元日銀マンの大塚耕平(Otsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです。
日銀が量的緩和を含む超金融緩和政策を継続している中で、日本の経済は何やら不思議な静けさを保っていますが、その深層では何が起きているのでしょうか? 経済の世界では理にかなったことしか起きません。 超金融緩和を行えば、必ずその影響はどこかに出てくるはずです。
現在の状況を見極めるキーワードは「マーシャルのk(マネーサプライ/名目GDP)」という指標です。 「マーシャルのk」は、マネーサプライが経済活動に見合った適正量かどうかを判断する指標です。 10年前のバブル経済の頃は、法人部門の「マーシャルのk」が非常に高く、法人部門の資金がダブつき、それが株や不動産に流れていたことが検証されています。
一方、現在は個人部門の「マーシャルのk」が非常に高くなっています。これは何を意味するのでしょうか。 個人の金融資産は多くが銀行預金や郵便貯金として預けられています。預金や貯金は、その多くが金融機関や財政投融資(郵便貯金が原資になっています)によって国債に運用されています。 つまり、超金融緩和による資金は、国債に流れているのです。そのため、多額の財政赤字を抱え、国債の流通量が多い割には、新発国債を低い金利で発行できていると言えます。 かつての株・不動産バブルが国債バブルに置き換わっているとは言えないでしょうか? そんな状況を長く続けることはできません。そのためにも、超金融緩和の政策目的を明確にすること、国債発行量を抑制することが必要です。
小泉首相の改革提案のうち、地方交付税削減について少し考えてみたいと思います。 財政再建のため、そして野放図な地方財政拡大を抑制するために、地方交付税を削減するというのはひとつの手段だと思います。 しかし、問題は、地方交付税の原資も元々は(地方の住民を含む)国民の税金であるという点です。 地方交付税を単に削減するというのは、財政再建の負担を地方のみに負わせることにほかなりません。 放漫財政の原因は、地方の財政運営のみならず、国の財政運営に負うところも多いはずです。 削減された地方交付税が、国レベルで有効に無駄なく使われる保証はどこにもありません。 むしろ、特殊法人や様々な継続公共事業を抱える国が、どのように税金を使っていくかということこそ監視する必要があります。
地方交付税を削減するならば、それと同時に国税を減らし、その分を地方税とすることで財政再建の痛みを国と地方でシェアし合うことが必要だと考えます。 むしろ、国税を全廃して地方は自己責任で財政運営を行う、国が必要とする外交・防衛等の資金は地方が分担して拠出するとした方が、よっぽどスッキリするのではないでしょうか。 蛇足ですが、この場合、もちろん財政力の弱い地方を見捨てるなどということではありません。 例えば、財政力のある愛知県が、同じ経済圏に属する三重・静岡・岐阜県などを財政的にサポートすることを想定しています。 国税として一旦国に納めてしまうと、誰のお金だか分からなくなるところに問題の本質があります。
小泉首相の主張する政策の内容(とくに経済政策、財政・金融の構造改革)は、これまで民主党が主張していた内容に非常に近いものです。 小泉首相が無事にそれらを実現できればそれも結構ですが、様々な政策を小泉政権だけで完遂することはたぶん難しいと思います。 改革を継続・完遂するためには、今からポスト小泉政権の受け皿を作っておく必要があると思います。 国民の皆さんには、そうした視点で政治を観察して頂きたいものです。
(了)