耕平さんかわら版   251号(令和 5年5

  

 

皆さん、こんにちは。五月も盛り。過ごしやすい時期ですが、梅雨が近づく季節の変わり目でもあります。くれぐれもご自愛ください。

かわら版では日常会話の中に含まれている仏教用語をご紹介しています。知らず知らずのうちに使っている仏教用語。それだけ日本人の生活に溶け込んでいるということです。

大学1年生もそろそろキャンパス生活に慣れてきた頃ですね。希望校に合格できた人は自業自得ですね。「え?」と思われた方も多いと思いますが、「自業自得」のこの使い方は間違いではありません。「自業自得」は仏教用語です。

サンスクリット語のお経に登場する「カルマ」という言葉を漢字に訳す際に「業」の字が当てられました。「カルマ」は「業」すなわち「行為」「行い」という意味です。自業自得は「自分の行いの結果は自分で得る」ことを意味します。

 悪いことが起きた時には「それは自業自得だ」と言われたり、自分でもそう思ったりしますが、悪いことが起きた時だけが自業自得ではありません。善い結果が起きた時も自業自得です。仏教では、全ての出来事、全ての運命が自業自得と教えています。善いことも、悪いことも、自業自得です。

善い種を蒔けば喜びや良いことが起き、悪い種を蒔けば苦しみや悪いことが起きます。自分の蒔いた種から出た芽や草木は、自分で刈り取らなければならないということです。

善因善果、悪因悪果、自因自果という仏教用語もあります。全ての結果は「因」と「縁」によって生じることを意味します。「因」とは自分の行いのこと。「縁」とは環境や他人の行いなど、自分の行い以外のこと。「因」だけで結果は生じませんし、「縁」だけでも生じません。「因」と「縁」が揃って結果が生じ、その結果は自業自得です。起きる現象は全て善因善果、悪因悪果、自因自果です。

因縁因果の道理がわかれば、他人の幸せを妬まず、自分の不幸も恨まず、心は平静です。他人の成功も、自分の失敗も、全て自業自得だと納得できるからです。

全ての行いは消えることなく「業種子(ごうしゅうじ)」として残ります。「業因」とも言われます。そして「業力(ごうりき)」という目に見えない力を及ぼします。

善い行いには幸福という結果を生み出す善業力があります。善因善果です。悪い行いには不幸という結果を生み出す悪業力があります。悪因悪果です。業力はいつまでも消えないので業力不滅といわれます。

自業自得、業力不滅が分かると、廃悪修善の心が生じます。「悪いことはやめよう」「善いことをしよう」という心です。

自分の悪い種蒔きが不幸せを生み出していると知れば、悪い種蒔きを止めようとします。自分の善い種蒔きが幸せを生み出していると知れば、善い種蒔きをしようとします。

お釈迦様は「自分の幸せ、自分の不幸せを決めているのは、自分の行い」と教えてくれています。これが自業自得という言葉の本来の意味です。

蒔かぬ種は芽を出さず、蒔いた種は必ず芽を出すことが得心できれば、生き方や言動も変わっていきます。廃悪修善で頑張りましょう。ではまた来月。

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