耕平さんかわら版   244号(令和 4年10

  

 

 皆さん、こんにちは。いよいよ秋本番ですが、朝晩は肌寒い日も増えてきました。くれぐれもご自愛ください。

 かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。日本人の生活に溶け込んでいるということですね。

 今年も大リーグでは大谷選手が大活躍しました。大谷選手は能力が凄いばかりでなく、何となく愛嬌がありますよね。と言って使った「愛嬌」も実は仏教用語です。

  仏様の優しく温和な雰囲気や表情を「愛敬相(あいぎょうそう)」と言います。人々を「愛(いつく)しみ」「敬(うやま)う」仏の心を表します。

  もともとは「愛敬」と書いて「アイギョウ」と読みました。本来は仏のように穏やかで、慈悲深い表情や立ち振る舞いを指すわけですが、お経の中で「あいきょう」と濁らずに読まれるうちに、やがて「嬌」という字が当てられました。訓読みでは「嬌(なまめ)かしい」と読み、色っぽい、艶っぽいという含意もあります。

 周囲の気を惹くために「愛嬌をふりまく」という使い方は、本来の意味からは少しはずれています。

 接頭語を加えた「ご愛嬌」とは「非礼や失敗を怒らないで笑って見逃してね」と許しを乞うような意味です。他人の失敗を「ご愛嬌だから気にしなくていいよ」という使い方は適切ですが、自分の失敗を「ご愛嬌ですから」と自ら言ってお愛想笑いするのは、実は非礼、傲慢に当たります。

 「愛想が尽きた」という場合の「愛想」も「愛敬相」から生じた言葉です。「もう穏やかに見守るわけにはいかない」という意味ですが、本来は「愛相」と書きます。「仏の顔も三度まで」はつまり「もはや愛想よくするわけにはいかない、怒ってるぞ」ということです。「愛敬相」から生まれた

「愛嬌」と「愛想」は、いずれも本来は仏様のお顔のことだったのですね。

 余談ですが、飲食店でお客さんが「おあいそ」と言うのは「お勘定して」ということですが、本来は店の側が使う言葉でした。

 店の側がお客さんに対して代金を請求する時に「お楽しみのところを代金の話などして愛想がなくて申し訳ありません」「愛想を尽かされるかもしれませんがお勘定書きです」「お勘定のことを申し上げるなんて愛想のないことですが」といった文脈で使っていました。

 「あちらの席のお客様、おあいそです」と店員さん同士が使っていたのを聞いて、いつの間にか「通(つう)」を気取って客も使うようになったというわけです。

 異説もあります。その昔、京都のお坊さんたちはけっこう遊郭通いをしていたそうです。遊女の間で仏教用語が面白がられて使われ、帰るお坊さんに対して「あら、もうお愛想尽かし」と言ったことから「お愛想」が「お勘定」になったという説です。

 常連客を気取って「オヤジ、おあいそ」と声をかけるのは、本来の意味はお店に対して「愛想が尽きたからもう帰る」と言っていることになります。

 日常会話の中に定着した仏教用語、面白いですがなかなか難しいですね。ではまた来月。

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