参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです
株価が20年前の水準になりました。僕が日銀に入行(1983年4月)する前の水準です。タメ息が出ますね、まったく。国会では産業再生機構法案の審議が始まりました。さて、日本経済再生の切り札になるでしょうか。
新聞やTVニュースで産業再生機構の話を見聞きする国民の皆さんの中には、「ああ、産業再生ね。それはいいことじゃない。遅すぎるぐらいだよ」とお感じの方が多いことと思います。でも、産業再生機構は本当に「救世主」でしょうか。
産業再生機構が不況で苦しんでいる企業を公平に、あるいは明確なルールに基づいて救済するならば、たしかに「救世主」です。しかし、これまでの国会内外での議論で明らかになってきた事実によると、どうもそうではないようです。
産業再生機構が救済を念頭に置いているのは、約20数社程度の企業のようです。これらの企業を対象に、債務免除を行ったり、直接・間接に公的資金(皆さんの税金)を投入することが予想されます。日本経済にとって大切な企業を選定して救済するというコンセプトのようです。
しかし、「いやぁ~、あなたたちは日本経済にとって重要。絶対助けます」とか、「残念ながら、皆さんは日本経済にとって必要ありません。サヨウナラ」ということを言われる立場にしてみると、助けてもらえる場合はいいですが、サヨウナラと言われる場合は「冗談じゃない、どうしてだ!!」という気持ちになりますよね。そうです、産業再生機構を仮に立ち上げるとすれば、意思決定の「透明性」が非常に重要なポイントになるのです。
さて、読者の皆さんは「囚人のジレンマ」という言葉をご存じでしょうか。逮捕された複数の犯罪共犯者が警察から自白を求められ、「協力した者だけ助けてやる」と言われてお互いに疑心暗鬼になる状態のことを指します。1950年、米国ランド研究所の科学者たちが考え出した「ゲームの理論」の中で生み出された概念です。正確な定義は少々異なりますが、概ね上記のような意味です。
今、産業再生機構をめぐる国民の気持ちは「囚人のジレンマ」状態に陥っています。産業再生機構が設立されれば「自分は助かるかもしれない」と思うのはやむを得ないことですが、実際はほとんどの国民が関係ないのです。しかも、現在審議されている法案の内容では、どの企業を救済するかの判断基準が明確ではなく、おそらく、意思決定のプロセスでまた利権政治家や悪徳官僚が著両跋扈(ちょうりょうばっこ)することでしょう。そして、そこに、医療費や年金を削って集めた財源や、国民の皆さんの税金を直接、間接に投入することになるのです。産業再生機構法案は、抜本的な修正が必要です。
ところで米国ランド研究所の研究対象は、軍事を含む国家戦略です。国民の「囚人のジレンマ」状態を巧みに利用して法案を成立させようとしている政府・与党ですが、果たして明確な国家戦略や産業戦略はあるのでしょうか。戦略があって産業再生機構を立ち上げようとしているならば法案にも賛成できますが、そうでなければ、利権政治家や悪徳官僚と癒着している特定の企業のみが救済され、競争相手の同業他社が一層苦境に立たされることになります。
僕自身は、税制や規制をもっと合理的かつ早急に改革・緩和し、企業や産業の再生は民間にお任せすべきだと考えています。また、経営が苦しい企業への対応は、既に整備されている破綻法制の中で行うべきだと考えます。
いずれにしても、産業再生機構法案は原案のまま成立する可能性が高いでしょう(もちろん、修正の努力はしますが・・・)。さて、設立された産業再生機構は有効に機能する「働き者」でしょうか。
産業再生機構は責任の所在が非常に不明確な仕組みになっています。あとで誰も責任をとらなくていいように、非常に上手に?考えられた組織です。
そもそも、産業再生機構はなんと「株式会社」です。行政機関ではないので、あとで「どうしてそういう判断をしたのか?」と問われにくい組織にしてあります。また、社長はいますが、どの企業を救済するかは産業再生委員会という社内の別の機関が判断することになっています。そして、その委員会は合議制です。
さらに、産業再生機構は企業の再建計画の実現可能性を認定するだけであり、再建計画自体は企業関係者(対象企業自身、融資銀行、取引先企業など)で策定することになっています。
さて、ある企業を、皆さんの税金を投入して救済しても、結局再生できずに破綻したとしましょう。企業関係者は「再建計画は産業再生機構がお墨付きをくれたものだ。再生計画自体は間違っていなかった。運が悪かった」と言うことでしょう。産業再生機構は「再建計画はあくまで企業関係者たちが独自に策定したものであり、自分たちはサポートしたにすぎない」と主張することでしょう。さてさて、皆さんの税金が投入された責任は誰がとるのでしょうか。
ところで、「コモンズの悲劇」という言葉があります。「なんだそれ、オペラかミュージカルか」とつぶやかれた方も多いと思いますが、実は政治経済学の用語です。
1776年、アダムスミスが「諸国民の富」という名著を出版し、その中で「コモンズの悲劇」という概念が問題提起されました。「コモンズ」とは「共有地」という意味です。スミスはライン川を例にあげ、利害関係者が多いと「コモンズ=共有地=公共財」を有効活用できないことを指摘したのです。つまり、水上交通や沿岸利用のルールをひとり(一国)で決められれば、合理的かつ有効に「コモンズであるライン川」を活用できますが、実際には、数カ国の領域にまたがっていたために、有効活用ができなかったという話です。
さて、産業再生機構は「コモンズ」のはずです。例えば、首相の強いリーダーシップのもとでトップダウン型の運営が行われれば有効に機能するかもしれません。しかし、利害関係者が多いうえに、責任逃れのために意思決定の仕組みが非常に複雑になっています。これでは、きっとスミスの心配が的中するでしょう。
(参考)「コモンズの悲劇」は「アンチ(アンタイ)コモンズの悲劇」という言う場合もあります。
先日の予算委員会で、塩川大臣が「修正の誤謬」という言葉を使って、質問者から「それは『合成の誤謬』の間違いでしょう」と指摘されて失笑をかっていました。塩川さん、よく理解していないのに専門用語を使ってはいけませんよ。
「合成の誤謬」も実は経済学の用語です。個々には合理的な行動であっても、全体としては好ましくない結果が生じる状態を表す言葉です。
産業再生機構は本当に「産業」を再生できるのでしょうか。例えば、ある産業分野に属するA社が救済されたとします。A社は債務減免を受け、公的資金も投入されて生き残ります。回復した(=本来の実力以上の)価格競争力を駆使して、自力で一生懸命に経営している同業他社から徐々に市場シェアを奪っていきます。その産業分野全体としては過当競争傾向が強まり、どんどん製品の低価格化が進み、収益性が低下します。ついには、その産業分野に属する企業が疲弊し、破綻していきます。
個々の「企業」(・・・と言っても特定の20数社)を救済すれば「産業」再生できるというふれこみでスタートする産業再生機構が、実際は「産業」をどんどんと疲弊、衰退させていく可能性があります。まさしく「合成の誤謬」です。
産業再生機構がその名前のとおり産業を再生させる「正直者」として有効に機能するのか、あるいは利権政治家や悪徳官僚の「走狗(そうく)」となって特定の企業を延命させる役割を演じるのか、今後の動向から目が離せません。
さて、産業再生機構を利用すると雇用を守ることができるという意見も聞きますが、これも不確かです。会社更生法や民事再生法に基づく再建計画であれば、従業員との話し合いや労働債権(給料、年金等)の保護も念頭において協議が行われます。一方、産業再生機構が関わる再建計画では、「合理化、再建計画がまとまらなければ、勝手にやってください」という殺し文句のもとで、リストラが「大胆かつ柔軟に」行われる可能性があります。つまり、かえって雇用が危機にさらされる可能性があります。
そういえば、「大胆かつ柔軟に」はどこかで聞いた言葉です。小泉首相、産業再生は日本再生のキーポイントです。産業再生自体はもちろん必要なことだと思いますが、こんな大事なことも「丸投げかつ無責任に」行おうとする産業再生機構法案には、残念ながらこのままでは賛成できません。抜本的修正が必要です。
(了)