参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです
12月8日、午後5時です。地元から戻り、議員会館705号室でメルマガを打ち始めました。明後日は代表選挙です。昨日は岡田さん、今日は菅さんから電話を頂戴しました。どちらが代表になっても、僕としては有権者の皆さんの負託にお応えするために全力で仕事をするだけです。岡田さんは「決めたことは守る」、菅さんは「勝敗に関係なく、選挙後は党が一丸となれるように頑張る」とおっしゃっていたことが印象的でした。どちらのご発言も、しっかりと記憶にとどめさせて頂きました。政治家の発言は重いものです。
先週、12月5日の参議院財政金融委員会で、ペイオフ延期と決済性預金全額保護に関する2法案の質疑を行いました。前者は、平成16年度中に不良債権問題を解決し、ペイオフ解禁は平成17年4月からとすること(つまり、ペイオフ解禁の2年間の再延期)、後者は、ペイオフ解禁後も全額保護される決済性預金を創設することを定めるものです。
後者は、金融機関が破綻した際に、企業や事業者が決済用に預けていた無利息の当座預金を全額保護することにより、取引上の資金決済の安全性を守ることを目的としています。平成16年度中に不良債権問題が解決し(注)、金融機関経営が健全になるのならば、そもそも諸外国でまったく例のない、こうした制度を設ける必要はないと思います(・・・というより、論理矛盾です)。
(注)竹中大臣は、「不良債権問題の解決とは、不良債権比率を4%以下にすること」と定義しました。よく覚えておきます。
竹中大臣、金融庁の藤原総務企画局長と以下のような趣旨のヤリトリをしました。
と、こんな感じです。議論をしたと言うよりも、僕の意見を一方的に申し上げたような展開になりました。
米国においては、預金優先権制度(Depositor Preference)という仕組みがあります。連邦預金保険法1821条の中で、金融機関の管財人は預金債務を優先的に弁済すると決められています。もし、「仕掛かり中の決済を守る」というならば、同様の優先権制度を設け、「仕掛かり中の手形発行企業の定期性預金は、優先的に手形決済に充当する」ということを考えるべきではないでしょうか。
竹中大臣にも、金融庁にも、「手形決済を守る」という発想は全く念頭になかったようです。そんなことで、どうして「仕掛かり中の決済を守る」のが目的と言えるのでしょうか。
やはり、「決済を守る」というよりも、全額保護の決済性預金を導入することで金融機関の破綻に対する懸念を緩和し、「金融機関を守る」ことが本音ベースの目的のような気がします。竹中大臣の答弁と政策の中身には論理矛盾が生じています。
上記のような論理矛盾に目をつぶれば、全額保護の決済性預金の創設は、たしかに金融機関の破綻に対する懸念を緩和する効果はあるかもしれません。しかし、それは、現在のような超低金利(事実上のゼロ金利)下における場合だけです。
読者の皆さん、金利が上がり始めたらどうなると思われますか?
現在は定期性預金もほとんど金利がつかない状態です。したがって、「定期性預金に預けても、決済性預金に預けても、どうせ同じだ。それなら、全額保護される決済性預金に預けておくか」という気持ちになるのも、分からないではありません。
しかし、今後、景気がよくなったり、あるいは逆に政府債務のデフォルト懸念が高まることによって、金利が上昇することもあり得ます。
そうした状況の下では、金利がまったくつかない決済性預金と、数%の金利がつく定期性預金は、「どっちに預けても、どうせ同じだ」とはなりません。個人も企業も、当然、定期性預金に預けたいと思うでしょう。
その場合には、全額保護の対象ではない定期性預金を預けても安心な金融機関に、預金が集中し始めます。「危ない金融機関」から「安全な金融機関」への預金シフトが起きるのです。こうした事態が本当に発生すれば、それは、「全額保護の決済性預金」を導入したことが、信用不安を生み出すことになります。さて、この論理矛盾に対して、竹中大臣と金融庁は、今後どのように対応するのでしょうか。
論理矛盾したことを行えば、論理矛盾した結果が生まれるのです。政策には、やはり論理的な正しさが求められます。竹中さん、しっかりしてくださいよ。
厚生労働省は、12月5日に将来の厚生年金制度の改革案を公表しました。来年の通常国会で審議され、平成16年度(2004年4月)から改革が実施される見込みです。
現在の厚生年金制度における保険料率は、サラリーマンの年収の13.58%です。これを労使折半で負担しています。現在の制度のままでは、平成16年度から保険料率は5年ごとに引き上げられ、平成37年度(2025年度)には年収の25%に達する見込みです。少子高齢化が現在の予測以上に深刻化すれば、年金給付水準を維持するためには、保険料率をもっと引き上げなくてはなりません。ゾッとします。
今回の改正案では、保険料率の上限を20%に固定することを提案しています。「なるほど」という提案ですが、要は、20%を上限とする保険料収入の範囲内で給付水準を調整する(つまり、引き下げる)ということです。「なあんだ、そんなことか」という感じでしょうか。
平均的な所得水準の勤労者が40年間厚生年金制度に加入した場合、年金給付額のモデル月額は23万8千円です。少子高齢化に関する想定を変えず、かつ保険料率を20%として計算すると、30年後に年金給付を受け始める勤労者(現在の30歳代後半)のモデル月額は20万9千円(約12%ダウン)となります。少子高齢化がさらに深刻化すると、モデル月額が20万円を切ることも十分あり得ます。
さて、どうしたものでしょうか。僕自身も、これからさらによく考えてみたいと思いますが、現時点では、以下の2点が重要な検討ポイントだと思っています。
難しい問題ですので、今後もよく検討したいと思います。なお、「納税通信」(エヌピー通信社)という専門紙の近日号に、年金制度に関する僕のインタビュー記事が掲載される予定です。ご興味のある方は、そちらの方もご覧ください。
年金給付水準が下がっても、生活コストがそれ以上に下がれば問題ありません。そうした観点からは、「デフレが進むことは歓迎だ」という意見の方もいるでしょう。
厚生労働省の改革案が公表された日の夜、地元の会合に出席させて頂きました。その席で、ある年金受給世代のご夫婦が、「夫婦で500万円ぐらいの年金給付を受けている。100円ショップで必要なものはけっこう手に入るし、私たちの世代は恵まれている」とおっしゃっていました。同じテーブルにいた20歳代と思われる皆さんが、ジッと耳を澄ませて、沈黙していたのが印象的でした。
1980年代の米国経済では、インフレ率が上昇する一方で、失業者も増加しました。インフレと失業が同時に悪化するこうした状況は、「スタグフレーション」と表現されました。それまでの経済学では、「景気好転=物価上昇=失業率低下」、「景気悪化=物価低下=失業率上昇」という関係が通説になっていましたので、「スタグフレーション」は「未知の経済現象」と騒がれたものです(僕の学生時代の話です)。
(ご参考)インフレ率と失業率はトレードオフ関係(片方が上昇すれば、もう片方が低下する関係)にあるとされ、その関係を示すグラフは「フィリップス曲線」と言われました。
今やデフレは日本だけの現象ではなく、世界的な拡がりを見せ始めています。デフレはまだしばらく続くものとすれば、「デフレの下で、いかに経済成長を実現するか」ということを考えなくてはなりません。
過去のメルマガで何度かお伝えしていますが、経済政策や経営がコントロールできる指標は、基本的には、「量」と「価格」と「コスト」の3つしかありません。「価格」が下がることを前提とすれば、デフレ下で経済成長を実現するためには、「量」を増やすか「コスト」を下げるしかありません。
内外の消費者からの需要が増える新しい製品、技術、サービスを生み出すことが「量」の増加につながります。無駄な行政手続きを廃し、原価や生産性に見合わない原材料費や人件費を抑制することが「コスト」の引き下げを実現します。行政改革や規制緩和はだから重要なのです。
さらに、「量」×「価格」マイナス「コスト」=「利益」×「税率」=「最終利益」です。「税率」引き下げも、「デフレ下での経済成長」を実現するための重要なポイントです。「税率」は下げるが、経済成長の実現によって「税収」は増えるという姿が、日本経済が目指すべき方向性です。
「デフレ下の経済成長」が実現すれば、年金給付額の引き下げも何ら問題はありません。厚生労働省の改革案も合理的な案となります。「デフレ下の経済成長」の実現策を、今後も追求していきたいと思います。
(了)