耕平さんかわら版   213号(令和2年3

  

 

 皆さん、こんにちは。日中は暖かい日も増えてきましたが、朝晩はまだまだ冷え込みます。くれぐれもご自愛ください。

 日常会話の中に含まれている仏教用語。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということですね。

 刑務所から出てくる刑期を終えた男。ふっと空を眺めながら「娑婆(しゃば)の空気は美味い(うまい)なぁ」と独り言。高倉健さんや菅原文太さんの映画を彷彿とさせる一シーンですが、この「娑婆」も仏教用語です。

 「娑」「婆」という漢字の組み合わせにとくに意味はありません。サンスクリット語の「サハー」という言葉の音訳。「サハー」という発音に合う漢字を当てただけです。

 「サハー」の本来の意味は「忍土(にんど)」。忍ぶ土、つまり耐え忍ぶ土地。さらに言えば、人間社会のことを指します。

 私たちが生きるこの世界は、耐え忍ぶことの多い「サハー」それが「娑婆」。耐え忍ぶこと、つまり「苦」が多い人間社会。「娑婆の空気が美味しい」というのは、仏教用語の本来の意味からすると、逆向きの受け止め方のような気がします。

 以前にもご紹介しましたが、「苦」はパーリ語の「ドゥッカ」の漢訳。そして「ドゥッカ」の本来の意味は「思うようにならない」こと。

 人間社会がなぜ「苦」かと言えば「思うようにならない」からです。経典を漢訳した僧は「思うようにならない」ことを「苦」と表したのです。

 耐え忍ぶことが多く、思うようにならない人間社会は「サハー」。「娑婆」は難しい場所なのです。

 刑務所のように自由が束縛されている環境から考えると、「娑婆」は自由で素晴らしい世界。ところが、自由は「あれもしたい」「これもしたい」「あれがほしい」「これがほしい」という「欲」を生み、それが「思うようにならない」から「苦」になります。

 刑務所の中では「欲」を実現しようがなく、「欲」も湧いてきません。「娑婆」の空気は美味しいからこそ、誘惑に満ち、「欲」が湧いてきます。

 「娑婆」は自由な世界。「自由」も「世界」も仏教用語。去年のかわら版でご紹介しました。仏教用語だらけです(笑)。

 「自由」とは「自(みすか)らに由(よ)る」のですから、思うようになれば「楽」ですが、思うようにならなければ「苦」です。

 自分の「欲」が叶わない「娑婆」は「苦」に満ちているのです。それに耐えられないと罪を犯し、刑務所に逆戻り。「娑婆」では自分の「欲」を律することが求められます。

 仏教用語的には、刑務所から出てきた健さんが「また誘惑に満ちた娑婆に出てきてしまった。娑婆の空気は危ないなぁ」とつぶやくのが正解です。

 「娑婆」は日々是修行の場です。それではまた来月、ごきげんよう。

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