参議院議員・大塚耕平(Ohtsuka Kouhei)がお送りする政治経済レポートです
いよいよ21世紀最初の総選挙です。「ベルリンの壁」が崩壊した11月9日が投票日というのも奇縁ですね。「日本の壁」は崩壊するのでしょうか。巷では「マニフェスト選挙」と言われています。同じ政策課題に対してもさまざまな意見があるのは当然です。どのような意見が合理的であるかは、原点に戻って考えることが必要でしょう。
さて、郵政改革が争点のひとつになっていますが、「民営化がいいのか、悪いのか、よく分からない」という方も多いと思います。原点に戻って考えてみましょう。
そもそも何が問題なのでしょうか。郵便公社の業務は、郵便、貯金(郵貯)、保険(簡保)の3つに分かれます。このうち、一番大きな問題は、郵貯・簡保を今後どのようにしていくかという点です。
それを考えるには、郵貯・簡保の「入口」と「出口」という2つの切り口から整理する必要があります。
「入口」では国民の皆さんの貯金や保険料を集めています。何が問題なのでしょうか。それは、郵貯・簡保という優遇された制度が、民間金融機関の経営にとって大きな脅威となっている点です。郵貯・簡保に資金が集まりすぎるのです。政府が支払いを保証しているうえに、商品内容も優遇されています。これでは民間金融機関は太刀打ちできません。官業の民業圧迫ということです。
「出口」では、適切な運用が行われていません。国民の皆さんからお預かりしている資金です。いずれはお返ししなくてはなりません。しかし、特殊法人などへの貸出や株式などに運用された資金は多額の焦げつきを出していますので、郵政公社は自力では返せないのです。結局、政府が保証して返すことになりますが、政府は返済原資を税金で集めなくてはなりません。国民の皆さんが自分の財布から税金を払って、郵貯・簡保への預け金が返ってくるという不思議なことが起きるのです。
「入口」と「出口」のこうした問題を解決するのが郵政改革です。
「入口」改革にはふたつの選択肢があります。
ひとつは郵貯・簡保に対する優遇をやめることです。つまり、民間金融機関と競争条件を平等にすることになります。しかし、そうなると郵貯・簡保の存在意義がなくなります。競争条件が同じならば、「民業」と「官業」が並存する必要はありません。
もうひとつは民間金融機関を健全にすることです。郵貯・簡保に資金が集まりすぎるのは、民間金融機関の経営が不安定で国民が安心して預金を預けられないからです。しかし、民間金融機関が健全になれば、その場合も郵貯・簡保の存在意義が失われます。安全度が同じならば、「民業」と「官業」が並存する必要はありません。
どうやら「入口」改革のポイントは、郵貯・簡保の存在意義にあるようです。当たり前のことですが、その当たり前のことを改めて再認識する必要があります。
競争条件の優遇や国の保証が必要なのはなぜでしょうか。それは、少ない貯蓄しか持たない低所得者層の生活を守るためです。郵貯・簡保がこの当たり前の目的に沿うように運営されているのならば、何ら問題はないのです。
さて、こうした原則に照らしてみると、民営化というのはどのような意味を持つのでしょうか。民営化して競争条件と安全度が同じになれば、そもそも郵貯・簡保の存在意義は失われます。では、どうして郵貯・簡保の存続にこだわる必要があるのでしょうか。その鍵は「出口」にあるようです。
「出口」改革は簡単なことです。特殊法人への貸出、株価操作のための株式買入など、不健全・不適切な資金運用を改めることです。どうしてそんな簡単なことに取り組まないのでしょうか。
その答えも簡単です。やめたくてもやめられない。なぜならば、そうした資金運用をすること自体が郵貯・簡保の目的だからです。
公社化される前の郵貯・簡保は、「入口」で集めた国民の皆さんの資金を財政投融資制度という「入口」と「出口」をつなぐトンネルに流し込み、最終的には特殊法人などに回していました。
財政投融資制度は「第2の予算」とも呼ばれ、その昔は中学や高校の教科書でも紹介されていた日本独特の制度です。その規模は数十兆円にものぼり、欧米主要国の予算に匹敵するものでした。しかも、国会の細かいチェックを受ける必要がなく、政府・霞ヶ関が自由に使えた便利な「打ち出の小槌」だったのです。その結果、不明朗な使い方をされ、多額の資金を焦げつかせる結果となりました。
さて、そうした資金運用の実態は是正されるのでしょうか。今のままでは残念ながら是正されません。なぜならば、繰り返しになりますが、そうした資金運用をすること自体が郵貯・簡保の目的だからです。
是正する気がない証拠が昨日(13日)の日経新聞朝刊の1面トップ記事に載っていました。「国債を郵政公社に直接引き受けさせる」という記事です。郵政公社が国民の皆さんの資金で国債を引き受けると、その資金は政府・霞ヶ関に渡ります。その結果、従来どおり、特殊法人が姿を変えた独立行政法人や株価操作のための株式購入に回されます。これでは、全然改善されません。それもそのはずです。再三の繰り返しになって恐縮ですが、そうした資金運用をすること自体が郵貯・簡保の目的だからです。改善する気がないのです。
さて、このように考えてみると、民営化というのはどのような意味を持つのでしょうか。民営化しても集めた資金が従来と同じように使われるのでは、「出口」改革には全く役に立ちません。
民営化は「手段」であって「目的」ではありません。「入口」改革と「出口」改革に役に立つ「手段」でなければ、全く無意味な政策であると言わざるを得ません。
日本経済が徐々に弱っている原因のひとつは郵貯・簡保の実態にあります。国民の皆さんの貯蓄は、本来、民間金融機関を通して企業活動に役立つように有効活用される(=融資される)ことが必要です。ちょっと固い言葉ですが「民間部門のマネーフロー」の中で有効活用されることを意味します。
しかし、実際には、郵貯・簡保に預けられた360兆円の資金は政府・霞ヶ関を経由して「公的部門のマネーフロー」に還流し、民間経済にとって役に立たない使い方をされているのです。
もうお分かりだと思います。郵貯・簡保は民間経済というバケツの底に開いた「穴」のような存在になっています。これでは、バケツに水(資金)を貯めて景気をよくしようと思ってもそうはなりません。日本経済の構造問題がご理解頂けるのではないでしょうか。
郵貯・簡保に集まった資金を「民間部門のマネーフロー」に戻すことが郵政改革のポイントです。それができなければ、郵貯・簡保は本来の目的に沿うように、低所得者の資産を守ることに特化させるべきです。あるいは、民間金融機関のない地域の金融ネットワークとして活用するにとどめるべきです。
郵便、郵貯・簡保という郵政公社の3つの業務のうち、郵便事業を民営化することは、バケツの「穴」という日本経済の構造問題の解決には、さらに関係が薄いこともご理解頂けると思います。郵便事業に関しては、郵貯・簡保の問題とは別の視点から考える必要があります。
民営化が「入口」改革と「出口」改革にどのように寄与するのか、そのことをシッカリと考えれば、さまざまな意見の適否も自ずと見えてきます。
(了)