耕平さんかわら版   217号(令和2年7

  

 

 皆さん、こんにちは。いよいよ夏本番。熱射病、熱中症とともにコロナにも気をつけて、くれぐれもご自愛ください。

 かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

 やっと開幕したプロ野球。開幕直後のドラゴンズの調子は今いち。なかなか勝てないドラゴンズにファンも堪忍袋の尾が切れそうです。

 この「堪忍」も仏教用語です。三月に「娑婆」という言葉をご紹介しましたが、「堪忍」は「娑婆」から派生した仏教用語です。

 「娑婆」の語源はサンスクリット語の「サハ―」。本来の意味は「忍土(にんど)」。忍ぶ土、つまり耐え忍ぶことで土地。さらに言えば、社会や世間のことを指すことは三月にご紹介したとおりです。

 「涅槃経」というお経に「娑婆の名、翻じて堪忍と為す」「身心の苦悩、一切能く忍ぶ。この故に名づけて堪忍地と為す」と説かれています。

 「娑婆」の本来の意味である「堪え忍ぶ」を端的に表現したのが「堪忍」。したがって、「娑婆」つまり、この世の中のことは「堪忍土」とも呼ばれます。

 「四苦八苦」も仏教用語であることは二〇一七年にご紹介しましたが、「四苦八苦」の尽きない世界である「娑婆」「堪忍土」のことを「苦海」とも表現します。

 「娑婆」「堪忍土」での「苦」を「こらえる」「耐える」という意味合いで「堪忍」という言葉が使われています。

 この世が「苦」ばかりなのは、自分の「思うようにならない」ため。これも三月号でお伝えしましたが「苦」はパーリ語の「ドゥッカ」の漢訳。「ドゥッカ」の本来の意味は「思うようにならない」です。この世が「堪忍土」なのは「思うようにならない」からです。

 自分の「思うようになる」ためには、人と競い合い、人に優って自分の思いを成し遂げます。しかし、それでは本当の「勝利」は得られないことも四月号でお伝えしました。「勝利」も仏教用語で、本来は仏様の「勝(すぐ)れた利益(りやく)」を得て、勝ち負けを競い合うような心から脱して、覚(悟)りを開くことを意味します。

 ずっと自分の「思うようになる」ことなどあり得ません。むしろ「思うようにならない」のが人生。沢庵(たくあん)和尚の名で知られる宗彭(そうほう)は「堪忍の二字、常に思ふべし。百戦百勝は忍に如かず」と説いています。「娑婆」を生きるためには、自分だけ勝ち続けようとするのではなく、堪忍が肝要と教えてくれています。

 自分の思いが叶(かな)って有頂天になっても、ずっとその状態を続けることは無理ですねぇ。ちなみに「有頂天」も仏教用語。天上界の最高峰を指しますが、「得意の絶頂で我を忘れてしまう」という含意もあります。

 我を忘れて「欲」が度を過ぎると、叶わぬ思いにまた「苦」が募ります。「娑婆」は「堪忍」こそが大切であり、「有頂天」になれば「四苦八苦」に苛(さいな)まれる。何だか仏教用語だらけです。それではまた来月。ごきげんよう。合掌。

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