耕平さんかわら版   224号(令和 3年2

  

 

 皆さん、こんにちは。春が待ち遠しい季節になりましたが、まだまだ寒い日が続きます。新型コロナウイルス感染症も含め、くれぐれもご自愛ください。

 かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

 去年からコロナ禍に直面し、大変な状況が続いています。コロナ禍前の話題やニュースはすっかり色褪せてしまい、思い出せないほどです。とかく世間はそんなもの。アッという間に過去のことを忘れます。コロナ禍も早く収束し、そうなるといいですね。

 夏目漱石の名作「草枕」の冒頭の一節に「智に働けば角が立つ、情に棹(さお)させば流される、意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)この世は住みにくい。」とあります。  さて、ここまでに二度登場した「とかく」も仏教用語です。漢字では「兎角」と書きます。

 「うさぎ(兎)」に「つの(角)」で「兎角」。兎には角はありませんので、中国の古典では「ありえないこと」「起こりえないこと」の喩えとして「兎角」という言葉が使われていました。

 十一〜十二世紀頃、宋の時代の「述異記」という書物の中に「亀に毛を生じたり、兎に角を生ずるのは、兵乱の兆し」という記述があります。あってはならないことが起きる凶事の予兆の喩えとして使われ、「兎角亀毛」という表現が定着しました。

 「楞伽経(りょうがきょう)」「毘婆沙論(びばしゃろん)」という仏経典の中にも「言葉は妄想であって、兎角亀毛のようなもの」とか「輪廻転用する人間は、兎角亀毛のごときもの」という表現がでてきます。

 いずれの経典も五世紀頃のものであり、中国の古典で「兎角亀毛」という表現が定着するよりも早い時期に仏教用語として使われていたようです。

 仏教用語としての「兎角」は「ありえないこと」の比喩ですが、夏目漱石が使っている「兎角」は「何にしても」「いずれにせよ」というような接続詞的役割を果たしており、既に意味が変わっています。ちなみに夏目漱石は「兎角」という表現を作品の中で多用しており、お気に入りの言葉だったようです。

 さらに日常用語としては「とにかく」「ともかく」のように、「に」「も」を挟む使い方もされます。

 「とにかく」も「兎に角」と書く場合がありますが、日本語文法的には、「とにかく」の「と」は「そのように」、「とにかく」の「かく」は「このように」という意味を指す副詞。つまり、副詞が組み合わさってできた単語です。

 「とにかく」に似た言葉が「ともかく」。やはり「兎も角」と書く場合があります。「とにかく」も「ともかく」も「何にしても」「いずれにせよ」という意味であり、夏目漱石が使っていた「兎角」とほぼ同じような語感です。

 余談ですが、空海の名作「三教指帰(さんごうしいき)」という小説風仏教書には、「兎角公」という家主、「亀毛先生」という儒家が登場します。この頃には「兎角亀毛」が定着していた証(あかし)ですね。

 それではまた来月、ごきげんよう。

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