耕平さんかわら版   203号(令和元年6

  

 

 皆さん、こんにちは。いよいよ夏本番。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に登場する仏教用語をお伝えしているかわら版。少しでも読者の皆さんのお役に立てば幸いです。

 去年の夏は異常な暑さでしたが、さて、今年はどうなるのでしょうか。熱射病、熱中症は、気がつかないうちに症状が悪化します。とにかく、長時間、直射日光の下にいないこと、室温の高い部屋に籠らないこと。夏の安心のポイントです。

 去年の猛暑を受けて、小中学校の教室へのクーラー設置も進んでいます。これで少しは安心です。

 この「安心」も実は仏教用語です。仏教用語としての「安心」は「あんじん」とも読み、気がかりなことがなく、心が落ち着いている状態を指します。江戸時代に、徐々に「あんしん」と濁らないで読むようになったそうです。

 そもそも「安心」とは、儒教の「安心立命」(天命を知り、心を平安に保つこと、その身を天命に任せていつも落ち着いていること)を略したものと言われています。

 転じて仏教では、仏の教えによって恐怖や不安から解放されて覚りの境地に至り、心の安らぎを得ているという意味で用いられるようになりました。

 言い伝えでは、禅宗の開祖、達磨が初めて用いたとされます。不安や恐怖の原因は自分の「欲」や「執着」に由来する「煩悩」にあり、「安心」の境地に至ることは信心や信仰の証しとされました。

 浄土宗においては、阿弥陀仏の救済を信じて疑わず、極楽往生を求めることを「安心」と言うそうです。

 宗派によって若干の違いはありますが、要するに「欲」や「執着」から解放されて、穏やかな心でいられることが「安心」です。

 「あれが欲しい」「これが欲しい」「ああしたい」「こうしたい」と「欲」や「執着」に囚われていると、頭の中がモヤモヤしてきて「妄想」が湧いてきます。

 この「妄想」も仏教用語です。仏教用語としては「もうぞう」と読み、心を曇らして煩悩を増幅する原因として厳しく戒められています。

 自分ではどうしようもないことについて、ずいぶん身勝手な「欲」や「執着」に囚われて「あれが欲しい」「これが欲しい」「ああしたい」「こうしたい」と思う心が「妄想」です。

 鎌倉時代、元寇の大軍とどう戦えばいいか苦慮していた執権北条時宗に対し、禅僧の無学祖元は「莫妄想」(妄想することなかれ)と諭した逸話が伝わっています。

 暑さ、寒さは、自分ではどうしようもありません。ブツブツ文句を言っても何も解決しません。「妄想」することなく「安心」な気持ちで今年の夏も過ごしましょう。

 それでは皆さん、また来月お会いしましょう。

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