耕平さんかわら版   234号(令和 3年12

  

 

 皆さん、こんにちは。いよいよ師走。今年もあとわずかですね。くれぐれもご自愛ください。

 かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

 丸五年間ご紹介してきましたが、いくつ覚えていますか。忘れても一向に構いません。何度も読み返してください。しかし、日常生活では忘れては困るものもあります。キャッシュカードの暗証番号などは最たるものです。

 実は暗証番号の「暗証」も仏教用語です。

 「暗い証(あか)し」と書いて「暗証」。仏教用語的には「正しい裏付けのない覚(悟)り」を意味します。たとえば、師匠から認められていないのに自分で勝手に覚ったと言い張ることが「暗証」です。つまり、自分だけにしか通用しないことを戒める言葉です。

 平たく言えば「自惚れ」「自己陶酔」ということでしょうか。「井の中の蛙、大海を知らず」という諺(ことわざ)がありますが、「暗証な人間」は井戸の中で鳴いている蛙に過ぎないという戒めの仏教用語です。

 禅宗では、経論の勉強とともに、座禅などの実践を通して覚りに至ります。「暗証禅師(ぜんじ)」という言葉は、経論の勉強(つまり修行)を疎かにして、独り善がり(ひとりよがり)な覚りを自負することを戒める表現です。

 逆もまた真なり。経論の勉強に偏って没頭する者は「文字法師」、呪文のように経文を読むだけの者は「誦文(ずもん)法師」と言われ、やはり真の覚りを得ていない者として批判されます。

 徒然草にも「文字(もんじ)の法師、暗証の禅師、たがいに測りて、己(おのれ)にしかずと思へる、共に当らず」と記されています。

 仏教の教えは「暗証禅師」「文字法師」「誦文法師」になることなく、実践と勉強の行学二道の覚りの重要性を諭しています。

 他の分野の勉強でも単なる「暗証」では十分ではありません。丸暗記も時には必要ですが、その本質、意味、背景などを学んでこそ、本当に身につくものです。

 批判的な意味で用いられていた「暗証」という仏教用語ですが、長い時間を経て「自分にしか通用しない」という意味から「自分だけ知っている」という意味に変化していきました。

 他人は知らないが、自分は知っている。他人はできないが、自分はできる。そこから派生して、やがて手紙等に記す「本人であることを証明する添え書き」を指して「暗証」と呼ぶようになりました。それが後の「花押(かおう)」に転じていきます。

 そして現代。「暗証」番号とは、それを使用しようとしている者が自分自身を証明するため、つまり本人であることを証明するために用いる番号となりました。「自分が本人であることを証明する」「自分しか知らない」番号ということです。

 年々歳々、加齢とともに物忘れするようになります。カードの暗証番号なども忘れないようにお気をつけください。

 それでは皆さん。よい年をお迎えください。

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