとつが「方便品(ほうべんぽん)」という章に登場する「三車火宅」の喩え。

 この火事になって燃え盛る家の中で遊ぶ子どもたち。火事のことも、自分が焼け死ぬことの意味もわからない子どもたち。老人が外から「早く出てきなさい」と言っても聞き入れず。

 そこで老人は、「外には素晴らしい玩具があるぞ」と呼びかけると、喜び勇んで燃える家から走り出てきた子どもたちは助かります。

 この玩具。羊・鹿・牛が曳く車のこと。だから「三車火宅」の喩えと言います。  しかし実際には外に玩具はなし。怒る子どもたちに老人はさらに素晴らしい白い牛が曳く車(白牛車)を与えたので、皆納得して、めでたし、めでたしという喩え話です。

 この話の「火宅」は「欲」と「執着」に囚われた「世界」のこと。そこに住む「衆生」は「欲」や「執着」に囚われると「煩悩」の炎に焼き尽くされることの恐ろしさがわかりません。そこから逃れれば素晴らしい「真実(覚り)」があることを「方便」で伝えて「衆生」を救いだし、「衆生」はめでたく救われたというストーリーです。

 この本来の意味を知ると、軽い嘘や悪意のある嘘をついて、「嘘も方便」などと言えなくなります。「方便」とはもっと崇高で奥深く、人々を救いに導く工夫のことです。  さて、「」で括った言葉は全部仏教用語。既にご紹介済みのものが大半ですが、「火宅」は初めて登場しました。当然、「三車火宅」の喩えから誕生した言葉です。

 来月は「火宅」をご紹介します。それでは皆さん、また来月お会いしましょう。

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