元日銀マンの大塚耕平(Otsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです。
ちょっと長いですが、ご興味のある方は最後までお読みください。忘年会、新年会で是非議論してください。
いろいろと大きな事件や変化のあった21世紀最初の年も、もうすぐ終わろうとしています。第153回国会も先週で終わりました。しかし、日本経済の方は一段落という訳にはいきません。いよいよ正念場を迎えています。
こうした中で、日本経済を立て直すためにはどのような経済政策や予算編成を行うべきかという点について、政治家、当局者、学者、エコノミスト、有識者等々が入り乱れて、百家争鳴の議論を行っています。一体、何がポイントでしょうか。
まず、最初のポイントは、現在行われている論争の中で示されているほとんどの主張が、理論的に明確な根拠のない主張であるということです。なぜならば、デフレ下での経済政策を体系的に説明した経済理論が存在しないからです。従来の経済理論や経済政策は、いずれも緩やかなインフレという環境を「暗黙の前提」にしていました。デフレを前提にした新しい経済理論を構築できれば、まさしくノーベル経済学賞ものです。
現下の経済政策に関する論争には、2つの対極的な主張があります。ひとつは、デフレスパイラル(デフレが不況を招き、不況がさらにデフレを進めるという悪循環)を止めなければ景気は回復しないので、インフレを発生させるべきだという主張です。リチャードクーさんに代表される主張で、一時的に構造改革を中断しても構わないという内容も含まれています。もうひとつは、「構造改革なくして景気回復なし」という小泉タリバン(構造改革原理主義という意味です。流行るかな・・)的な主張です。デフレも不況も我慢して、とにかく構造改革を進めようというものです。
しかし、この2つの主張は、いずれも理論的な根拠が明確ではありません。なぜなら、日本のみならず、他の先進国も本格的なデフレ環境下での景気回復に取り組んだことがないからです。国民の皆さんは、この点をよく理解することが必要です。現下の経済政策は、いかなる選択を行おうとも、前例のないことにチャレンジせざるを得ないのです。したがって、経済政策に関して主張を行う人達は(もちろん、僕も含まれますが・・)、どのような根拠で自分の主張が適当であるかということを、論理的に証明する必要があります。また、実際に政策選択に携わる人達(主に閣僚や当局者、政府の政策立案に影響を与えるエコノミスト)は、選択した結果に対して責任をとる覚悟が必要です。
ちょっと独り言です。日本経済は2四半期続けてマイナス成長になりました。竹中大臣は、大臣就任時に「2四半期続けてマイナス成長にはしない」と明言していました。経済政策が簡単なものでないことは事実ですが、竹中さんは今やただの学者じゃないのですから、政治家として発言したことに責任を持つことが必要です。結果的に慰留されるにせよ、発言責任、公約責任をとって進退伺いを出すべきではないでしょうか。閣僚がそういう姿勢を示さないことが、政府の政策に対する信頼性を損ね、国民の皆さんの心に「どうせ、言ったとおりにはならないよ」という不信感を植え付けています。こうした気持ちが、実はここ数年の日本の構造不況の根元的な原因だと思います(経済学の「期待理論」に通じるものがあります)。「狂牛病はもう発生しません」と発言した武部農水大臣も同様です。「金融機関に公的資金の再注入は必要ありません」と繰り返し発言している柳沢金融担当大臣、大丈夫ですか?
次のポイントは、デフレの原因についてです。いろんな人がいろんなことを言っていますが、それらを整理すると、デフレの原因に関しては3つの主張があります。
ひとつは、「需給バランス派」の主張です。経済は需要と供給から構成されていますので、不況やデフレ(価格低下)は、相対的な需要不足か相対的な供給過剰、あるいはその両方によって発生します。この「派」に属する人達は、もはや需要不足対策をかつてのように行う財政的余裕はなく、バラマキ財政を止めて、財政の中身を本当に景気刺激効果のあるものに入れ替えていくことが必要だと主張します。また、供給過剰の背景には、これまでの既得権益的な産業政策があり、これらを是正していくこと、それによって財政余力を捻出していくことが必要だと考えます。僕自身もこの考え方に近いです(僕自身の正確な考え方は、ふたつめの原因との複合的な世界を想定しています)。
ふたつめは、「国際標準派」の主張です。つまり、デフレは規制改革や自由化に伴う内外価格差是正の結果であり、冷戦終結や中国の世界経済市場への参入に伴う低廉な労働力の市場への放出も影響していると主張します。日本の価格水準や経済構造が「国際標準」に接近しつつある結果だということです。今までが「国際標準」ではなかったという点では、「需給バランス派」の既得権益的な産業政策批判とも共通する部分があります。
みっつめは、「需要不足派」の主張です。最近では、この「派」の人達の声がだんだん大きくなっています。リチャードクーさんや、与党政治家では麻生太郎さん、亀井静香さんがこの「派」に属します(ぜんぜん静かではないですね・・・)。その内容は単純明快であり、現下の不況は需要不足によるものだから、従来と同様にどんどん財政出動をするべきだという政策的主張につながっています。デフレ下で従来型の政策が本当に効果を発揮するのか、官僚の天下り先に手厚く予算をつけるような不要不急の従来型財政出動で本当に景気を好転させることができるのか、少々疑問です(いや、かなり疑問です)。
読者の皆さんは「何派」ですか?
では、デフレの何が問題なのでしょうか。生活物価が下がるという意味では、良い面も全くない訳ではありません。
ひとつは、既存の債務が実質的に増大するということです。政府であれ、企業であれ、個人であれ、デフレが進むと、現在負っている借金の実質的規模が増大します。したがって、既刊のOKマガジンで取り上げた「私的整理に関するガイドライン」や、最近新聞紙上でよく見かけるようになった「民事再生法」による企業再建は、実質的な借金の規模縮小を目的とした動きとも言えます。政府はいくらでも追加で借金ができます(但し、日本国が破産しない限りにおいてですが・・・)のでいいですが、個人はそういうわけにはいきません。住宅ローンを抱え、給与水準が下がっている皆さんは本当に大変だと思います。ローン控除の拡充や返済猶予等の政策的対応が必要です。
もうひとつは、デフレに伴って、生産性の低い産業分野が温存されることです。この部分はちょっと難しいですが、次のような理屈です。つまり、緩やかなインフレの下では、生産性の高い(つまり業績のいい)産業や企業は社員の賃金をアップし、そうでない産業や企業はそれよりも低い賃金アップにとどめることで、「相対的な調整」が行われます。その結果、産業間の人材や資本の移動が起こり、産業構造がスムーズに転換していきます。相対的に生産性の低い産業や企業も、さまざまな努力によって生産性をアップさせようと頑張ります。こうした「好循環」が経済の好転につながります。
デフレ下ではどうでしょうか。相対的に生産性の高い産業や企業も、例えば、ゼロ成長下では賃金をアップできません。しかし、相対的に生産性の低い産業や企業も、「賃金や価格の下方硬直性」(ちょっと分かりにくいですよね。要は、賃下げや製品価格の引き下げはなかなか実施できないということです)によって、賃金や価格が下がりません。その結果、インフレ下のような人材や資本の移動、産業構造のスムーズな転換、経済の「好循環」が発生しないのです。
ここで重要なのは、相対的に生産性の低い分野には「公的部門」が含まれることです。役所だけではありません。官僚の天下り先になっているような公益法人等を含む、広い意味での「公的部門」です。こうした分野の賃金や価格の「下方硬直性」も、デフレのふたつめの問題点(生産性の低い産業分野が温存されること)を深刻化させます。デフレなのに公共料金がなかなか下がらないことを思い起こして頂ければ、イメージし易いかもしれません。「公的部門」に属する組織や人の生産性向上努力が極めて重要です。
以上のように、「相対的に生産性の低い分野」や「公的部門」の生産性向上努力がなく、かつ賃金や価格の「下方硬直性」が存在する場合には、経済はどんどん「悪循環」に陥ります。ちょっとマニアックな話ですが、こうした事態は、経済学の世界で「ボーモル(経済学者の名前です)の病」と言われる現象です。
さて、こうした中で、デフレ対策として主張されている政策は3つに類型化されます。
ひとつは、「問題点解消型」です。デフレには2つの問題点があることは上で説明したとおりです。「その問題点を解決すればいいだろう」というのが「問題点解消型」の主張です。したがって、「賃金や価格を引き下げる」ということと、「債務、とりわけ政府債務を縮小させる」という2点がポイントになります。小泉タリバンは、典型的な「問題点解消型」です。
もうひとつは、漢字ばかりの命名で恐縮ですが、「積極的財政政策型」です。このタイプは、インフレ志向的な金融政策運営の主張とつながる傾向が強いようです。つまり、国債をどんどん発行して、政府債務を増やすことも厭わないというタイプです。最近の議論で言えば、「国債30兆円枠にこだわるな」と主張する人達はこの類型に属します。しかし、あくまで、従来型の経済政策理論や金融政策運営の枠内、つまり、「従来の経済政策の考え方の延長線上」に位置する点が特徴的です。したがって、インフレ志向的な金融政策運営といっても、国債の購入(市場での買いオペレーション)の増額といった、従来の政策手段の拡充を主張します。
3番目は、これまた漢字ばかりでスイマセンが、「非伝統的金融政策型」です。つまり、「インフレを起こしてしまえ」という「インフレ政策型」と言ってもいいかもしれません。2番目のタイプと違って、従来の金融政策手段にこだわらないという点が特徴です。具体的には、日銀が国債を直接引き受けたり、株式や土地を購入すること、CPや社債を購入して企業金融市場に直接乗り出すことを主張しています。
僕自身は、現時点では、1番目と3番目のミックス型の考えを持っています。とくに、非伝統的な金融政策手段を選択するにしても、許される範囲は日銀によるCPや社債の購入まででしょう。しかも、直接購入するのではなく、それらを担保にした証券等を購入するという工夫が必要です。しかし、それを金融機関を通して行うのでは、現在と同様に「日銀が資金を金融機関にジャブジャブに供給しても、企業にはなかなか行き渡らない」という事態が発生するかもしれません。おそらく、企業からCPや社債を購入し、日銀との橋渡しをする機関が必要だと思います。
ここまで読んでくださいました皆さん、どうもありがとうございました。「また、こむずかしいメルマガを送ってきたな」とお思いかもしれませんが、皆さんは、経済政策論争のポイントについてどのようにお考えですか。また、デフレの原因、問題点、対策について、どのタイプに属するお考えをお持ちですか。是非、1度考えてみてください。
しかし、繰り返しになりますが、いかなる考えを抱き、いかなる選択をしようとも、それらの判断には、何か確たる絶対的な根拠はないという点を忘れないでください。現下の経済政策の選択は、新しいチャレンジであり、ギャンブルと言っても過言ではない側面を有しています。
このことは、皆さん個々人だけでなく、政策当局にも当てはまります。政策当局としては、苦渋の選択をせざるを得ない局面ですが、重要なのは、その結果について明確に責任をとる覚悟です。さきほどの竹中さんの話を思い出してください。国民の皆さんに予告したとおりの結果が出なくても、そのことに言及することも、責任をとることもなく、涼しい顔で引き続き政策当局に居座るような当局者をたくさん抱えているようでは、日本経済の再生はあり得ません。政策の効果は、国民の皆さんが「きっとこの政策は効果がある。何しろ、当局者が首をかけて取り組んでいるのだから」と信じることが裏付けになっているのです。最近の経済政策がなかなか効果がでない原因を、よく考えてみてください。
このことは、竹中さんだけではなく、当然、小泉さんにも当てはまります。金融庁や財務省にも、もちろん日銀にも当てはまります。非伝統的な政策手段を選択する場合には、「結果責任」をとることが必要です。
(了)