耕平さんかわら版   228号(令和 3年6

  

 

 皆さん、こんにちは。今年の梅雨入りは早いですね。コロナ禍の中、くれぐれもご自愛ください。

 かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

 全国に広がるコロナ禍。夏以降の感染抑制のために今が正念場です。

 この「正念場」も仏教用語と言いたいところですが、正確には「正念」は仏教用語、「正念場」はそこから派生した歌舞伎用語です。

 「今日の試合が正念場」「合格に向けて夏が正念場」というような使い方をする「正念場」。物事の最も重要な局面を意味する言葉です。

 「正念」とはお釈迦様の教えの中核である「八正道」の中のひとつです。覚(悟)りを開くための修業の方法を説くのが「八正道」。具体的には、1.正見、2.正思惟、3.正語、4.正業、5.正命、6.正精進、7.正念、8.正定の八つです。

 「ちょっと聞くと難しそうですが、それぞれ「1.正しい見解をもつこと」「2.正しい思考をすること」「3.正しい言葉を使うこと」「4.正しい行いをすること」「5.正しい生活をすること」「6.正しい努力をすること」そして「7.正念」を飛ばして「8.正しい瞑想をすること」。

 簡単そうに聞こえますが、簡単なことが難しい。例えば、2.の「正しい思考をすること」。よくよく自問自答してみると、自分に都合よく、深層心理で「欲」や「執着」に囚われた思考をしています。要するに身勝手な思考。それが人間です。

 八つの中で説明が難しいのが「7.正念」です。「念」はパーリ語の「サティ」という言葉の漢訳。「サティ」とは「意識が注がれている状態」を意味します。

 これを訳経僧が「念」と漢訳したのですが、「意識が注がれている状態」を意味するので「正しい集中をする」という感じでしょうか。スポーツ選手が「無心で臨みます」「平常心で臨みます」「不退転の決意で臨みます」という表現をよく使いますが、「無心」「平常心」「不退転」も全部仏教用語。つまり、そういう心境が「7.正念」です。

 仏教徒の多いスリランカでは、今でも何か慌てて粗相(そそう)しそうな時(例えば、給仕の際に茶碗を落としそうな場面)で「サティ、サティ(落ち着いて、集中して)」と言うそうです。

 この「正念」から派生して、歌舞伎や浄瑠璃で主人公が活躍する最も重要な場面を意味する言葉として「正念場」が生まれました。歌舞伎では「正念場」のことを「性根場」(しょうねば)とも言います。この「性根」も仏教用語。仏教では「しょうこん」と読みます。これまた仏教用語の「根性」と同じ意味です。

 さらにもうひとつ。やはり歌舞伎用語の「修羅場」は仏教用語の「修羅」に「場」をつけたもの。仏教用語で「闘い」を意味する「修羅」から、ここが「厳しい勝負所」であることを表す言葉として生まれました。

 伝統芸能ですから古来より日本に浸透した仏教用語と混交するのも理解できますね。 それではまた来月。ごきげんよう。

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