耕平さんかわら版   249号(令和 5年3

  

 

皆さん、こんにちは。いよいよ春本番ですが、朝晩は冷え込む日もあります。くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

 新型コロナウィルス感染症発生から足かけ五年ですね。ご自身が罹患したり、ご家族の看病でご苦労された方も多いことと思います。と言って使った「看病」も実は仏教用語です。

「看」という漢字は「手」で触れて「目」で見ると書きます。また「手当て」と言う言葉からわかるように、昔は病人の患部に手を当てることが治療行為でした。

そもそも「看病者」は僧の呼び方のひとつです。昔は実際に医療を行っていた僧もいましたし、快癒を祈願する行為、つまり「護摩を焚く」「お経を唱える」ことも「看病」でした。

つまり「看病」の仏教用語的な意味は、僧が人々の病の苦痛を和らげ、快癒させることでした。

「僧医」という表現も医学史に登場します。仏教修行を行うとともに、医療の知識や技術を学んだ「僧医」が薬草などを処方し、人々の苦しみや病気を癒していました。加持祈祷も「看病」の重要な手段です。お釈迦様が「医者の王様」と書いて「医王」と表現される所以も理解できます。

「生老病死」の苦しみを癒すという意味でも「看病者」です。処方するのは、薬草であり、仏教の教えです。

人々は仏教の教えを理解することで、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死に対する恐れと苦しみから解放され、心安らかになります。「病は気から」という表現も、仏教の教えを理解する気持ちから苦しみから解放されるという文脈から誕生しました。

「看病」の根底には「祈り」があります。欧米でも補完医療として「祈りの力で病気の回復が早まる」という研究が行われています。現代のホスピスや緩和ケア分野でも「僧医」が注目される存在になっています。

欧米諸国で「メディテーション(瞑想)」も流行しています。たとえば「マインドフルネス・メディテーション」は治療にも応用されています。もともとは禅の瞑想の一種です。

欧米諸国でも昔から「チャプレン」という病院付きの牧師さんがいました。チャプレンの役割は「心理的苦痛」を緩和することだと聞いたことがありますが、「僧医」に近い存在かもしれません。

「看病」の根底にあるのは「祈り」です。別の言い方をすれば「思い」です。仏教では「身口意(しんくい)」という表現があり「行動・言葉・思い」の三つが揃うことが重要です。このうちの「意」が「思い」であり「祈り」となります。

医師や看護師さん、あるいは家族がどのような「思い」で「看病」をしてくれているかは、病んでいる、あるいは苦しんでいる相手に伝わり、その「思い」が現実に病や苦しみを癒すことにつながります。

 ではまた来月。ごきげんよう。

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