耕平さんかわら版   242号(令和 4年8

  

 

 皆さん、こんにちは。立秋は過ぎましたが、まだまだ暑い日が続きます。くれぐれもご自愛ください。

 かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

 今年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。鎌倉幕府内の暗闘がよくわかる脚本になっています。

 日本の歴史上初めての武家政権である鎌倉幕府は、源頼朝以下の源氏嫡流、それを支える坂東武士の北条氏、比企氏、三浦氏などの有力一族によって運営されていましたが、政権が安定するまでには紆余曲折がありました。

 その展開は、幕府内には獅子身中の虫だらけというように感じる構成になっていますが、歴史の真実は誰にも分りません。現在に伝わる鎌倉幕府の歴史は、幕府公認の歴史書「吾妻鏡」に基づくものです。

 さて、上記で使った「獅子身中の虫」も元々は仏教用語です。獅子はライオンを意味しています。「獅子身中の虫」は仏教の「梵網経」というお経に登場します。

 曰く「獅子身中の虫、自ら獅子の肉を食らい、余外の虫に非ざるが如し。是くの如く仏子自ら仏法を破り、外道・天魔の能く破壊するに非ず」。現代語で表現すれば「獅子は体内に巣を作る害虫に食い尽くされて死ぬ。外から食われて死ぬのではない」という趣旨です。

 もう少し紐解くと「獅子は自身の体内に巣食う害虫に食われて死ぬのであり、外から虫に食われるのではない。これと同じように悪い仏徒が自ら仏法を破壊するのであり、外道や天魔が仏法を破壊するのではない」ということです。

 仏教の信者でありながら仏教に損害を与える者、仏の教えの恩恵を受けながら仏教に害を与える者。悪い仏教徒は仏法を自ら(内側から)破壊する、決して周囲が(外側から)仏法を破壊することはない、という教えです。

 これは、一人ひとりにおいても同じです。人の心には誰しも「仏心」が宿っていますが、それに気づくかどうか、それが開くかどうかが、人の生き方や言動に関わってきます。

 そして、人の心の中には「魔」も宿っています。もちろん「魔」も仏教用語です。「魔」はマーラ(魔羅)と呼ばれる悪魔のことです。

 ちょっと魔がさして嘘をついてしまう、罪を犯してしまう、人の道に反したことをしてしまう。つまり、「魔」は一人ひとりの心に宿る「獅子身中の虫」です。

 時代が下り「獅子身中の虫」は、仏教以外でも用いられるようになりました。獅子を組織、虫を組織に損害を与える人に喩え、組織の中の裏切り者や組織に悪影響を及ぼす人を指す意味に転じていきます。

 その人に悪意がある場合だけでなく、悪意はないものの、その立ち振る舞いや言動によって悪い影響を周囲や組織全体に与える人のことを指します。

 自らの心の内面に向き合うとともに、自分が組織や会社の「獅子身中の虫」になっていないか、自問自答が必要ですね。お互いに信頼し合えることが大切です。ではまた来月。

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