耕平さんかわら版   208号(令和元年10

  

 

 皆さん、こんにちは。秋本番、既に晩秋の趣ですね。朝晩は冷え込む日が増えます。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に登場する仏教用語をお伝えしているかわら版。少しでも読者の皆さんのお役に立てれば幸いです。

 先月、「戸がガタピシ鳴る」の「ガタピシ(我他彼此)」も仏教用語ですとお伝えしたところ、「それはおもしろい。他にも擬音で仏教用語のものがあれば教えてほしい」というご要望がありました。努力します。

 さて、縁日に来てお参りをする皆さんは、それぞれご本尊や境内のお地蔵さんに、家内安全や病気平癒、大願成就などをお祈りしていることと思います。

 もちろん、縁日で買い物することが目的であったり、特に用事はないけどウロウロするだけ、気分転換の散歩という方もいることでしょう。

 この「ウロウロ」、実は仏教用語です。日常用語としては「はっきりした目的もなく、あっちに行ったり、こっちに来たりする」ことを「ウロウロする」と表現しますが、仏教用語としては「有漏有漏」と書きます。

 「漏」とは「煩悩」のこと。つまり「有漏」とは「煩悩が有る」という意味。次から次に生まれて心から漏れるもの、すなわち、心を乱す「欲」や「執着」や「煩悩」が有って、気持ちや生き方が定まらないという意味。記憶が曖昧な「ウロ覚え」も同じ語源です。

 落ち着きなくウロウロするのは、行先や目的が定まっていないから、あるいは覚りを開いていないからです。

 覚りを開くと漏れ出す「煩悩」が無くなるので、覚った状態のことを「無漏(むろ)」と表現します。

 この「無漏」は、室町時代の僧、皆さんよくご存じの一休宗純の名前の由来とも関係しています。

 幼名は千菊丸。長じて大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそううどん)の弟子となり、「洞山三頓」という公案(禅問答)に対して千菊丸が一句返しました。曰く「有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」。この句をきっかけに、師である華叟宗曇から「一休」の号を授けられたそうです。

 その一休さん。ある時、弟子が小豆を甘く炊いたところ、一休さんが喜んで食べました。別の弟子が焼いた餅を出したところ、これも一休さんが喜んで食べました。さらに別の弟子が小豆を甘く炊いたものに焼いた餅を入れて出したところ、一休さんは大絶賛して「善き哉」(よきかな)と一声。

 この「善き哉」という言葉は仏が弟子を賞賛する時に使われる仏教用語でしたが、一休さんのこの逸話以来、「善き哉」は「善哉」(ぜんざい)という食べ物の名前となりました。

 ウロウロしないで、善哉でも食べて、縁日を堪能してください。それでは皆さん、また来月お会いしましょう。

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