耕平さんかわら版   207号(令和元年9

  

 

 皆さん、こんにちは。もうすぐ秋本番。朝晩は冷え込む日も出てきます。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に登場する仏教用語をお伝えしているかわら版。少しでも読者の皆さんのお役に立てば幸いです。

 秋本番は同時に台風シーズン。温暖化等の影響で台風が大型化しており、被害も甚大になるケースが頻発しています。どうぞお気をつけください。

 最近の家屋の窓はサッシ等の金属製が多いので、台風が来るからと言って特に何かすることはありません。ステンレス等の雨戸を閉めて、準備万端。

 しかし、今から二十年前、三十年前ぐらいまでは、雨風で戸や窓がガタピシ鳴って外れることもあるため、台風が来る前に板を打ち付けて補強する光景が見られました。団塊の世代以上の皆さんは、よくご記憶のことと思います。

最近の若者は「戸がガタピシ鳴る」などという表現はあまり使いませんが、この「ガタピシ」、実は仏教用語です。

 漢字で書くと「我他彼此(がたぴし)」です。漢字を見ると、意味が何となくイメージできます。自分と他人、あれとこれと、物事が対立して決着しないこと、うまくいかないことを表し、「我他彼此の見」と言います。

 音もなく静かに、スムーズに動く戸が理想ですが、戸の建てつけが悪いと、ガタピシと騒々しく、開けるのも閉めるのも、うまくいかないということです。

 自分と他人、あれとこれ、というように、物事を対立してとらえることは、その前提として、「自分の考えが正しい」「こちらの方が良い」という判断や価値観があって起きることです。そうした状況から、さまざまな衝突や摩擦が生じ、争いごとに発展していきます。

 仏教は「此あるが故に、彼あり」と言うように、相互関係を重視した教えです。因縁と言ってもよいでしょう。

 自分も、他人も、あれも、これも、それぞれに思いや主張があります。そのうちのどれかひとつだけが「正しい」「正義」と、どうやって決めることができるのでしょうか。

 争いごとは、双方が「正しい」ことや「正義」を主張し合って起きるものです。「正義」と「正義」を主張し合って争いになった場合、どちらの「正義」が「正義」でしょうか。

 お互いに譲り合わないと、「ガタピシ」して物事がうまく進まず、結局争いごとに発展します。人間関係においても、国と国との間でも、同じですね。

 「いやぁ、最近は歳をとって、体がガタピシだ」などという言い方もします。体のあちこち、体と心、それぞれが調和するように、ご自愛ください。

 それでは皆さん、また来月お会いしましょう。

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